(最初からおびえるな)
だれも報告を見ないうちから150-200億円を無駄金とは言っていないと思うがな?
それをのっけから「無駄金批判は受けて立つ」というのは何かに脅えているからではないか。フロイト流にいえば「潜在的原罪意識による錯言」ということになる。やましいことがなければ、詳細な報告書を出しますから精査をお願いしますと言えばすむことだ。
こういうのを、下世話では「語るに落ちた」ハナシという。
12日の産経新聞「日本よ」の最後の段落はひどすぎる。倫理的なコンクリートブロックが欠落しているのだろうか。ダムの崩壊は間近いのか。
これが石原くんの本音の部分か。彼はおそらく生涯で初めての挫折だろう。そのショックで本性が現れたか、あるいは老耄による欠損か。
都の危機的な財政を立て直したといばるが、それは都知事の当然の仕事だ。これまでの知事がひどすぎたにしても、あくまでも比較の問題だ。石原くんは前任者よりはよくやったかもしれない。
自分から銅像を建ててくださいと言うものではなかろう。
余剰が出てきたからオリンピック招致に使うのもよかろう。大義名分がたって、活動の内容が納税者に納得がいくものならば何も問題はない。しかし、余剰を作ったのは石原個人だから、それを何に使おうが勝手だとか、どう使ったか報告する必要がないといえばキチガイあるいは犯罪人になる。
君は知事として当然の職務を果たして財政を立て直したとしよう。作られた金は都の金庫に納められるべきものだ。いいかえれば都民に返されるべきものだ。その金をつかうのに、都民の承認が必要なのはあたりまえではないか。
聖書のどこかにあったが、主人から留守中のブドウ園の管理をまかされたものが、儲けた金が主人の金で主人に返すべきであるにもかかわらず勝手に管理人が懐にいれた話がある。
それと同じだ。