地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

さよなら、京成開運号編成3298F!

2007-03-25 14:24:04 | 都市民鉄 (首都圏)


 京成の赤電塗装を復活させた3200形の片開き扉車・3298Fは、1日だけ開運号として走るなど、新年早々多くの鉄道ファンの熱い注目を集めながら走ってきましたが、それもついに今月28日限りとなってしまいました……(T_T)。個人的には、復活開運号は結局仕事で行けなかったのですが (号泣)、金町線ではそれなりにじっくりと撮影する機会を得まして、古き良き時代の京成とはかくも優雅なものだったのか……という思いにふけったものです。しかし、その後は多忙で、本線・千葉線の出来るだけ多くの場所で撮ろうという思いを果たせず、気がついてみたらもう引退数日前になってしまいました (汗)。
 そんな折も折、いつも某所でお世話になっており、当ブログにもコメントを下さっている「あまのじゃく」さんから、土曜日はB57運用に入りそうだとのご教示を頂きまして (ありがとうございました!)、たまたま土曜の午後からの仕事を前にしたちょうど良い時間に高砂~上野界隈を走ることから、「この機会を逃してはならない」という決心で撮影して来ました。



 特に今回重点を置いたのが関屋駅です。まずは望遠レンズを駆使して荒川からのカーブを曲がってくるシーンを激写! う~ん、思い起こせば、数年前に撮り鉄に復帰したのち京成に本格的に興味を持ち始め、初めて撮影をしたのがここ関屋駅でした。しかもそのとき、3298Fも姿を現したのを思い出しました。そして今や、こうして3298Fが通過している鉄橋の下を、東急8500系がガンガン往来しているわけですから……ここ数年のあいだに本当にいろいろなことがあったなぁ、と改めて思い起こさずにはいられません……。
 その後上りホームの上野方に陣取り、上野から折り返してきた3298Fを撮影! 現行ダイヤではこの位置で普通電車を撮影しますと、上下の列車がかぶりやすいという問題があるのですが、ぶっつけ本番では見事クリヤ! その後一気に成田方へ移動し、発車シーンも撮影することが出来ました \(^o^)/ 
 こうして、荒川鉄橋へと去って行く3298Fを見送りながら、最後まで無事故で、素晴らしい姿を披露してくれてどうもありがとう!と念じたのでした。。こうしてまたひとつ、片開き扉の電車が消えて行くのですね……。

銚子電鉄訪問記07.02 (4) デハ1002

2007-03-24 23:43:55 | 地方民鉄 (銚子)


 少々時間が開いてしまいましたが (いつもこればっか ^^;)、2月に再訪した銚子電鉄撮影記録の最終回は主力・デハ1000です。このとき、2両あるうちの1両・1001は、検査費用を確保できるまで休車扱いとなり、外川駅の側線で「澪つくし号」と連結されて寂しそうに寝ていました。とはいえ、次長さんのブログを前に拝見していたところ、ぬれ煎餅の追い風を受けたことにより、そろそろ来月になるとデハ801が検査入りの予定で、1001の交換用車輪の準備も進んでいる云々という話題が取り上げられておりましたので、復活もそう遠い先のことではないのでしょう。
 ともあれ、1001が復活待ち、801がもうすぐ検査、701はやや小ぶりとなると、当面はデハ1002を最重要戦力として、何が何でも使い続けなければならない状況が続くのでしょう。銚子電鉄で最も良好な状態の車両ながら、やはり屋根まわりを中心に傷みも目立ちますので、何とか無事で走り続けて欲しいものです……。



 そんなデハ1002の写真、今回もいろいろな場所で撮影しているのですが、前に君ヶ浜でのシーンをアップしましたので、今回は少々趣向を変えて笠上黒生と犬吠を行くシーンをアップしてみました (^_^)。南欧風?の犬吠駅も、ちょいと徒歩で南に下るとあら不思議、至ってのどかな風景に早変わりしてしまいます。しかし、銚子電鉄沿線でもこの付近は最も潮風が強いようで、畑から吹き寄せてくる土砂で道床が埋もれやすいことから、現在着々と進められている枕木交換の最初の工事は、私が撮影しているこの踏切のすぐ南側で行われていました。
 ともあれ、これからは少しずつ貯まりつつある資金によって、線路まわりや車体にも少しづつ改善が加えられて行くことになるのでしょう。それを楽しみにしつつ、さて今度はいつ銚子を訪れようか……と早くも思案をめぐらせております。まあ18きっぷシーズンの土日は外した方が良さそうですね (実際、列車によっては寿司詰め状態とか……@o@)。

消え行く韓国国鉄旧塗装・車両 (3)

