地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

会津鉄道新旧交代 (2) キハ8500最後の活躍

2010-04-13 00:00:00 | 地方民鉄 (東北)


 草臥れた塗装のキハ8501+04、鬼怒川温泉にて発車を待つ……。



 この日は会津田島で車両交換。2編成とも動くシーンを撮影可♪



 乗り換え終了後キハ8502+03発車! 激しい煙で画面が……(滝汗)。



 雪に覆われた雄大な那須連峰の北部をバックに8501+04が佇む……。

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 名鉄の高山線直通特急「北アルプス」用として1991年に新造されながら、バブル崩壊と並行道路の整備による利用客の落ち込みがたたり、僅か約10年でその活躍を終えたのが、薄幸の豪華DC・キハ8500……。しかし「捨てる神あれば拾う神あり」という言葉通り、東武スペーシアとの連絡による会津観光ルートを盛り上げるべく、会津鉄道が「AIZUマウントエクスプレス」として再デヴューさせたのは周知の通りです。以来キハ8500は、厳しくも美しい自然に恵まれ、かつ会津中街道筋の歴史を秘めたルートで日々活躍を続け、たまに東武~野岩~会津ルートでの乗り鉄旅を楽しむ者としても、キハ8500に乗って得られた極上・珠玉のひとときは何者にも代え難いものがありました。
 しかし、ただでさえ厳しい経営環境に置かれた第三セクター・会津鉄道にとって、言わば超高級外車といっても過言ではないキハ8500の保守整備はかなり手を焼くものであったらしく、しかも近年のデフレ経済とともに急速に台頭した激安高速バスは時間を要する東武~会津若松ルートから客を奪って行きました……。加えて、一昨年には白河と下郷を結ぶ甲子トンネルが開通し、首都圏と南会津を結ぶ交通地図が塗り変わってしまったなど(新幹線経由の方が速い)、キハ8500の持続的な運行にとって何一つ明るい材料がなくなってしまったのは如何ともし難い事実……。そこで会津鉄道は、AIZUマウントエクスプレスの運行を続けるとしてもキハ8500の保守を打ち切り、主力車両と同じ新潟トランシス製軽快DC (NDC) に代えることを決断、先月下旬にはAT700・750形が会津田島に到着、このたびついに公式HPにて新型・AIZUマウントエクスプレスの登場が告知されました……。また、それに先立ち去る3月20日からキハ8500さよなら記念切符が発売され、いつキハ8500が離脱してもおかしくない状況となっておりました。
 そこで、「正式な引退日時が告知されて撮り鉄・乗り鉄が殺到する前に、野岩・会津ルートの旅で大いに楽しませてもらったキハ8500を最後にもう一度味わっておきたい。そして、予備編成が会津田島に佇む姿も存分に記録しておきたい……」と思い、浅草7:10発の東武快速に乗って一路鬼怒川温泉を目指したのでした。

 なお、今回の日帰り行は甥っ子(この春から小2)のおまけ付き。彼は悪い叔父さんの影響で(いや、自宅のすぐそばを京急が走っていることもあると思います)電車大好き少年になりつつありながらも、如何せん両親が横浜及びその近辺の出身ということで、幼稚園以来の「鉄トモ」や他のクラスメイトと同じように盆や正月などの帰省の長旅を味わうという機会がなく、そもそも南関東近辺から外に出たことがないことを激しく負い目に感じている様子……。まぁ私も全く同じような幼少期を過ごしていましたので(→だからこそ特急など望んでも自分の小遣いでは絶対に乗れないと諦め、何とか関心を持たないように努め……その結果釣掛式電車ヲタ→通勤・近郊型メインヲタに ^^;)、その気持ちは痛いほど良く分かります。
 しかし彼と私の最大の違いは……彼には鉄ヲヤジな叔父さん(=私) がおり、その叔父さんは「その気があるならハードな鉄旅に連れて行ってやっても良いぞ」と手ぐすね引いて待っているということ。そこで「春休みにはどこか遠くへ連れて行ってやる」と前から約束していたのですが、当日直前になるまでは私自身も「どうせSVOや新幹線あたりに乗りたいと言い出すのだろう」……と多寡をくくっていたのでした。しかし……甥っ子曰く「とにかく東京・神奈川・山梨ではない遠くに行きたい」とのこと。そこで「これは……甥っ子引き回し旅とキハ8500を結びつけるチャンス!」と思いまして、恐る恐る「す~っごく長い時間列車に乗って、福島県の会津田島ってゆーところまで行くけど、それで疲れたりしない? スペーシアと、AIZUマウントエクスプレスっていう豪華な列車にも乗せてやるぞい」と振ってみたところ、「ふくしまけん?! かんとーちほうじゃないんでしょ♪ スペーシアにも乗れるの?! 行く行く!」と大はしゃぎ (爆) 「やっぱ、それほど未知の世界と未乗の車両に憧れていたのね……さすがオレの甥っ子」ということで、自宅に来ていた甥っ子を翌日朝4時半にたたき起こしていざ出発! (笑)

