半分教師 第21話 「教室騒然・・・」

養護学校での4年間の経験は貴重なものであった。しかしその反面、普通小学校で必要とされる集団を統率する教育技術を身につける機会なく、私は転勤となった。

受け持った学級は5年3組。32名の子ども達が待っていた。

それまでの4年間は、直接担任していた生徒が3~4人だったので、一気に10倍もの人数を相手にしなくてはならなくなったのである。これは大変なことだった。

新任教員であれば「分からない」で済むことがある。しかし私は新任ではなく、4年間も教員経験を積んで異動した教員である。「分からない」は通用しない。

一人一人を奥深く見つめていく目は、私の中で確かに育っていた感じがする。例えばウソのような話だが、廊下を歩いてくる児童の足音で体調や気分の良し悪しを聞き取れた。研ぎ澄まされるというのはすごいことだ。

元気な小学生たちは本当に可愛かった。こんなに楽しい仕事は絶対にないと心から思った。元気が何よりだと信じていた。教室にいても楽しかった。ところが1回目の授業参観で目を覚まされた。参観直後の保護者会で口々に指摘された。

「先生の授業は、子ども達が勝手に話をしたり後ろを向いたりしている。こんなにうるさいクラスを見たことがない。」

子ども達が元気で楽しそうにしているクラスという“おほめの言葉”をいただけると信じていた私は、まさか厳しい指摘を受けるとは予想もしていなかった。私は完全に“自己満足”をしていたのだ。

この日から自分との戦いが始まった。

(つづく)

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半分教師 第20話 「人が好きだから」

望ましい集団からは歌が生まれる。
望ましい集団からはドラマが生まれる。

私の教員1年目に歌が生まれた。
この歌を引っさげて、新潟県に修学旅行交流に出た。
新潟県の高校生は心から感動してくれた。
その歌詞もメロディもいまだに忘れえられない。




「人が好きだから」

人が好きだから いろんな人と出会いたい
人が好きだから 君と出会いたい 友を作りたい
同じ世界に 生きているから
お互いが分かりあえる
はるかな希望を求め
明日に向かって 羽ばたけ



何度も書いておこう。
いろんなドラマを経験させてもらった新任時代があるからこそ、今の私があるのだということを。

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試合の記事は封印されます

今日から東京新聞杯がスタートしましたが、東京第3支部の申し合わせで、試合の結果についてはインターネット情報発信をしてはいけないことになっていますので、今日の試合に関するコメントは23日の順位決定戦の後に公開させていただきます。

また、このブログをご覧のチームスタッフ、保護者、選手の皆さんもインターネットによる情報発信は支部の申し合わせ事項に反することとなりますのでお気をつけ下さい。
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日光移動教室 感想

その空間はしっとりと落ち着いた心地よい空間であった。

亀戸の2校の子どもたちが集った日光移動教室の宿舎内には、静寂な中にもこれから始まる3日間の協同生活をワクワクと期待しながら、小学校生活の中で最高の思い出を創っていこうという純粋な心を感じさせる空気があった。そしてその静寂という“音”は単なる静けさではなく、子どもたちの身体から、ハートやダイヤ、音符のマークが今にも飛び出してきそうな、幸せな音色を奏でる予感を最初から漂わせていた。

開園式、食堂での食事前と、我々の学校の子どもたちも一緒に滞在した同じ亀戸のお隣の学校の子どもたちも、教員がそっと前に立つだけですぐに静かに注目し、ピーンと集中した空気を作り出してくれた。3日間、両校の教員から「静かにしなさい」「話を聞きなさい」などというレベルの低い指示は一切出なかった。

両校とも子どもたちは自主的に動き、楽しい夢のような瞬間瞬間を過ごしていった。感想を聞けば、おそらく全員が答えると思うのだが、3日間がたちまち過ぎてしまい、「もっともっとも~~~~っと日光にいたかった。」という気持ちなのではないだろうか。それは引率した私自身もそう感じていたほどだから。

たくさんの子どもたちを連れての宿泊行事は教員にとってはかなり大変な行事である。何しろ他人様の大切な子どもを慣れない場所で預かるわけで、安全に何もなく終了させて当たり前、万が一何か起こってしまったら大事件という緊張感が常にある3日間となる。私がそうであるように、世の中の多くの教員も早く3日間が終わりホッとしたいというのが本音なのではないか。

ところが、今回の移動教室で私は「もっと日光にいてもいいなぁ」という気持ちになった。子どもたちが素晴らしい生活を送っていたからだ。その証拠に3日目の朝、親しい友人にこんなメールを送った。

*************************

この3日間、朝の5時から働いている井上です(苦笑)。

日光はとても涼しくて、もうしばらく滞在していたい気分になってきました。
今日、東京に帰る。
うーん、帰りたくね~!

