城野駅でひとしきり415系撮影を楽しんだあとは、いよいよ筑豊一周プランの最初のハイライトである日田彦山線へと入りました。3年前の時点ですでに九州一帯は派手な車両が渦巻くところとなっていましたが、日田彦山線を担うのはあくまで質実剛健なキハ47! キハ66・67が走っているうちに来ておけば……とも思ったのですが、まあそれを今さら言っても仕方なし。キハ47のボックスシートに身を委ねて、かつての筑豊における石炭輸送の一端を担った路線の雰囲気を味わうことにしました。
列車はとりあえず、北九州市街の南部をこまめに停車しながら進みます。北九州モノレールもチラッと見えたりして結構びっくり (^^;)。しかし、それも石原町あたりまでで、ここから先は急に山がちな風景の中に突入し、カルスト台地(平尾台)も大きく広がります。頻繁にくぐるトンネルは煉瓦を丁寧に組み上げたもので、苔に覆われたそのたたずまいはまさに筑豊炭田の歴史の生き証人そのものです。そして列車は峠にあたる採銅所駅に到着! したたる緑に包まれ、ただDCのアイドリングと蝉の声だけが響きわたるこの駅も、むかしは石炭輸送や、その名の通り銅の採掘などで賑わったのでしょう。「夏草や……」的な侘び寂びを極めた雰囲気に、ただただ見入るのみです!
さらに進むと、車窓右手には石灰岩の巨大な塊・香春岳が見えます。ここもご多分に漏れず、セメントの原材料として削り取られていますが……手前のセメント工場との組み合わせは何とも言えず、これでもしセメント輸送列車が頻繁に設定されていれば……と思ったりもしました (^^;
そして列車は筑豊炭田の中心地・伊田&後藤寺に到着! かつては石炭車が構内を埋め尽くしたであろう田川後藤寺駅の側線に、キハ47がぽつんと留置されている光景 (1枚目の画像) は、これまた何とも言えない時の流れを感じさせるものがあります……。田川後藤寺の駅のホームと跨線橋、そして駅前商店街そのものも、筑豊全盛時代をしのぶ貴重な遺構となっており、じっくり見て回るのがおすすめです。西鉄バスのターミナルなんて、本当に涙が出そうなほど「昭和」な味わいでした。
そんなこんなで後藤寺からはしばらく別のところをウロウロし、最後に西小倉まで戻ってきたところ、夕方のラッシュに備えて4連で小倉に向かって行く日田彦山線列車を目にしました。都会の真ん中をキハ40系列が長編成 (?) で走るのを見ているにつけ、これからも出来るだけ長い間、日田彦山線がキハ40系列の楽園であって欲しい……と願わずにはいられないのでした。