地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

大福岡の小さな鉄 (10) 平成筑豊鉄道

2007-03-12 00:00:17 | 地方民鉄 (西日本)


 田川後藤寺からは直方まで平成筑豊鉄道に乗ってみることにしました。平筑は、国鉄時代の伊田・後藤寺を中心としたエリアに張りめぐらされた運炭路線のうち、利用者がそこそこ多く、経営努力次第で辛うじて経営が成り立ちそうな路線である田川線・伊田線・糸田線を継承したもので、後藤寺から博多への輸送需要がありそうな後藤寺線や、国鉄末期に営業係数が何と3000を超えて「日本一の赤字ローカル線」というありがたくない称号を得た添田線などは運営対象から除かれています (添田線はもと日田彦山線ながら、伊田・後藤寺を通るルートの完成後は香春〜豊前川崎間の路線として改称。運ぶものがなければ何の役にも立たないということで、80年代に廃止)。
 ともあれ取りあえず、写真で知るかつての筑豊の核心部が今やどんな感じに変貌しているのか、そしてその中を走る平筑がどんな雰囲気なのかを知りたくて、後藤寺から糸田線の客となってみました。
 後藤寺駅の片隅から発車する16m車の100形は、午後のまだ日が高くヘロヘロに暑い時間なのでそれほど乗客は多くないだろう……と思いきや、確か10数人は乗っていました。ここらへんはさすが、三セク化以来運行本数を増やしたことの成果なのでしょうか。JR発足時の時刻表を見ますと、2時間以上間が開くことは当たり前……という感じですから (^^;)。そんなこんなで発車すると、すぐに日田彦山線から分かれ、ボタ山の跡と思われるこんもりとした緑の起伏と民家のあいだを小気味よく走って行きました。途中、いくつかの無人駅が連続しますが、どの駅でも客が乗ってきたのには驚き! 終点&乗換駅の金田に着いたときには、結構な数の乗り換え客がホームに吐き出されました。



 金田からは伊田線の直方行きに乗り換え (↑はこのとき向かいのホームにやって来た田川線直通の行橋行き)。ロングシート・20m車の300形は、ほぼ全ての座席を客で埋めて発車しました。途中、見事な直線の複線がひたすら続き、まるで関鉄常総線を思い出す雰囲気に思わず感動! (^_^) 朝のラッシュ時などは2or3両編成を組んだレールバスがガンガン行き交っているのでしょう。う〜ん、複線非電化近郊路線フェチ (何じゃそりゃ) にはたまらん路線です。そして、ここを昔は石炭を満載した列車が頻繁に行き交っていた……と思うと、今や小綺麗な緑濃い風景が広がる沿線に流れた年月の厚みが胸に迫ってくるようです。
 そんなこんなで平筑線のプチ旅も終了し、直方駅で下車。駅前商店街を「暑い!」と言いながらトボトボ歩いて筑豊電鉄の直方駅に向かい、黒崎までしばしの釣掛三昧を楽しみました。3000形は見かけによらず盛大な釣掛サウンドを奏でてアップダウンを突っ走りますので、いやー快感! (*^^*) 但し、もう時間の関係で撮り鉄するヒマがなかったので、西鉄福岡・北九州市内線の連接車を譲り受けた2000形、そしてブドウ色の非冷房車2100形を含めて、その濃いぃ味わいを探求するのは今後の課題となっています (^^;

 それはさておき、平成筑豊鉄道も開業時に用意したLE-DCが車齢18年を迎えて老朽化したことから、新型車・400形を導入することになり、このたび新潟トランシスからの甲種回送が行われたようです。公式HPによると、会津鉄道のAT-500・600などと同じような車体で、国鉄185系の登場時を思い出すような斜めストライプの塗装もまあイケるのではないか……と思ったら、マスコットの「ちく○る」君が正面にデカデカと……(T_T;;)。いっぽう、シンプルな塗装が良い印象の在来車は、これから続々とビルマあたりに行くのでしょうか? 何はともあれ、非電化複線三セクという独特の存在感を今後も盛り立てていって欲しいものです。旧塗装がなくなる前にまた行かなきゃなぁ……

 福岡の地味な鉄道シーンを扱うこのシリーズは、昨年の秋以来断続的にお送りしてきましたが、取りあえずは今回で締めくくりとなります。長らくお付き合い頂きましてありがとうございました m(_ _)m でも、まだ昨年夏の福岡ネタは続きます……(^^;)。