今すぐ日光でご隠居生活を送りたい井上です。

**************************

同行してくださった教育センター自然教室担当の元校長先生からも絶賛の言葉を頂いた。

「担任が何も言わなくてもしっかり動くし、何よりもみんなでまとまっている雰囲気が最高です。例えばキャンプファイアーにやったフォークダンスのオクラハマミキサーはどこの学校でも嫌がって踊らない子が少なくないのだが、そういう非協力的な子は一人もいなかった。私の長い教員生活の中でも、これだけ素晴らしい子どもたちは初めてです。感動しました。」


引率した大人に心地よさを感じさせてくれたのは、子どもたちの持っている「心の豊かさ」によるものだと書き残させて頂きたい。「素直な心」の持ち主たちは必ず豊かな人生を送っていけることもここで予言しておきたい。


何はともあれ、参加したすべての人の心に「宝の時、宝の思い出」が刻まれたことは確かである。

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半分教師 第19話 「卒業式バンド」

養護学校の教師としてスタートして本当に良かったと思えるエピソードがたくさんある。そのひとつが、担任全員による「卒業式バンド」の結成である。

思い起こせば、ノリノリの学年教員集団だったのだろうか。

「卒業式で生徒を送り出す曲を、私たちが生バンドでやろうよ!」
そんな先輩音楽教員の意見にみんなが合意し、生徒にも親にも秘密で猛練習が始まった。音楽の先生はもちろんピアノ。他の先生も学生時代に手に覚えのあるギターやクラリネット、サックス、エレクトーン、フルートなど、それぞれに楽しんでいた。

苦しんだのは私である。
楽器など習う余裕も買う余裕もない貧乏人の息子である。(ご両親様、こんなことを書いて、あいスマン)
やったこともないドラムを担当した。

ヒェ~~~~~、できるわけないじゃん(T_T)

この企画が決定以来、連日のドラム練習が始まった。ドラムと言っても短期間で私ができるのは、「小太鼓」「シンバル」の二つを組み合わせた変式簡易式ドラムのみ。
曲はサザンオールスターズの「希望の轍(わだち)」

頑張りましたよ練習を。この時は。
だって卒業式だもん。

おかげさまで、何とか形にはなりました。

「希望の轍」

私にとっては生涯忘れることのできない一曲となったことは疑う余地もありません。

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半分教師 第18話 「学年経営」

どういう学校を作っていくのかは「学校経営」と言い、これは校長の責務である。
「学年経営」は学年主任を中心に、その人だけに頼らず、学年の教員全員で創り上げていくものである。私はそう考える。

養護学校時代に私がいた学年は、この学年経営に成功した経験として、私の教員としての財産となっている。何が良かったのか?

私がいた学年は「親分」のような男性と女性の中堅教員がいて、この方々が教員集団のお兄さんお姉さんとして、先行きの見通しを持っていてくれた。その下の年齢には「進路指導」「教科指導」「人情」のスペシャリストと言える方がいた。そこに私を含めた新米教員が常に2名いて、分からないことを先輩に相談したり、やりたいことをどんどんやらせてもらったりと、まるで生徒のように育ててもらった。

バランスの取れた良い学年に4年間恵まれた。

何よりも仲が良かった。
お姉さん役の中堅先生の家に招かれてパーティーをしたり、私もいろいろと企画して、東京湾納涼船のツアーを組んだり、生徒の親も含めたお楽しみ会をしたり。

慣れ合いでもなかった。
私自身、厳しい指摘をされて悩んだことも少なくなかった。

職業柄、心身に変調をきたす教員が出ることも少なくない職場だが、その先生の家まで行って差し入れをしたり、励ましたりすることもあった。

仲の良い集団は自然と学年経営はうまくいく。そういう雰囲気は生徒にも親にも伝わるものだ。同じことが「学校経営」にも言えるはずだ。




私がお手本にしている小学校のひとつに、斎藤喜博先生の「島小学校」「境小学校」がある。斎藤先生が書かれた「学校づくりの記」という本の一説を書き残しておく。


 私たちが、教師として自分たちの職場を明るく住みよいものにするということは、もちろん自分たちが一人の人間として、毎日毎日をしあわせに楽しく生きていたいという願いに出発している。そしてそれは、憲法第十二条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は国民の普段の努力によってこれを保持しなければならない」という条文をふまえたものであり、自分たちの断えざる努力によって、自分たちの職場の中に、憲法の精神を実現し、自分たちをしあわせにし、自分たちを解放して創造的な生き甲斐のある仕事のできる人間にすることである。