 東武6050系の車内から、澄み切った青空に雪化粧した男体山・女峰山の大パノラマが広がるのを楽しみ、やがて鬼怒川温泉に到着しますと……ををっ!キハ8500様が2番線にてお出迎え……(*^^*)。今まで乗ってきた快速の発車を待ってさっそく編成写真を撮影したのですが、やはり最近は廃車前提で使われて来たためか、車体の褪色はもちろんのこと、車端部を中心として塗装のひび割れが激しいという……(T_T)。寒冷で、しかも会津鉄道自体が資金不足な環境のもと、8年間必死に奮闘してきた跡が車体全体に滲み出ているかのようです……。
 その後は、甥っ子の記念写真をしばし撮りまくっていたところ、発車15分前くらいにいよいよ乗車開始! 車内は外観と全く異なり清潔で良好な状態が保たれており「ホッ」と一安心……。さっそく、最後部の席(先頭車両は早々と並んでいる「鉄」が複数いるため避けました。それにすぐ後ろを向けば後部パノラマを楽しめますし)をキープして座ってみたところ、体全体が吸い込まれるかのような極上の座り心地も勿論健在! ただ、トイレで用を足した甥っ子の話ですと、トイレだけは掃除が行き届いていないようです……(そういえば数年前に乗ったときもそうだった……-_-; お食事中の方には失礼 ^^;)。
 さて、特急「日光」連絡の鬼怒川公園行および御スペの到着を待って、いよいよ定刻から1~2分遅れで発車! 客の入り具合は先頭車が10数人、後部車が10人少々といったところでしょうか……。会津観光自体がシーズンオフで、「鉄」のお名残乗車もまだそれほどでもないことを加味しますと、やはりこんなものなのかも知れませんが……嗚呼もったいない! もっとも、空いている分だけ快適に楽しめるということはありますが……(出張リーマン4人組さえ乗ってこなければ -_-;)。
 肝心の走りですが、最徐行を強いられる鬼怒川温泉~新藤原間はさておき、野岩線内に入ると一転快調に……と記したいものの、キハ8501の床下からは時折「ガリッ」というイヤな音が聞こえて来るという……。私は機械屋ではないので詳しいことは全く分かりませんが、やはり保守にさまざまな困難をきたし、不調に不調を重ねてきたことが廃車の最大の要因なのだろうという現実を思い知らされたのでした……。雪晴れの絶景が広がる車窓風景と、それをさらに優雅に演出する車内アコモデーションの組み合わせは最高に素晴らしく、トンネルを通過するたびにしっとりと車内を照らす間接照明も絶妙この上ないだけに、ますます悲運の車両の最後の奮闘に哀愁を感じずにはいられないのでした……。
 男鹿高原周辺の荒涼とした山岳風景を眺め、国境の山王トンネルを抜けると、いよいよ会津鉄道線内へ! 甥っ子は「ふくしまけん!」と大喜びで、私も久しぶりに眺める南会津の美しい山村風景にしみじみ。会津田島までの下り坂は廃車間際のAMEXにとっても何の苦もなく、ついにこの日限定の終点(→車両交換)・会津田島の4番線に定刻通りに到着しました。向かいの3番線にはキハ8502+8503が停車しており、乗り換え終了を待って発車ということに。そこで、今回は田島までの私と甥っ子は速攻で構内踏切を渡り、順光線に照らし出されたキハ8502+8503 (この2両の方が塗装の状態が良いようです) の力強い発車を激写! そして、間もなく入換を行い留置線へと引き上げたキハ8501+8504も激写! いやはや、キハ8500の現役4両すべてが動くところを短時間のうちに記録出来たのも幸運だったとしか言いようがありません……。

 ともあれ、キハ8500はこうして短命で薄幸な運命に間もなく幕を閉じようとしていますが、私鉄DC史上における最高傑作と言っても過言ではない車体と性能は、飛騨そして会津へと向かう多くの鉄道旅行愛好者の心に残るひとときを提供し続けてきたことは疑いなく、悲運の名車という言葉こそこの車両にはふさわしいでしょう……。引退間際に私自身が改めて素晴らしい旅を享受できたことを喜びとしてかみしめつつ、20年に満たないその活躍を労いたいと思います……。