2007-03-23 00:02:06 | 韓国の鉄道


 先日発売された『鉄子の旅』第6巻では、初の海外取材として韓国・嶺東線のスイッチバックの話が載っていましたが、撮影に没頭しすぎてソウルに戻る列車の時間に間に合わなくなり、奥の手としてふだんは旅客扱いをしないムグンファ号の扉を特別に開けてもらった……という話は、お世辞にもほめられたものではないとはいえ、同時にどこか人情深いものがありました。まあ、これこそケンチャナヨという韓国語に象徴されるような「何とかなるさ」精神のあらわれかも知れません (^^;)。最近の日本の場合、この手の緊急臨時停車は、受験の際に間違って優等列車に乗ってしまったという以外にはあり得ないことだと思われます (それも本来禁じ手ですけど ^^;)。
 そんな韓国ですがこのたび、今年の初秋あたりに出張で2週間ほどソウルに滞在しながら、ヒマを見つけて撮り鉄することがほぼ決まりました。さてと……しばらく放り出していた韓国語の勉強を再開しなければ……。
 というわけで (?) 、4年前に撮った韓国国鉄旧塗装シリーズの最終回は、在来線の最速列車・セマウル号です。



 1970年代末頃から、2004年の高速鉄道KTXの開業に至るまで、韓国国鉄の最速・最豪華列車として君臨してきたセマウル号の「セマウル」とは、韓国語で「新しいムラorコミュニティ」の意。まあ要するに、1978年に暗殺された朴正熙大統領の独裁政治のもとで進められた社会刷新運動としての「セマウル運動」にちなんでおり、むさ苦しい政治臭がプンプンと漂ってきます (汗)。しかし、実際のセマウル号はそんなことを全く感じさせないほどハイ=クオリティな接客設備で、しかも圧倒的に速い! KTXの開業後も、鉄道を利用する韓国人の多くは「高い割には新線区間が部分開通で大して速くなく、椅子も狭い」KTXよりも、ほどほどに速くて超快適なセマウルを好んでいるためか、いつでもセマウルの切符は買いにくいようです (汗)。私も、1枚目の画像を釜山駅南側の陸橋で撮影してからソウルまでセマウルに乗車したのですが、釜山からソウルまで常に満席! 韓国人の知人に窓側の席を予約してもらって本当に助かった……感謝ハムニダ……という気分でした。
 そんなセマウル号、大部分の列車はPP式ですが、一部はDL+客車という編成でも運行されています (2枚目の画像。大田発光州行き)。個人的にはこういうデコボコ編成の方が好きかも (笑)。
 こうしてKTXの開業後も割と安泰に見え、ブルーを基調とした新塗装になりつつあるセマウル号も、長期的には韓国が独自開発中の振子式電車に変わって行くようです。新幹線0系を思い出すような (?) ステンレス製の車体が消え行くのは寂しいことですが、だからこそ出張撮り鉄では記録に励もうと思っています。

相鉄新塗装記念・新6000系さよなら運転

2007-03-22 09:52:00 | 大手民鉄 (相鉄)


 先日相鉄から発表された、会社創立90周年記念・新CI戦略の目玉としての車体塗装変更につきましては、リンク頂いている「さすらい館Returns」「MINTETSU Teacup Autopage」さんでも触れておられるのをはじめ、すでにネット上で波紋を巻き起こしているようです (^^;)。いろいろ眺めておりますと、総じて「相鉄=赤だと確信していたので、何故?」という反応が多いように思われます。
 しかし、長年にわたって相鉄沿線に住んでいる者としまして、今回の新塗装戦略は、むしろ相鉄の伝統色だった緑を再確認し、青く脱皮させるものなのではないかと思っています。……というわけで、新塗装発表を記念しまして、約3年半前に復活旧塗装姿とともにさよなら運転を行った新6000系の雄姿をアップしてみましょう。
 このたび新塗装とともに消えることが決まった銀or白+赤帯という外装は、もともとアルミ車体の試作車・モハ6021が登場したときに正面ドアを赤くしたのが始まりで、そのイメージを半鋼製2000系の車体更新車である2100系に応用して以来、徐々に勢力を広げてゆきました。しかし、それが鋼製車一般にも波及しなかったのは、恐らく「田舎の砂利運送鉄道・大東急の末端路線から都市型鉄道へと脱皮しはじめた原点としての5000系以来、相鉄を象徴する色は緑だ」という発想があったからではないかと思われます (どこかでそのような記述を目にした記憶も……^^;)。