 これは、職場の中に、また自分たち自身の心の中にある、さまざまな圧力から脱却することである。それらのものから抜け出し、気持ちが解放されたとき、私たちの精神は生き生きとしてき、表現活動も盛んになり、教育実践も生きた創造的なものになってくる。そしてそのことは教師と同じように抑圧され、表現をおさえられている父母や子どもたちの生き方に影響を与える。

 私たちはこのように考えて職場づくりをしてきた。その結果先生たちは生き生きとしてき、自信を持ち、実践が個性的創造的になるとともに、詩、短歌、作曲、脚本、童話など、自分の創作活動もするようになってきた。解放されることによって、今まで内におさえられて芽を出さずにいたものが、それぞれの形で表現されてきた。そしてそのことによってさらに一人一人が自覚し、みんなの気持ちを一つにすることができてきた。

 私の学校の先生は、みんな輝くように美しい。私は、先生たちをみるごとに、いつも美しいと思うし、よそから来た人たちもそのようにいう。私はこのことがとてもほこりであるし楽しい。

(「学校づくりの記」 斎藤喜博 著  国土社 発行 より抜粋)


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半分教師 第17話 「介助」

養護学校と普通小学校での教員の仕事の大きなちがいは「介助」である。「介助(かいじょ)」とは、一人では生活できない子どもに手助けをすることである。

移動介助、排泄介助、食事介助。この3つが介助の中でも特徴的な介助と言える。


移動介助・・・
車椅子の生徒の中には電動車椅子も操作できない生徒が実はほとんどで、当然自力で車椅子をこぐなどということはできなかった。そうすると、教員が押して移動する以外に方法はない。高等部なので重い子になると最高で100㎏ある生徒がいた。生徒自身も大変だし、押す教員も大変だった。
車椅子への乗り降りも教員の手によるケースが多かった。研修を積んで慣れているから腰痛にはならなかったが、慣れていない人が下手に介助しようとすればぎっくり腰になりかねないだろう。


排泄介助・・・
自力でトイレに行けない生徒が7割。小学部はもっと割合が高くなる。男子トイレには専用の尿瓶(しびん)置き場がある。女子トイレは抱きかかえておろせるように、ベッドがあったり広くなっていたり。


食事介助・・・
脳性まひの生徒は、身体中に緊張が入り、咀嚼(そしゃく)をすることもできない。なんと食道の筋肉も健常者とちがう動きをする生徒もいて、慎重に食事介助しないと食べたものが肺の方に行ってしまうこともありえる。私たち教員にとっては、給食の時間は命に関わる重大な時間である。誤嚥(ごえん)によって窒息死する事故も起こりえる状況で、緊張の中での給食となる。
自分のひざの上に生徒を抱きかかえ、ミキサーにかけてドロドロにした食事を特注のスプーンで口の中に運び、生徒のあごに手を添えて、あごの動きをサポートしながら食べさせるという場面を文字だけで想像できようか?
しかもその体勢の中で、自分の食事もすまさなくてはならない。

しかし、こんなに大変なことを家族はずっと続けているのだ。それを思えば・・・・・ね。

(つづく)

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日光移動教室に来ています

日光はとても良い天気。暑いくらいです。

今日から3日間は担任している6年生と一緒に日光移動教室に来ています。


初日の今日は日光江戸村(写真は花魁道中)で自由行動。子どもたちは安心して行動を任せられる子達なので、引率者としてこれほど楽なことはありません。
助かるぜ!6年生諸君!


さて、昨年の林間学校に続いて今回も「学校ブログ」に生中継しています。
これをやるとご家族は東京にいながらにして、まるで日光にいる気分を味わえます。当然大好評です。
このブログをご覧の方もぜひのぞいてみて下さいね!


