東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

いろいろな暴力*におい*2、すわ色情狂か(スリー・ライナー)

2006-09-07 03:42:54 | 街にあふれる暴力

聴覚障害、視覚障害は自分ですぐに分かるが、臭覚障害は自分ではわからない。このごろ女性の臭覚障害者が多いのは一人暮らしが多いからだろう。老婆の白粉の付けすぎも嫁夫婦と同居していればすぐに家族が気がつく。

若い女にも臭覚障害者が激増している。田舎から出てきて一人で暮らしている女が増えたのだろう。臭覚障害は栄養摂取の偏りでも起こる。ダイエットなどするとイチコロで発症する。

満員の地下鉄なんかで香水をシャブシャブつけた若い娘がいる。色情狂かと思って観察するとそうでもない。本人が分からないのだ。まず、ダイエットによる偏食からきている。ほっとくわけにも行かない。臭気の襲撃は暴力的だ。イキを止めれば死んでしまう。


産経は架空インタビュー記事をでっち上げたのか・幾何学的序列5

2006-09-06 05:38:43 | 社会・経済

一の七 富田未亡人はしゃべるなら国会証人喚問で

産経などにこそこそと怪しげな話をせずに国民の前で質問に答えなさい。産経はあの記事で世論の疑問を解消して、メモに正当性があるという印象を与えようとしている。平成の天一坊ともいうべき陰謀である。富田未亡人は国会で証人喚問を受けるべきだ。いや、国民の前に出てくるという意味ではテレビで中継される参考人招致から始めるのかいいかもしれない。

富田未亡人は81歳と高齢である。体力的な問題はないか。ない。諸君10月号の上坂冬子氏の会見記によれば、夫人はぶっ続けで四時間にもわたる対談に、疲れも見せなかったという。また、上坂氏の産経正論欄への投稿を見て、直ちに上坂氏の著書を入手し、つぶさに読んで翌日には長文の質問状を上坂氏に送ったという。体力的にはまったく問題ない。

メンタル的にはどうであろうか。奇矯な人物であることは上坂氏の対談でも産経新聞のインタビューでもわかる。しかし、上坂氏との長時間の対談を介添え人の助けも無くおこなっている。また、ぼけているなら、産経が一面にインタビュー記事を載せるわけがない。産経が架空のインタビューをでっち上げているなら別である。言動におかしなところがあっても、参考人招致に耐えられないほどの痴呆状態ではないと判断できる。

ところで上坂冬子氏は相手が間違いなく富田夫人であると、どのようにして確認したのか。ちゃんと手順は踏んでいるのだろうか。夫人が普段から補聴器を使っていることは確認したのか。

国会に籍を置く有志諸君、早急に参考人招致の手続きを取りたまえ。平成の大岡越前守いでよ。おのおのがた、謀反でござる。ご油断めさるな。

しかし、81歳というのは高齢だ。普通は後見人とか、介添えがいるものだ。大抵は子供とか親族がするものだが、彼女の場合は上坂氏のインタビューに誰も出てこなかったようだ。これも妙だ。日経記者が問題のメモを81歳の老婆から相対で入手したとすると、譲渡などの法律行為の有効性が問題になるのではないか。甘言で老婆を篭絡する。リフォーム詐欺など高齢者相手の詐欺の一種とも取られかねない行為があったのではないか。証人喚問には勿論日経記者も呼ぶべきである。

そういえば、今日は待ちに待った新聞協会賞の発表日だ。産経は日経の記事が入賞するようアシストするために、富田夫人のインタビューをのせたのかな。友情インタビューだ。日経の記事は入賞したのかな、いつごろ分かるのだろう。

http://www.pressnet.or.jp


姿を現した?富田未亡人:幾何学的序列4

2006-09-05 05:44:42 | 社会・経済

1・1 産経新聞はその役割を終わったか。命題の真偽を述べよ。  正論路線の行方

産経新聞はもとに戻ったね。もととは何時ぞ。森善朗君が新米記者だったころかな。その頃はマイナーな経済紙、企業新聞といったところ。日経には及びもつかないが一応格好だけ。日経といっても当時のことだよ。経済紙としては権威があった。

