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地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

フリーランス電車二題を妄想切り接ぎする

2014-04-20 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 仕事でグッタリ疲れると、頭の中を空っぽにしたまま別の何かを無我夢中でやりたくなる……そんな経験をお持ちの方は少なくないことでしょう。というわけで、個人N工作史上最凶のケツ作・相鉄3000系をはじめ、未完成の仕掛品が山のようにあるというのに、またやっちまいました……いつ完成するとも知れない新たな切り接ぎフリーランス工作を! とにかく何も考えず、脳内の片隅におぼろげに浮かんだイメージに促されるままに、寝る間も惜しんでシコシコと、GMの板キットをみじん切りにしてくっつけヤスリまくる……。ほとんど病んでますね、はい (爆)。
 そんな、完全に終わってる脳内風景の写し絵のような最近の切り接ぎケツ作のうち、一点目はクモハ12 040の側面を流用した17m級車両です。事の縁起は……今から遡ること約4年前に、飯田線旧国の中でも珍品の中の珍品と思われるクハ47 011を製作するにあたり、正面・運転室扉・屋根についてはGM板キット・クモハ12 040を流用したのですが、その結果余った客室部分側面は長らく放置状態が続いておりました。しかし昨年、相鉄3000系旧国車体(タイプ)の製作に着手し、ロクサン車両であっても側面窓の大部分はクハ76のそれを利用することにしたため(GM73系板キットをそのまま使うと、3段窓を2段窓にするために1段分切り落とした跡がズラリと並ぶことになって美観を損ねるだけでなく、上段と下段の間が不自然に太くなってしまいます)、側面客室部分を活用したあとには湘南顔パーツと運転席扉部分の余剰が大量に発生……。そこで、クモハ12側面と、クハ76正面まわりを組み合わせ、ボロいけどキュートな (笑)電車を作ろうと思った次第です。気が変わってDCにしてしまうかも知れませんが……。



 いっぽう二点目は、戦災復旧客車オハ71にインスパイアされた準戦時設計大型電車というイメージです……(汗)。個人的に、堂々と美しい風格の車両は大好きですが、その一方で海千山千なやっつけ車両や、諸々の必要に迫られて出現した地味過ぎる車両にもグッとくるものでありまして、とりわけ「折角それなりに整ったデザインでありながら、一時的な間に合わせ的性格が強く、状況の変化により呆気なく消えた車両」には、実物をナマで見てみたかった……という思いとともに強く思い入れてしまうものであります (^^;)。そんな車両のひとつとして激しい思慕を抱かざるを得ないのがオハ71! とにかく戦後間もなくの極端な車両不足を補うために戦災車両を叩き直したポンコツ車両に過ぎず、昭和20年代末までに救援車や荷物車に用途変更されてしまい、20m級3扉客車というジャンルを確立することはなかったわけですが、もし鋼体の強度・ドアの幅(極端に狭い)・車内アコモ(戦時ロクサン同然の酷い椅子)を大幅に改良した量産型が登場すれば(勿論その際には形式名は変わったことでしょう)、日本の客車列車史は相当変わっていたものと推測します。とりわけ、台湾で普通車・平快車用として引き戸・片開き2ドアのロングシート客車(日本製で、一部は行包列車で現役)、あるいは回転クロス・両開き2ドアのインド客車を目の当たりにしたり、あるいはミャンマーで日本風デザインな3扉・4扉のロングシート客車がガタピシ走っているのを目の当たりにしますと、なおさら「嗚呼!オハ71!」という思いが募ってしまうのであります (アホか!)。
 というわけで、だったらオハ71を作ったろか……と思うものの、あの小振りな2段窓をどうやって、マシ35板キットを湯水のように消費しつつ切り接げば良いというのでしょうか (鬱)。そして、あの狭い引き戸も板キットでは手に入りません。したがって、オハ71そのものを作ることは、酔狂で完成させた撫順ジテタイプ電車を作るよりも壮絶な困難が予想されるのです。模型メーカーが、オハ71などという恐ろしくマニアックな車両に手を染めて完成品やキットを売り出すことは未来永劫ないでしょうし……寂しいのぅ。
 しかし、オハ71的なデザインを活かして別のフリーランス車両を勝手に作るのであれば、それほど難しいことではありません。というわけで、マニ60(ドア間窓)・マニ35(車端部窓)・73系(ドア)・クハ47 050 (運転室扉)という組み合わせで、20m級電車を作ってみることにしました (笑)。具体的な設定としては……「WWⅡの推移により戦時輸送の需要が高まり、製造工程と部品を簡略化した通勤車両を大量に補充する必要が生じたものの、まだ決戦色(=敗戦色)は強くなく、戦前の段階で培われたデザインセンスも活かした20m車が設計され量産に移行した」という感じでしょうか。鉄道省の場合、戦前型国電の華やかな時代が、両開き扉のサハ75(山手線用試作で終わり戦災焼失)を経て、一気にロクサンへと移行してしまったわけですが、私鉄の場合には東急3650形や名鉄3550形など、試みがなかったわけではないでしょう。いっぽう、もう少々時局が進んでしまうと、幻の東急戦時設計電車のように、屋根が平らで窓配置もナゾな怪物の出現にもつながる可能性があったわけですが……。
 というわけで、そんな実在する私鉄車両と「ロクサン&東急戦時設計的センス」の間を取って、「灯火管制のことを考えて戸袋窓は省略し、日除けを一段落としの鎧戸とすることから、窓は小型化して幕板を深くするものの、極力デザイン面でのガックリ度を避ける」という考慮がなされた……という空想設定をしてみた次第です (滝汗)。そして、ロクサンがその後大量に量産されたという歴史ではなく、こんな車両が鉄道省・私鉄を問わず昭和20年代半ばまで大量に量産され、昭和50年代まで活躍を続けた……という感じでしょうか。
 問題は……何色に塗るかですな (汗)。車体組みはこれからですし、一応まずは2連での落成を目指しますので、ゆっくり考えれば良いのかも知れませんが……。