保護者の皆様、このブログではコメントをアップする作業ができますので、もし子どもたちへのメッセージがありましたら、この記事のコメント欄に書き込んで下さい。
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楽しみな「ルー・タイス来日記念講演会」

名古屋のNLPの有名な先生である「姫先生」の情報で、私が今学んでいるルー・タイス氏の来日記念講演会があることを知り、飛びつきました。9月19日(金)、日光移動教室の引率から帰った翌日になります。最近体調が10歳くらい若返った感じで、疲れ知らずの井上です(笑)

本当に恥ずかしいほど無知な私なので、ルー・タイス氏の名前を知ったのが1ヵ月半前の7月末です。

まずはじめに、7月27日に参加した研修会で祐川京子さんという方を間接的に知り、すぐに書籍を購入。そこから「アファメーション」という手法があることを知りました。そして自分がすでに600を超えるアファメーションをしていることを裏付けられて、かなり自信を深めました。さらに「マインドマップ+アファメーション+α(このαが最も重要なのだが、それはブログでは絶対に紹介できない分野)」を本気で使えば、いろんな学校で起こっている問題を解決できると気づいてしまったわけで・・・・・まあ、それはそのうち実践検証するとして。

次にこの自分の動きや気づきをブザン教育協会理事の沢田淳子さんに報告した際に、
「アファメーションに関しては、アメリカのルー・タイスという心理学者が創設したIIE(Investment in Excellence=自己実現への投資)というプログラムがあります。刑務所の服役囚の更生までも手助けしたプログラムです。タイスの著書で『望めば、叶う』という本が日本でも出ています。」
というアドバイスを受けることができました。
ここで初めて私の頭に「ルー・タイス」という名前が記憶されたわけで。
やっぱり私、本当に無知です。勉強不足です。

だからアファメーションしました。自己肯定宣言です。
「私は常に成長し続ける。そのために新しい情報をキャッチするアンテナを持っている」

『望めば、叶う』はもう書店では売っていないのでAmazonで購入し、夏季休業を利用して読みました。

そして、そろそろ自分の気づきを具体的な行動に移そうと心の中で機会をねらっていたのが最近だったのです。なんとそこへ恐ろしいほどのタイミングでルー・タイスご本人の講演を聞ける場が目の前に来たわけです。まさに「情報をキャッチするアンテナが機能した」という感覚が身体の中に生まれています。不思議ですね。
「望めば、叶った」わけですね。

9月19日の講演会、大いに楽しんできます。
終了後にマインドマップにしてブログアップすることになるでしょう。

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第24回秋季大島大会

久々の対外試合でした。
伝統ある第24回秋季大島大会に招待チームの一つとして出場しました。

1ヶ月間も試合をしていないと子どもたちはまるで浦島太郎状態で、自分たちで準備体操すら始められませんでした。
何から何まで私の指示待ち。しょうがないのかなぁ・・・・・

でもでも、試合はなかなか良かったぞ!
夏休みの成果は十分出ていたぞ!

夏休み前までは相手のミスでしか点を取れないチームだったのが、サーブで点を取ったし、スパイクでブロックやレシーブをはじき飛ばしたこともたびたびあった。調子の波が大きいのは練習量が少なすぎるからしかたのないことだと思うので、1日の中でどこかで思いっきり「バレーボールをした!!!」という場面を作れたら合格としてあげた方が良いのかもしれない。

今日は第2試合の大島中央戦の第2セット前半10-10まで、第4試合の東雲戦の第1セット19-18までの試合、この2セットが素晴らしかった。特にエースの「強い気持ち」がよく表現されていて、このチームになってから初めて「頼りになるエース」の存在感を感じさせてくれた。

また来週の試合に楽しみを残してくれた。

来週は「ホールブレインバレーボール」で勝負しよう!

「メンタル面をしっかり作り上げてこよう!」

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よく考えたと思うよ!

午前中に移動教室準備のためドンキホーテで大量のドロップと梅しばを購入、その後職場へ。若干の準備をし午後に辰巳小に移動して練習参加。

昨日のブログで「なんで○○なんだ!よりも、○○したのはなんで?」と書いたばかりなので、すぐに実践する。これって以前自分がやっていたことなのだが、本当に忘れていたんですな。記録しておくって大事!