産経は企業の御用聞きみたいなもので、左翼的組合が全盛期だったから、ある会社が御用組合を立ち上げるといえば、左翼組合つぶしの記事をでっち上げるというようなことをやっていた。かなりブラッキーなもので業界紙的なところがあった。

その後、気がついてみたら正論路線とかいっていいことを言うようになった。その功績は認める。いまでも産経はマイナーだがその当時は3Aといった感じね。しかし、富田未亡人の会見記を臆面も無く載せるようではもとに戻ったようだ。誰の指図かしらないが。救いはあまりにもひどい記事のために記者がわざとそういう風に書いて消極的な抵抗をしたのかな、と取れないこともないことだ。

1・3 森善朗は産経に影響力ありや

ところで、本屋にある政界紳士録のようなものを立ち読みしたら森善朗氏の職歴はただ新聞記者とある。どこの新聞社と書いていない。たしか産経と聞いたことがあるな、と本屋に確かめにいったのだが、会社の宣伝はしちゃいけないと遠慮したのかな。

念のために他の議員のページを開くと、中川秀直氏なんかは日本経済新聞記者と誇らしげに書いてある。

オイラも馬鹿だ。帰ってから気がついてインターネットで検索した。ヤフーで調べると大学卒業後昭和35年から3年間産経新聞記者をしていたとある。ヤフーのは書式が同じようで会社名まで書けといわれたのだろう。これから見るとマイナーな産経にいたことを森善朗氏は気にしていたとみえる。

日経(中川)ゴール、産経(森)アシストという構図かな。新聞が政治屋の走狗になってはいけない。


いろいろな暴力*におい*1

2006-09-04 06:13:25 | 街にあふれる暴力

抵抗手段が無いということが暴力の基準とすれば騒音は上位に来る。しかし、耳栓という手もある。防御手段が無いのはニオイだ。マスクでは全く効力がない。そういう意味ではもっとも暴力的だ。まさかガスマスクをつけて歩くわけにもいかない。

人口密集地ではニオイの暴力も多い。人が放つ暴力には屁というものがある。都会特有の人工的な迷惑なニオイでは、排気ガスなど。ニオイ攻撃が有効なのは無風で密閉された空間である。わたしはエレベータに乗らない。シンドラー以外のエレベータにも。

臭覚というのも目や耳と同じで年とともに衰える。老婆は白粉のニオイが分からないのか、ぼけてつけたのをすぐ忘れるのか。これでもか、と幾重にも厚く白粉を上塗りする。老婆の慰安所であるデパートのエレベータで乗り合わせると襲ってくる。これを防ぐにはイキを止めるしかない。幾度失神しそうになったことか。


幾何学的序列3 二つの記事

2006-09-03 09:06:57 | 社会・経済

前文 次の二つの記事の比較から出てくるものを検証する。

9月1日産経1面昭和、天皇のお人柄「伝えたかった」 富田メモ公表 夫人語る(一のニ)

諸君10月号 上坂冬子 「富田メモ」 夫人を訪ねて(一の四)

インタビューの日時はいずれの記事にも示されていないが、上坂氏のものが早いと考えられる。また分量も多いから上坂氏の文章をもとに比較する。

一の四の一

上坂氏のところへ冨田夫人からの封書が届いたのは7月22日という。質問状というか詰問状だったらしい。便箋4枚に女子大生のような勢いのいい字で、びっしり書かれていたそうだが、上坂氏は簡単に要約して紹介しているだけだ。要約してみると大した内容ではなかったのかもしれない。

日経に富田メモがスクープとして出たのが7月20日の朝刊。その記事を読み、マスコミ各社が安易に日経の記事を受け入れているのに危惧を抱いた上坂氏が同日産経に原稿を送ったのが翌日21日の産経正論欄にのった。その翌日22日の日付で富田夫人が詰問状を出している。手回しがよいというか、素早い反応におどろく。しかも手紙を出す前に、夫人は上坂氏の靖国問題についての本を書店に買いにやらせて一晩で読了したうえで質問状を書いたというのである。81歳の老婆というが、その敏捷さ、エネルギーには驚く。ある意味ゾンビのようで不自然さを感じさせる。