第五ジャカルタ炎鉄録 (32) 東葉高速1000赤縁

2014-04-19 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 既に複数のメディアが伝えているところによりますと、日本政府は外国からの観光客を増やして国内観光産業を盛り上げるべく、昨年から東南アジアの複数の国を対象に短期の観光ビザを免除にしておりますが、これが非常に大きな効果を上げているのをうけて、近々インドネシアからの観光客に対してもビザを免除する方向で調整(事実上の準備作業?)を進めているようです。Selamat datang ke Jepang! とくに個人的には、ジャカルタでのヲタ活動を通じ、鉄道とヲタ、そして鉄道と一般民の関係のノリが割と日本と似ていることを感じて親しみを覚えるにつけ、インドネシアの鉄ヲタの皆様が気軽に日本で鉄活動出来るようになれば良いなぁ~と思っておりましたので、このような動きは大歓迎です。もちろん、まだ日本との所得差などはあり、インドネシア国内の格差もまだまだ深刻なわけですが、既にインドネシア国内で鉄活動できるほどの中間層であれば、ここ数年の経済発展に鑑みて、日本自由旅行鉄活動をするのにそれほど大きな負担を感じないようになるのは時間の問題でしょう。まぁ、残る問題は……ハラール(イスラーム的価値に適合)な食べ物を出すメシ屋やコンビニが全然少ないことでしょうか。今すぐ日本国内のあらゆる食サービスに対してハラール認定を進めるわけにも行きませんので、来日されるムスリムの皆様は、明らかに豚とアルコールに由来するものを自ら避けて頂くということで御容赦を……と思うわけです。



 というわけで、ジャカルタの東葉高速の続きです。現役3兄弟のうち、1060Fについては1年ぶりの訪問で目に見える変化を確認出来た反面、1080・1090Fにつきましては基本的に変化無し! 故障しにくいメトロ5000軍団の一員として、朝から晩までボゴール線の主力として大活躍しておりました。1080Fは東葉高速社紋=ガルーダの紋章があり、1090Fはそれが外されている……というのが違いです。
 総じてメトロ5000系は非常に性能的に安定し、かつクーラーの効きも絶好調ですので、個人的な印象では余程のことがない限り、あるいは交番検査や昼寝などで車庫に引っ込まない限り、全編成が毎日必ずといって良いほど走っているような印象があります。本質的に全く同じ車両である東葉高速1000系もまた然り (笑)。個人的には東急ファンですので、乗る際にはなるべく東急車に当たりたいと思うものですが、東急車のクーラーがヘタレ気味であることを考えるにつけ、クーラーがガンガンに効きまくった東葉高速車の車内におさまった瞬間「ま、これでもいっか」と思ってしまうのでした (^^;)。