「今、レシーブを外にとばしてしまったのはなんで?」
と問いかけると、子どもたちは少し考えてから、
「ボールが変化したので、つられて面が外に向いてしまったからです。」
「じゃあ、次はそれを気をつけよう。」

「今お見合いをしてボールを落としたのはなんで?」
「・・・・・私が声を出さなかったからです。」
「ならば声を忘れないようにしよう。」

「スパイクがアウトになったのはなんで?」
「・・・・・分かりません。」
「助走の足が逆で、ジャンプのタイミングを間違えているからミスする。正しいステップで10回練習して。」

気の長い指導の連続でしたが、間違いなく「考える練習」をしていました。


ところで、木場のイトーヨーカドー内のスポーツ店掲示板に、辰巳ジャンプの宣伝ビラを貼ってもらうように保護者の方々が動いてくれました。このブログでも、トップ記事に募集案内が来るようにしようと思います。

10月は新入部員募集月間です。

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半分教師 第16話 「修学旅行交流」

高等部の担任になった私は学年の先生たちにいろんなことを教えていただきながら楽しい教員生活を送っていた。そのひとつが修学旅行である。教員1年目が高等部の3年担任。そして高1~3まで同じ学年を継続して受け持ったので、修学旅行には2度行った。

1回目が新潟、2回目が仙台であった。

どうしてこういう場所設定になるかというと、どちらも新幹線で行ける場所ということである。車椅子で、重度重複障害を持つ子ども達を輸送するには新幹線のような座席のゆったりとした、しかも速い電車を使わなくてはならない。
そして障害者を受け入れてくれるホテルも大都市でしか見つからない。


新潟でも仙台でも、地元の高校生との交流会がメインイベントであった。こういう交流を快く受けてくれる高校というのは私立の女子高が多い。赤十字(レッドクロス)の活動を部活動で行なっている学校が私立に多いからだろう。


障害の軽い生徒たちは目を輝かしていた。
何しろ日頃の学校生活ではなかなか交流のできない健常者の女子高生が相手である。ちょっとしたデート気分を味わっていたのではないだろうか。それも良し。ワクワクする体験を旅行中にできること。修学旅行の醍醐味でしょう。


新潟は弥彦のスカイラインから見えた「佐渡島」
仙台の松島で乗船した遊覧船。
その美しさは今でも心に残っている。


養護学校の修学旅行のもうひとつの特徴がある。
「裏・修学旅行」とでも言おうか。
普段は子どもから目が離せず、旅行もできないお母さん達が、私たちが修学旅行に子ども達を連れて行っている3日間、子ども達の世話から開放され、同じ新潟や仙台ではあるが別行動で旅行をし、心身を癒すわけである。
旅行後に話を聞いたところによると、ハイヤーをチャーターしていろんなところを見物できたと喜んでいた。

三位一体の教育(子ども・親・教師)・・・今考えると養護学校はそういう面が本当に強い。そうでないと教育が成り立たなくなる。だから「障害児教育は教育の原点」と言われるのかもしれない。

(つづく)

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半分教師 第15話 「電動車椅子」(14話は非公開)

電動車椅子という乗り物は楽しい乗り物である。
指先ひとつでどこでも動いていける。
改造をすることができるので、手で動かせない人でも、あごを使って動かすことができる。

私が尊敬している卒業生の一人に、世界初の「車椅子お笑い芸人」である「ホーキング青山」がいる。彼もまた、あごで電動車椅子を動かして、地球上のどこにでも出かけていく。お笑い芸人らしく、乙武さんの「五体不満足」をパロッって「笑う五体不満足」なる本も出版し、かなりの売上を出した。
この話題は後日くわしく書こうと思う。

さて、電動車椅子であるが、私もこれに乗って2時間ほど町を散歩したことがある。自分の生徒の乗り物を貸してもらったのである。操作は簡単なので、健常者ならば誰でも運転できる。

運転していて最も感じたことは、やはり人の視線であった。予想はしていたが、通り過ぎる人の100%が私を見ていた。電動車椅子に乗っている人たちはこの視線をいつも感じながら移動しているんだなぁと、分かったような分からないような気持ちがしたものだ。

電車に乗せてほしいというのも本当に勇気がいると思った。
「腹を決めてやるしかない」
そんな気持ちであった。なにせ電動車椅子に人が乗ると100㎏を超える場合もある。人間の力で持ち上げるには重過ぎる。

エレベーターに乗るのもけっこう難しい。
信号で間に合うと思って渡っても間に合わなかったこともある。
もし途中でバッテリー切れしたら一貫の終わりである。(車用のバッテリーのみで動いているので、動き続けて2時間くらいが限度かな)