 ただ、こうしてその後も8000系や9000系の増備が続き、代わりに緑系の色をまとった新旧6000系や3000系が廃車になっていったにもかかわらず、相鉄のシンボルカラーは引き続き緑だったと思われます。「S」字をもとにした社紋は黄緑色でしたし、新7000系を用いたイベント車両も「Green Box」でしたので……。
 10000系が長年にわたる赤帯新車から一転して、青緑帯+山吹色帯といういでたちで現れたとき、もちろん個人的に「走るんです」には感心しなかったわけですが (爆)、ラインカラーについては原点回帰&リニューアルを感じたものでした。「あ……これは旧塗装の濃紺と深緑を足して2で割ったあの色をもとに、さらに明るさと彩度を上げて青に振ったものだな……。そして裾の山吹色は6000系の後継車らしさの現れかなぁ……」と (^^;)。
 そしてこのたび、全車両の色を10000系に合わせることにしたのは、相鉄車両の都心乗り入れ、そして他社車両の相鉄線内乗り入れを控えて、相鉄のイメージを統一してアピールしようという狙いがあるのでしょう。もちろん、もうひとつの新しい伝統となっていたアルミ車の赤をやめてしまうのは寝耳に水ですが……(^^;
 ともあれ、新塗装車の営業開始が待ち遠しいです。すでに神奈川新聞HPの「鉄道ブログ」には、新塗装9000系の正面画像もアップされており、なかなか似合っています。しかし……う〜ん、あれれ? 青っぽい画像だということを割り引いても、10000系の帯色よりも青みが増しているような気がします。PDFの画像での「相鉄ブルー」は10000系の現行色と変わらないように見えるのですが、これは果たして緑と縁を切って完全に青に移行するものなのでしょうか?! 実物を見るのが一番早いので、そのうちかしわ台に見に行ってみなければ (汗)。
 いっぽう、公式発表のPDF記事には、7000・5050系のイメチェン図が載っていませんでしたが、恐らくJR乗り入れ用車両の新造を急ぐことにより、3年以内に全廃されるのでしょうか (号泣)。
 相鉄・小田急・東急田園都市線と、どこも慣れ親しんだ存在のタイムリミットが続々と示され、ますます焦りは深まるばかり。新6000系のさよなら運転、わずか3年半前の話だというのに、もうだいぶ昔の話になってしまった気がします (-_-)。

今はなき元静鉄車・福井鉄道300形

2007-03-21 17:06:09 | 地方民鉄 (中京北陸)


 静岡鉄道の車両を連続して扱いましたついでに、もと静鉄300形あらため福井鉄道300形をアップしてみましょう!
 静鉄300形は、地方私鉄の車両として非常に珍しい自社長沼工場の作品です。いや、地方私鉄に限らず大手私鉄でも自社工場製というのは余り例がないはず。パッと思いつくところでは西武所沢工場がありましたが、今では外注になっており、新興勢力のJR新津が圧倒的な規模を誇るという感じでしょうか (その製品が趣味的に面白ければ良いのですが。-_-)。あと地方私鉄では、近江鉄道が釣掛車や西武の部品を組み合わせ、220形を自前で製作しているのが最近の代表例でしょう。
 おっと、話が横道にそれてしまいましたが (^^;)、静鉄がかつて長沼工場で車両製造を手がけていたのは、恐らく他に静岡・清水の市内線やナローの王国・駿遠線なども抱え、それなりに一部門として成り立っていたからではないかと想像します。それでも、RP誌1984年の東海甲信越私鉄増刊号によりますと、これらの路線が消えるにつれて車両製造部門も昭和44年に整理されたとのこと。昭和41・2年に3編成が製造された300形は、その技術を示す最後の集大成だったことになります。



 300形は1000系の増備によって80年代中頃に廃車となりましたが、3編成すべてが福井鉄道に譲渡されたのは、静岡と福井のどちらも都市間短距離路線として性格が似ており、使い勝手が良かったからでは……と想像しています。
 ですが、福井入線にあたっては、前パン化・冷房化・大型排障器とステップの取り付け・国鉄廃車発生品ボックスシートの流用など相当大がかりな改造が加えられ、いかにも福井らしい電車になっているなぁ〜という感じがします。大きな車体を揺らしながら併用軌道をのんびりと走り、福井口からは一転してかなりデンジャラスな走りを見せていたのは、福井を訪れるたびに味わっておきたい楽しみのひとつでした (*^^*)。
 ただ、最大の問題は……3本中2本が広告ラッピングの対象となり、標準塗装車 (今回アップした画像) にはなかなか遭遇できなかったことです。訪れてみたら西武生に入庫で、300形の標準塗装を撮りたい!という狙いは全く空振りになってしまうこともありました……。
 そんな300形も、登場後約40年となり、昨年のちょうど今ごろ、岐阜600Vの車両たちと入れ替わりで廃車となりました (>_<)。その直前には、車体も車内も相当ボロボロ……。旅客数が減少し、昼間は小型連接車でも間に合うようになってしまった中、まさに目的と天寿を全うして廃車になったのでしょう。地方私鉄の良き時代がまた一つこうして去って行くのだなぁ……という哀しみにふけりながら、ボックスシートに揺られて300形の乗り納めをしたことが思い出されます。