-------以下は鉄道・インドネシアと全く関係ありませんので閲覧注意-------
 ちなみに、今回のインドネシア・ベトナム・フィリピンといった国々に対する観光ビザ免除予定は、C国人に凄まじい衝撃を与えているようです。ウチの怪社のC国人若手社員数人が力説するところによりますと、「C国の発展はこれらの国々よりも上であり、収入も我々の方が多い。なのに何故、彼らが日本観光ビザ免除で、我々は収入証明やら何やらの書類を用意し、複雑な手続きで日本観光ビザを取得しなければいけないのか……。C国には確かに反日なヤツもいるが、あれはC国の恥だ。周りの知り合いはみんな日本大好きで、日本観光に行きたくて仕方がないのに、仕打ちを受けているようで悲しい」とのこと。まぁ私が思うに、最近のC国人中間層の中には考えや行動が洗練された人々もそれなりに増えているのは確かで、日本が好きな人には是非観光してナマの日本の姿を知って頂きたいと思いますので、気持ちは痛いほど分かります。しかし、お宅の国は党と政府があの調子ですから……。C国自体が地球全体の縮図であることを考えれば、都市の中間層のことだけを考えるわけにも行きません。こう説明したところ「そうですよね……」とガックリしておりました。
 そして思うに、これは日本政府によるC共への結構強烈な間接パンチでもあるのではないか……と。日本にも気軽にノービザで(あるいはアライバルビザや米国ESTAに似た簡易な事前手続きのみで)やって来ることが出来るようになり、C国パスポートを持つことの悲哀を将来にわたって感じたくないのであれば、C共こそ日本への態度を改め、自国を誰の眼にももっと良い国にして行く必要があり、またC国人民もC共のせいでこうなっているのだということをもっと自覚せよ……という日本からのメッセージにもなるでしょう。乱筆失礼しました。


生駒山麓の公共交通 (2) 近鉄8000系列

2014-04-18 00:00:00 | 大手民鉄 (近鉄)


 近鉄奈良線100周年の記念レトロラッピングは5800系に貼られることになりましたが、個人的には出来ることなら、8000系列に貼って欲しかったなぁ~と思っているところです。とくに8000系列は、900系で確立された大型車体及び技術をベースとして、50年前の新生駒トンネル開通に合わせて製造が開始されたという記念すべき車両であるからです。勿論、現役で活躍している8000系列の主力は、新製冷房車として登場した8400系以降の車両となっており、当初非冷房で登場した8000系は残り僅かとなっているわけですが、8400系にしても今年は登場45周年を迎え、今や十分に古参車両と言えるでしょう。そんな系列が新生駒トンネルとともに約半世紀を迎え、しかも良好な保守によって現役バリバリ、今でもこうして優等10連の先頭に立つとは、何とも痛快な話です♪



 そんな8000系列の始祖にあたる900系につきましては、このたび近鉄が事業者限定鉄コレとして発売すると予告しておりまして、「これは久しぶりに近鉄鉄コレキターッ!」という喜悦の叫びを上げられた方も多いのではないかと存じます。近鉄の鉄コレが何故絶えてしばらく出なかったのかにつきましては、ネット上で様々な憶測が流れていたようですが、どうやらそれも思い過ごしであったらしく、出るときには出る!ということが分かったとは嬉しいですね♪ 
 但し……個人的には今回は買いません (爆)。マイクロの「近鉄8000系・登場時非冷房・クリーム&青帯・2+2の4連セット」を持っておりますので、わざわざ関西まで買いに行くほどではないだろう……と。
 しかし今こう記したところで、ピコーン!とある事を思いつきました。そうだ……近鉄が何故レトロラッピングを最も似合いそうな8000系列に貼らなかったのか……? それはズバリ、生駒トンネルイヤーのリバイバル塗装第2弾として、新生駒トンネル50周年のタイミングに合わせてクリーム塗装を8400系or8600系に塗るからなのではないか……と。勿論、これを記している時点では、アホな関東人の戯れ言・妄想に過ぎませんが、ひょっとすると正夢……になると良いなぁ~と思うものであります。あ、その前に……久しぶりに養老鉄道にも行ってみたくなりました。