この電動車椅子体験は、やってみないと分からないことが世の中にはたくさんあることの一例だと思っている。

(つづく)

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半分教師 第13話 「新人奨励賞」(12話は非公開)

かなり前の話になるが、「牛乳パックを使った船作り」という大して目に付かない題名の論文が新人奨励賞として、日本で3人選ばれる中に入った。養護学校から小学校に転勤し、自分の取り組んだ4年間の実践を社会的に問うてみたいと思って応募した実践論文である。


養護学校の授業は学習指導要領を基にできない実態が生徒にある。すべての発想は「ひとりの子ども」から始まる。「始めに子どもありき」である。

養護学校では落ちこぼれがいない。その子にあった授業を行なうからであり、他の子と比べても意味がないからだ。

養護学校には教科書がない。すべての授業は私たち教員が創り上げる。だから毎日打ち合わせがある。小学校では時間がないとみんな愚痴る(私自身もそうだ)が、養護学校の教員のように毎日6時まで打ち合わせをしている教員もいるのだ。(ただし今も養護学校がそうなのか把握はしていないし、そういう勤務実態が良いとは言い難い。)


そんな格闘の中から生まれてきたのが、牛乳パックで人が乗れる船を作ってプールで実際に乗ってみるという授業であった。
乗るのは車椅子の子や脳性まひ、てんかんなど、不安定な舟に乗せるなど到底考えられない子たち。それでも生活経験を積ませるためには乗せてみる。論文受賞の理由はただただその奇抜な発想が審査員の注目を集めただけだったと認識している。つまりアイデア性の受賞と思われる。


どうしてこういう発想が出てきたのかというと、私自身の子ども時代の楽しかった体験を障害児にもさせてあげたかっただけである。
牛乳パックではなかったが、ベニヤ板の舟を池に浮かべて、それに乗って遊んでいたことは、本当に楽しい記憶として私の脳裏に刻み込まれている。

心身に障害があることで、そうしたダイナミックな経験をするチャンスがなく高等部まできた子ども達。安全第一で育てられてきた子ども達。
そうではないでしょ。
できそうもないことでもやってみて、失敗したら考え直してという繰り返しをすることが人を大きく育てるのではないの?
そんな思いを強く持って授業をしていた。


このころの私は、たぶん養護学校の高校生相手に「ガキ大将」を演じていたのだ。
だから授業中にも社会経験を積ませるためと、カラオケに行ったし、「あのお菓子を買って来い」と町に出たこともない子を一人で買い物にも行かせていたのだ。
もちろん安全を確保しての上だが。

(つづく)



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半分教師 第11話 「学校間交流」

養護学校高等部の担任であった私たち教員集団は、単発的に行なわれていたK女子高レッドクロス(赤十字)との交流活動を見直した。

どちらの学校の生徒も本当に友達として分かり合えるようにするためには、単発的な活動をしていてはダメだ。どこの世界にたった1日で相手を理解できる子どもがいようか。何度も何度も交流を深めて初めて分かり合えるものだ。

そんな考えからK女子高の先生とも共通理解し、「通年交流」という活動を始めた。

こちらは自分で動くことも困難さがある障害の重い養護学校。相手は元気いっぱいの女子高生。毎年文化祭や夏祭りなどに招待して交流をしてきたので、「何かをやってあげる」という感覚で接してくるだろうが、きっと心の奥には、接したことのない同年代の障害者との交流には抵抗があるだろう。この壁を破りたいと思った。

年度の始めに1年間を通して交流をしていくことを確認。まずは夏休みの始めに行なわれる養護学校の夏祭りで、一緒にお店を出すことにした。準備も交流の回数を重ねていかないとできない。こうして何回も共同作業をすることで、上っ面だけでなく根が深い交流をしていった。10月の文化祭や、相手校の文化祭でも共同作業をしていった。

こうした経験は養護学校の生徒には心ときめく経験となったようであり、交流校の生徒には「障害者だからかわいそう」というありがちな気持ちを「障害者でも同じ高校生」という感覚に変えていけたのではないかと思っている。


辰巳小の幼稚園交流や塩浜福祉園交流を作ったのは私であるが、その原点がここにある。学校間交流というのは単発的なものではなく、通年交流をしていかなくては本当の成果というものは出ない。この確信はそう簡単には転覆することはないだろう。

(続く)

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