謎かけではないが、最近出会った怖ろしい数字である。先ず19%とは、根室管内の高校生の求人率である。根室管内では、高校卒業者の僅か20%に満たない求人数である。5人に1人しか就職口がないのである。全道平均でも、35%程度であったと記憶している。根室市長が、高卒を雇ってくれるように地元企業を回っていると、今日(29日)の地方版に書かれていた。
雇用を要請されても、地元企業にはそれだけの活力がない。仕事がないのである。次の5.5%とは、釧路駅前の地価の過去最大の下落率である。閑散とした駅前の大通りは、かなりに数のシャッターが下りた商店が並んでいる。元気な商店は殆ど郊外に移ってしまった。駐車場もない駅前通りには、遠地の我々を受け入れる気がないようでもある。
35%とはこの10年で減少した農家戸数である。しかも残っている営農者の平均年齢はもうすぐ、65歳を超える。酪農が主体の根室管内はましではあるが、それでもこの20年で35%の農家ががいなくなった。国内の農村地帯でも数少ない活力がある地域でこの数字である。
それでも、マクロでみるとかつては集落で出していた葬儀もままならない現状である。高齢化と少子化、何よりも離農による戸数減少で、地域で葬儀を出せなくなってきたのである。工業的な規模の酪農家には、葬儀など手伝う時間もなくなっている。専門業者に依頼する葬儀が目立つようになった。
地方の疲弊は、数年前に出版した拙書でもかなり訴えたのであるが、現実はもっと深刻に進行している。都会に人材を提供した農村は、その見返りに政治的な動きを活発化させ、土木公共事業に依存する体質を、地方に作ってきたのである。国家の財政に余裕がある時代は、それでもほころびは見えなかった。与党へ集票し献上する時代はなんとか乗り切れもした。
公共土木事業の大きな問題の一つは深刻に進行した環境破壊であるが、さらに大きなことは地域産業の育成を結果的に押さえ込んでしまったことである。それが農業にも跳ね返り、道路ばかりが立派になって、夏になると府県のライダーが喜ぶばかりの農村風景は皮肉である。健全な農家の育成が蔑ろにされて、規模拡大ばかりが主体となる農業事業となった。そのことがひいては地方を疲弊させているのである。