プロの作家というものは、意に満たない文章を書くときには、それとなく文章にそのことをにおわすテクニックがある。読むほうが気がつかなければそれまでだが。もっとも、執筆者がその自分でも不満を意識せずに、結果として文章に現れることもある。この文章にも随所にそのような引っ掛かりを見つける。上記の経緯を書いたあたりにもそんなニュアンスを感じた。

インタビュー場所は「鬱蒼と木々の茂る山荘で」とある。ここでも富田家の別荘となぜ書かないのか気になる。「ブルーのマニキュアがよく似合う」そうだ。これもそこで「。」だが、作者の言外の意を感じなければなるまい。なお、上坂氏は手紙を受け取って連絡しようとして大分探したらしい。つまり手紙の住所ではそのころから連絡がつかなかったということだ。

夫人の言葉の引用は産経新聞では上坂氏の文章の四分の一以下なのに、8箇所に及ぶ。上坂氏の文章ではメモの内容と関連した直接引用は二箇所のみである。これも引用するほど内容のあるものがないと上坂氏が判断したのだろう。上坂氏の文章は間接的な方法で夫人の異様さを背後から光を当てて浮き立たせる意図が感じられる。表面的にはそんな表現は全く無いが。

上坂氏との対談は四時間にもわたったそうだが、諸君の記事はわずか4ページ、対談の内容はほとんどない。上坂氏も処置なしの発言ばかりだったのではないか。夫人の面子をつぶさないようにようやく4ページまで膨らましたという感じだ。

ところで7月21日の産経正論欄を読んだ。産経は日経と違ってネットに載せてくれているのは感心である。上坂氏の文章はあまりに安易に昭和天皇の言葉としてマスコミの裏書を得てこの情報が通用して政治的議論に利用されることを心配するものであった。

つまり、メモをだした富田家や夫人を非難しているわけでもない。この記事を読んで、作者の本を取り寄せて研究し、翌日に長大な詰問状を出す衝動にかられるようなものではないということだ。富田夫人というのはよほど偏狭な性格で自己主張が強く、自分が日経に渡したメモが20日の日経に出ることを事前に知っていて、全新聞、全テレビの報道に神経を尖らせていたとしか考えられない。

しかも産経はマイナーな新聞である。産経まで目をとおすということは他の全紙にも目を走らせていたということだろう。普通の家庭ではしないことだ(産経さん、ごめんなさい)。

これがすでに異様なことである。81歳の老婆にとっては。ご本人は記事が出たあと、はやくも所有者不明の豪勢な山荘に潜んで気に入らない記事には文句をつけようと待機をしていたということになる。

夫人のコメントそのものについては長くなったから別の機会にするが、彼女の頭を疑わせるものが多い。産経がわざわざ見出しにした昭和天皇お人柄伝えたかったというのはどういう神経だろうね。


幾何学的序列2 富田未亡人大いに語る

2006-09-02 10:47:16 | 社会・経済

合祀について

ニの一 富田メモの問題点:

いわゆる富田メモについては次の三点が問題になる。

二の一の一 信憑性、受け手の日ごろの願望と一致:

メモの信憑性が疑わしいのは一瞥明瞭であるが、信憑性があると主張する専門家、マスコミが多い。理解に苦しむところである。拙稿 富田メモ演習シリーズ、富田未亡人国会参考人招致シリーズで縷説。

メモの受け手の日ごろの思想、信念、願望と一致するが故に信じるようだ。保阪正康なる文士などは昭和天皇の遺書だと血迷ったことを言うが、あれが、遺書の体裁をとっているか。遺書というのは死を前にしておこなう厳粛なものだ。あんな得体の知れない殴り書きが遺書とは、一般人の場合でも認められまい。裁判所で遺書として検認を受けることなど思いもよらない体裁である。第一、シンカン(自筆)ではない。

二の一のニ  世論誘導、合祀問題の論じ方:

あのメモをもとに菊の御紋を振りかざす如く世論を誘導しようとしている。最初からそれが目的で仕組んだように思われる。それも、日ごろ天皇制を批判している連中が菊の権威を大衆に振りかざす。墳飯ものである。あるいは加藤紘一のように日ごろから中国の意向を受けて平気で天皇の政治利用を行ってきた前科のある連中が格好のものが手に入ったと浮かれている。

