東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

日替わり「イワン・デニーソヴィチの一日」

2007-10-28 18:48:52 | 社会・経済

10月28日:

この小説は三人称のかたりなんだが、実際は「イワン・デニーソヴィチ・シューホフ」の視点で語られる一人称小説に(近い)。意図的にこういう叙述にしたのか、目的や仕掛けがあるのか流し読みしかしないオイラにはわからない。いずれにしても、読んでいて時々混乱することは事実だ。

新潮文庫で読んでいるのだが、初版は昭和38年だ。単行本はその二、三年前に出ているのだろう。いまごろそんなものを読むのかといわれるが、オイラは原則として100年以上前の小説しか読まない。ちゃんと理由があるのだがそれはいずれ述べよう。オイラとしては、半世紀もたたない小説を読むというのは異例のことなんだね。

むかしからソ連時代の軍隊と旧日本軍(昭和の軍隊)はよく似ていると思っているが、この小説を読むとその思いが深くなる。似ているといっても昭和の日本軍だ。明治でも大正でもない。源三位頼政より明治維新まで続いた武家政治の戦闘集団でもない。まさに昭和の珍現象とでもいうべきものがある。たとえば「生きて虜囚の辱めを受けず」という東条英機の発布した戦陣訓だ。文章は島崎藤村が考えたらしいが。

10月30日:

96-97ページにイワン・デニーソヴィチが収容所に入れられた経緯が書いてある。彼と戦友の5人はドイツ軍の捕虜となったが、脱走して原隊に復帰した。ソ連軍はドイツ軍のスパイになったから釈放されて送られてきたのだろうと疑い、自白を強要する。検事の作った自白調書を認めて署名すれば収容所送り、拒めば銃殺ということだ。勿論彼には収容所に行くしかなかった。少なくともしばらくは生きていられる。

他の箇所にも同様の理由で収容所に送られた囚人の話が出てくる。これは「生きて虜囚の辱めを受けず」とまったく同じだ。ソ連や更級の抗日勢力の捕虜となり脱走して原隊に復帰した日本軍兵士は相手のスパイになったと一方的に決め付けられて自決を強要された。

ソ連の場合、捕虜を取らないのが一般的であることが背景にある。つまり投降してきた敵の兵士は殺してしまうのである。これが「捕虜を取らない」という意味である。アメリカ軍も太平洋戦線で日本軍兵士に対しておおむね同様の方針であった。足手まといでいつ逆襲してきたり脱走するかもしれない敵兵士は皆殺しにするのが掟なのだ。食料も余分にいる。貴重な戦闘員を監視役に割かねばならない。収容所を作り維持しなければならないからだ。だから殺されないで帰ってくればスパイになったから帰ってこられたと疑われるのだ。

ま、戦場では「捕虜をとれる状況」と「捕虜を取れない状況」が厳然としてあるわけだ。もちろん、「捕虜を取れない状況」のほうが圧倒的に多い。利口な手だね。あとで映画「戦場にかける橋」も作られないし、「バターン死の行進」などと戦争犯罪で裁かれることもない。戦場の合理性というわけだ。欧米の合理性にはこの手のものが多いから注意しなければならない。

勿論投降してきたときの状況が、自軍の状況に十分の余裕があるときは捕虜を取る。強制労働にも使えるし、温情をかけたようにして後々宣伝懐柔に使えるからだ。

11月4日:

皮膚感覚について述べよう。小説や文章では作家によって、あるいは作品によって厳然たる皮膚感覚の相違がある。一つには作者の好み、技量の卓越、欠陥それに叙述のシチュエイションが求める皮膚感覚が異なるということがあるからである。

収容所ものというとドストエフスキーの「死の家の記録」を思い出す。ほかにも収容所小説はあるのだろうが、オイラが思い出すのは「死の家の記録」だけだ。皮膚感覚とは、別の言葉でいえば印象的な叙述、つまり記憶に残る叙述ということだがソルジェニーツィンとドストエフスキーでは明瞭に違う。

スターリン独裁下の「イワン・デニーソヴィチの一日」では零下30度という厳寒のつらさが全編に貫かれている。また極限の飢餓状態状態である。19世紀中葉の(前半だったかな)ツアーリ帝政下に書かれたドストエフスキーの「死の家の記録」では寒さのつらさは読後の印象には残っていない。もっとも大分前に読んだので、現在途中まで読み返しているのだが、やはり記述そのものがない。

零下20度という記述はあるのだが生々しく皮膚感覚に訴えるものはない。むしろこんな環境にあっても印象に残るのは、再三記述されているのは獄舎のなかの暖炉の上に這い登って聖書を読みふける旧教徒のすがたであり、囚人が時々連れて行かれる市中の浴場のすざましい灼熱地獄の描写である。

飢餓、これは文学にはなべて共通の描写の対象である。戦争文学、収容所小説、犯罪小説、社会派小説みなしかりだ。飢餓がなぜ皮膚感覚だっていうの? 喉に手を突っ込んで胃袋を引っ張りだしてみねえ。皮膚と繋がっているだろう。

さて、「イワン・デニソーヴィチの一日」は四六時中極限の飢餓状態に置かれている囚人の様子が印象的に描かれている。「死の家の記録」ではどうだ。はっきりいって飢餓は描かれていないと断言できる。盗みを働いて入ってきた囚人が白いパンや肉の入ったスープを食べて「うまれて初めてこんなうまいものを食った」なんて言っている。

ドスとエフキーの小説で印象的なのはアルコールに対する囚人の渇望である。監獄ではどこでも飲酒は禁じられている。これを非人道的待遇というのはどうかと思うが。ドストエフスキーの小説はどれでもアルコールへの渇仰がふんだんに描かれているが、「死の家の記録」も例外ではない。「悪霊」、「罪と罰」、「カラマーゾフの兄弟」などすべての小説でアルコール依存症の描写を除いたら彼の小説はスカスカになってしまう。現代でいえばドストエフスキーの小説はドラッグ小説といってもいい。

続きは別に稿を起こした、(日替わり「イワン・デニソーヴィチの一日」2)をご覧ください。