ここしばらく、個人的なヘタクソ模型製作のほとんどの時間は撫順の電車などフリーランスものに注がれ、それ以外はたまに鉄コレを購入し即N化するという程度でしたが、他に参考にするべきものがなく困難が連続しまくるフリーランス製作を続けておりますと、無性にごくフツーの板キット製作がしたくなるというものです (^^;)。今から1年数ヶ月前までは、板キットに触れることすら心臓バクバクで恐ろしく、GMストアに足を踏み入れても何が何だかさっぱり分からず即座に退散したというのに、我ながらヘボいなりにも進歩したものだと思います (笑)。
そこで新たに、スカ色旧型国電の製作に着手しました。いやその……仕事が激しく忙しいときにストレス解消で買い込んだキットが山のようになっておりますので、それを少しでも切り崩さなければ……ということなのですが (爆)、何はともあれ飯田・身延線でかつて一時代を築いたスカ色の旧国は、私が小学生だった頃の激しい憧れであります。カラフルなHMに彩られた国鉄のブルトレ・特急が全盛で、鉄道少年の誰もがネームド・トレインに夢中だった頃、横浜線や御殿場線で幼児期に体験した73系のうらぶれた雰囲気への限りない思慕を脳内で膨らませる根暗な少年だった私は自ずとそんな風潮に背を向け、鉄道雑誌にたまに載る旧型国電ネタに悶絶していたものでした。そして、遙かなる飯田・身延線の時刻表をしゃぶるように眺めては、自分がスカ色とニス塗り木製車内に狂喜乱舞するさまを思い浮かべるという……(^^;;)。しかし、身延線は1981年に陥落して訪問はかなわず、1983年6月に陥落した飯田線につきましても、小学校の卒業旅行として生まれて初めて一人旅を認めてもらい敢然と訪れたのが最初で最後……。クモハ54108で上諏訪から豊橋まで乗り通したものです……(遠い目)。
こうして半鋼製旧型国電の落日を目のあたりにした12歳の私は、到底満たされない思慕をやがて私鉄釣掛電車に向けるようになっていったのですが、何はともあれスカ色の旧国は私自身の趣味活動におけるひとつの源流でもあります。
というわけで、模型でもそんな初心を確認しがてら、ここらでひとつのんびりちまちまとスカ色の旧国を作ってやろう……と思いまして、まずはGMキットの32・43系列から入ってみることにしました。
しかし、組み始めるや否やただちに「各自研究・工夫のこと」の世界に突入するのがGMキットの手強いところ……(爆)。形状がヘタレた付属のグロベンは使わず、代わりに銀河のパーツを使うのは必須であるとして……屋根のステップが思い切り単純化され単なる突起になっているのはどうもこりゃいかん……。そこで、カッターでバッサリ切除して銀河の屋根ステップパーツを取り付けることに (1枚目左)。しかし、屋根の隅にピンバイスで垂直に0.4mmの穴を開けるというのは、ヘタクソ初心者には難儀な作業でありまして、力加減を誤って高価な (?) ドリルがボキッと折れてしまいました (号泣)。両数を重ねるごとに、こんな作業を繰り返さなければならないとは……(@o@)。まぁ仕方がないのでぼちぼちやります、はい。
また、トイレ化する部分も自分でプラ板を用いて窓埋めせよ……ということでありますが、サハ48 (2枚目左)・クハ47-100番台 (2枚目右) の妻面はまぁそれなりに手を入れやすいとしても、クハ47-100番台の側面細窓は自分で微妙な幅にプラ板を切って作らなければならないという……(@_@)。クハ47-100番台のキットはクモハ43・53と共通の側面となっているがゆえの苦労です (苦笑)。
というわけで、下ごしらえ段階でのカスタマイズに恐ろしく (?) 気を遣うキットでありますが、ぼちぼちマイペースで作業を続け、へっぽこなりの自己満足に浸ることが出来ればと思う次第です。さらにいずれは流電クモハ52や、中間車を改造したクモハ53007・008などなど……揃えようとするとそれこそいくらでも揃えたい車種があるのは恐ろしいですね (笑)。
ある程度仕込んだあとの検討課題は……肝心要のスカ色をどうするか?ということ。GMのスカ色用塗料、クリームが赤っぽかったり、青が暗過ぎたり、どうもしっくり来ないという……。近鉄特急用紺+西武レッドアロー用アイボリーの方が無難なのでは?などと思案しているのですが、いずれ色見本をつくって太陽光と室内光の両方で検討してみようかと……。果たしてこの先どうなることやら (^^;;