二の一の三 公務員の倫理基準

明らかに公務員の守秘義務に違反する。最近の警察官による内部情報流出の風土を作り出した元凶といえる(拙稿「警察不祥事の風土」参照)。遺族の取り扱いも訴追の対象となる。諸君10月号に出た上坂冬子氏の訪問記によると、富田未亡人は確信犯的で活動的であり、積極的に自己の正当性を主張するエネルギッシュな人物らしい。

81歳でも手の指にブルーのマニュキュアをしているという。きっと人前に出て公の場で喋ることが好きな人物であろう。十分に国会の証人喚問に耐えうる健康状態と判断する。特定のマスコミを選んでゴチャゴチャと都合のいい記事を書かせるのではなく、国会で、国民の前で主張すべきである。

二のニ 戦前の合祀基準、手続き

戦前の靖国神社の規則には「国事に斃れたものを祀る」とある。幕末15年間に死亡してまつられた人物のなかには戦死したものはいない。いずれも、刑死、獄死、自刃、誅殺、活動中の事故死である(諸君10月号 小堀桂一郎氏 天皇のお言葉とはなにか)

二の三 戦後の合祀基準、手続き:

昭和28年第十六国会で全会一致で、戦争犯罪裁判での刑死者と獄死者は公務死とみなす決議を採択した。これがA級戦犯合祀の根拠であると上述の論文で小堀氏はいう。この間の事情はもう少し精査する必要がある。決議の目的は軍人恩給の支給を可能にすることであると思われるが、当然のこととして靖国合祀が含意されていたのか。あるいは決議に明瞭にその旨記されているのか、確認する必要がある。この決議はA級のみならず、B、C級戦犯も含めての話であると思われるが、ABCを区別した議論があったのか、など。こういうことがデータとして示されないと、にわかには判断しがたい。

二の四 国会決議、厚生省の合祀名簿作成、提出:

上記決議後、靖国合祀までにかなりの経緯がある。この間、合祀問題がマスコミ、国会で話題になったことがあるのか。なければ、そこに何らかの合意が存在していたのか。その後の経緯は次の通り。

1953年(すなわち昭和28年) 公務死とみなす国会決議

1959年 厚生省が戦犯裁判での公務死亡者も靖国神社への合祀対象となる通達を出す(上記小堀氏の論文による)

1966年 厚生省がA級戦犯の「祭神名票」を靖国神社に送付

      筑波宮司は合祀を実施せず(預かり)

1978年 松平宮司が合祀する

その間、国会、言論界、マスコミでこの問題に対する議論があったのか。なければ暗黙の、合祀するというコンセンサスがあったとも言える。

それでは遅滞は何を意味するか。

1953年から1959年までの6年間の遅滞

1959年から1966年までの7年間の遅滞

1966年から1978年までの12年間の遅滞

何らかの政治力学的な要素が存在したのか。これらを明確にしないかぎりこの問題に対する十全な議論は期待しえない。この辺をあきらかにするのはマスコミ、論者の責任であろう。


三代四皇子のわがまま

2006-09-02 08:08:48 | 社会・経済

昭和天皇と良子妃との婚約問題、いわゆる宮中某重大事件である。お互いに表立っては周りのものが騒いだ事件だが、昭和天皇は元老たちの意見を採用しなかった。ある意味で最初の「自己主張」であった。このことの評価は難しい。ただ一ついえることは、大正デモクラシーという汚泥のなかに狂い咲いた右翼の言論活動、大衆示威運動を勢いづかせ、自信を付けさせたということである。太平洋戦争末期には軍部が右翼を押さえ込んだが、昭和初期には「税金泥棒」と電車のなかで罵られ軍服を着て町を歩けなかった軍人がのしてくるのに右翼の力は大いに貢献した。

次は今上天皇と民間財界人の家庭からの美智子妃である。戦後の象徴天皇制に一つの形を与えるのに成功している。美智子妃のご性格と実家の慮りがよい結果に結びついている。

さて、現皇太子と雅子妃殿下である。女性週刊誌ではないが、大きな問題を抱えている。将来も皇室制度の根幹に影響する波乱が予想される。

秋篠宮の場合もご意志(わがまま)を通された例であろう。しかし、報道から拝察するに、ご本人の性格と実家の配慮から美智子妃のケースに似ているように思われる。

ご結婚にあたって相手の性格と実家の心構えが重要なのは、恐れ多いことながら地下の事情と異ならない。しかし、皇室の場合は、とくに民間出身者を選ぶ場合はこのことはきわめて重要である。