福井鉄道・冬の熱い一日 (2) 揖斐線770形

2014-04-17 00:00:00 | 地方民鉄 (中京北陸)


 既に廃車が始まった福井鉄道200形は、ラッシュアワーにおいてこそ絶大な輸送力を発揮しますが、ラッシュが過ぎると一気に大柄な車体を持て余すのも否めない事実。そこで周知の通り福井鉄道は、2005年に一斉に廃止となった名鉄岐阜600Vの車両を、当時子会社であった誼でもらい受け、2006年の春から運用しているわけですが……以来既に8年経ったとは、本当に時の流れは早いものです (こりゃぁ~道理で自分自身のヲッサン度も増してしまうわけだぜ! ^^;)。



 そんな名鉄岐阜600V軍団のうち、個人的にみて最も活躍しているように見えるのは770形。いつ訪れても (って、それほど場数を踏んでいるわけではありませんが ^^;;)、武生や北府で寝ている度合いは低く、検査時を除いてフルに動いている印象があるのですが、そもそも770形が併用軌道での低速運転と鉄道線での高速運転の両方を視野に入れて製造された車両であることから、同じような路線条件の福井鉄道においてもまさにドンピシャなハマリ役なのでしょう。
 したがって、最近の福井鉄道を撮るということは、半分くらい (?) 770形を撮ることを意味しているようにも思えるのですが (んなこたぁない?)、昨年1月の撮影時においては770形の広告ラッピング度が低下しており、標準塗装姿を撮り貯めることが出来たのは嬉しいですね☆ 以前は地元紙スポンサーのQちゃん電車やら何やら、余り撮っても有難味が湧かない (ファンの方には失礼! ^^;) ラッピングも多かったなぁ……と記憶しておりますので。というわけで、標準色が増えた770形を、これからの緑が濃くなる季節でも是非撮影したいものですが (とくに併用軌道だけでなく郊外で!)、果たして何時になることやら (汗

泰緬鉄道の旅 (2) スイッチャーで客車入換

2014-04-16 00:00:00 | タイの鉄道


 トンブリー駅で客車を激写しながら、のんびりまったりとした中にも次第に客が増えて賑わいを見せるホームの情景を眺めておりますと、やがてタイ人客がそわそわし始め、私自身も「あれ……何かヤバくないか?」という懸念が生じて参りました。ラチャブリー発・7時10分着の2連DC通勤列車はフツーに到着し、サラヤへ向けて折り返したものの (サラヤは、バンコクの西の街外れにあたる小駅)、その後に来るべきランスアン行普通列車がいつまで経っても入線しないという……。要するにこの列車は、ランスアン発・トンブリー6:40着の快速列車の折り返しであるのですが、タイ国鉄名物・怒濤の遅延のため、そもそも到着していないということなのでありました (汗)。
 では、肝心のナムトク行は……? ネットであれこれ泰緬鉄道乗車記を検索したところ、割と長い編成でやって来るということではないか……。しかし、目の前にいるのは4連と2連でしかなく、両者を足しても長いとは言えない……。さりとて、朝のナムトク行編成は別の場所に留置され、トンブリー駅に回送されて来るという話も聞いたことがありません。