幾何学的序列に基づく富田メモの新展開解説のための資料1

2006-09-01 20:55:56 | 社会・経済

一の一 産経新聞はその役割を終わったか。命題の真偽を述べよ

              正論路線の行方

一の二 9月1日の産経新聞朝刊一面に載った記事

 昭和天皇お人柄「伝えたかった」

 富田メモ公表 夫人語る

 叙述の形態と内容の問題点

一の三   森善朗は産経に影響力ありや

一の四 産経新聞社発行雑誌「諸君」10月号

 上坂冬子 「富田メモ」、夫人を訪ねて

 上坂冬子氏の工夫のあとを見る

一の五 日本経済新聞は朝日、読売の執拗な購読勧誘に環をかけ    

    たセールスをするようになってから荒廃したが、最近産 

    経は日経路線を真似しだしたのか

一の六 諸君10月号 

 小堀桂一郎 天皇の「お言葉」とはなにか

    上坂冬子執筆の7月21日産経新聞「正論」コラムへの

    言及がないのはなぜか

一の七 富田未亡人の健康状態は国会証人喚問に応じられるか

    上坂冬子氏の報告を参考にせよ


いろいろな暴力*音*3(三行ブログ、字余りなし)

2006-09-01 06:59:50 | 街にあふれる暴力

環境モルモンの影響だろう。若い女が野太い声を出す。高校生あたりから早くも男みたいに声変わりする。もっと早いかな。初潮前後からかもしれない。

地下鉄の構内でのサンダルの音以上に暴力的なのは、女学生の集団がカラスがいっせいに鳴き出したように、あたりかまわず汚い言葉、野太い声、馬鹿でかい高笑いをしながら歩くことだ。あの年頃だと下駄ははかない。学校が禁止しているのだろう。

不良少女を多数収容する私立の女学校近くの地下鉄通路で、下校時にこういう連中に囲まれたら大変だ。気が狂いそうな思いで何百メートルも通路を歩かなければならない。

注:一行とは全角で40字以上128文字以内の文章をいいます。時に字余りあり。読者のご海容を請う。


福岡市は一体どうなっているのか

2006-09-01 06:54:24 | 社会・経済

オリンピックの国内候補地は東京に決まった。順当なところだろう。福岡でもいいと思っていたが、投票前のプレゼンテーションで反日的言動を繰り返している在日のカンサンジュンとやらをメインの発言者にしたという報道を聞いて驚いた。

東京、福岡それぞれ六人の推薦演説者をたてたらしい。マスコミはそのうち2、3名しか名をあげていない。得意の主観的な端折りで恣意的にピックアップしたのだろう。だから演説者の名前を全部知ったわけではない。東京は東京ヤクルトの吉田監督とコメディアンの萩本欣一氏だとか。プロとアマチュアの野球監督、オーナーということだろう。吉田監督はたしかオリンピックにも出ているからまあまあ自然な人選か。

しかし、北京大会を最後にオリンピック種目から消えていく野球から二人も選ぶのは縁起がよくないと思ったがね。福岡市は市長、

福岡県
知事とカン某だという。カンという人物は東大の教授だというが、こんな男に税金で飯を食わせているなら税金なんて払いたくないものだと苦々しく思っている。もっとも本業は田原総一郎一座の万年座員かもしれない。

いったい、どういう思考回路からカン氏を使えばいいと結論したのだろう。地方都市には在日や東アジアに篭絡されたような危うい状態にあるところが多い。

熊本市
もそういう状態にあるのか。それなら、石原知事が後だしで福岡をつぶしたことは意味がある。

中央官庁が政治家、悪マスコミ、政治ゴロに弱いように、地方公務員はというと恐れ入ってしまう。おなじように、在日や得体の知れない市民運動家をおそれることはなはだしいものがある。今度の福岡市のプレゼンテーションははからずも、お寒い地方自治体の現状を明らかにしたということだ。