 では、真相は果たして如何に?!……その答えはすぐに明らかとなりました。何と、ロングシートの最古参級客車も含む4連こそ、トンブリー発ナムトク行の編成そのものだったのです! (滝汗) しかも、側線に留置されていた編成に本務機が連結され、客は線路の上を歩いて客車に乗り込むということではなく、まず北側の機関区からスイッチャーが駅東側に出て来て、編成のバンコク寄りに接近・連結ののち一旦全編成が東側引き上げ線に持って行かれ、そのうえで2番線に押し込むという、何とも魅力的な入換を始めたものですからビックリ仰天! 駅舎西側のトイレに近いあたりで、使用停止となった腕木信号機をスナップしながら佇んでいた私は「しまった!美味しすぎる入れ換えをあっちの方でやっている!」と泡を食って、数多の客をかき分けて猛ダッシュ……(^^;;)。辛うじて、編成を2番線に押し込むシーンを激写しまくったのでした (爆)。
 それにしてもこのスイッチャー、専用線用・産業用という雰囲気の面構えがなかなか良いですし、色褪せた塗装もグッド♪ 加えて後ろには旧客ということで……またいずれこの入換シーンはリベンジしなければいかんなぁ、と思っております。
 それはさておき、結局この4連がナムトク行で、うち1両は既述の通りロングシート。いっぽう手前の紫塗装の車両は、半室が乗務員控室、もう半室が僧侶専用席ということですので、一般客は乗れません……。というわけで結局、ほとんどの客は2両目と3両目のボックスシート車 (2両目は1950年代日本製の半鋼製車。3両目は日本10系客車タイバージョンのマッカサン工場ライセンス生産車) に集中し、乗車開始とともにてんやわんやの大騒ぎに! とくに、7時30分発のランスアン行がそもそもトンブリーに到着していないため、ナコーンパトムあたりまで行くと思われる (実際ほとんどその通り。もちろん中にはカンチャナブリーまでの客もいました) タイ人利用客もナムトク行に集中し、発車時点までにボックスシートのほとんどはタイ人と西洋人観光客(そしてチラホラと日本人観光客+鉄ヲタはこの日私一人)で埋まったのでした……(超滝汗)。
 誰だ!ナムトク行はトンブリー発車時点ではガラ空きの快適♪などと書いたのは……。これはひとえに、タイ国鉄が最近ナムトク行きを最初から最後まで長大編成で運転するのを止め、カンチャナブリーからタムクラセー桟道橋の間のみ乗りたい外国ツアー客のために、カンチャナブリーでボックスシート客車を5両増結し、「特別席」と称する座席指定車としているからであります……。まぁ確かに、カンチャナブリー駅やクウェーヤイ川鉄橋駅で大挙して待ち構えるツアー客の皆様が、全車自由席ゆえに右往左往するよりも、タイ国鉄が最初から300バーツという結構な御値段で指定席を売りつけ、外国人や旅行会社も安心して座席を確保する方が、両者にとって便益を最大化出来るというものでしょう。
 というわけで、トンブリーから100バーツ (カンチャナブリー以遠へ行く外国人限定の、泰緬鉄道保存協賛特別外国人運賃)を払って長時間乗車し、かつ進行方向左側のボックスシートを断固ゲットしたい方は、とにかくトンブリー駅に早めに着いて、席取り合戦に勝利するしかなさそうです。まぁ、ランスアン行がフツーに先発していれば、ナコーンパトムあたりまでのタイ人利用客はそちらに流れるでしょうから、ナムトク行は外国人個人客ばかりとなってもう少々車内に余裕があるのかも知れません。
 しかし……近年世界的にタイ観光が大いに脚光を浴びるのみならず(とくに、エキゾチックなオリエンタリズム的思慕を抱きながら、そこそこ便利・快適な旅をも楽しみたいという白人観光客に超人気!)、タイ人中間層の拡大によってバンコク市民も中距離観光を気軽に楽しむようになり、泰緬鉄道はとりわけスペシャルな車窓展望の路線としてタイの内外問わず人気を博する中では、トンブリー発の一般車とカンチャナブリー増結の特別車との分離という政策も空しく、阿鼻叫喚の世界が待ち構えていたのでした……(@o@)。バンコクでどれだけ政情不安があろうが、バリケードとデモ会場の外側では至って平常通りの賑わいがある中では、外国人の誰もが「まぁタイほどの国なら安心して訪問出来るだろう。マイペンラ~イ」とタカをくくり、実際に押しかけておりましたので、政情不安なら観光列車も空いているだろうという「期待」は一切無駄無駄! そして、もし政情不安がなければ、もっと怒濤のように外国人観光客がナムトク行目がけて押しかけるのではないかと……(超滝汗)。では、そんな中でどのように鉄ヲタ活動を貫徹すれば良いのか?! その個人的な答えは、待て次回!(誰も期待してねーか ^^;)。