そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

再稼働へのパフォーマンスである

2011-08-18 | マスコミ報道

泊原発3号機が調整運転とやらをやっと終わらせて、営業運転を再開した。福島原発以降初めてである。一度は、海江田大臣が運転再開を認めたが、高橋はるみ北海道知事が地元を無視した再会と、反発して見せた。

 政府も北海道も安全委員会も北電も、国民に向けたパフォーマンスでしかない。何とか再稼働に持ち込みたい人たちばかりが集まって、「安全」をもたれ合って補償したに過ぎない。

特に高橋北海道知事は、選挙で対峙した民主党政権

である政府に、一度は文句をつけた。「地元軽視」と食って掛かったように見せたが、所詮官僚上がりのパフォーマンスでしかないことがはっきりした。

政府は北海道側のそうした思惑を認識していたかのように、いったん出した再稼働の容認を取り下げてみた。

高橋知事は、自らの取り巻きでつくる特別委員会の丸投げし、委員会は再稼働容認を打ち出した。

誰もが問題があるけど、あちらさんが認めた、こちらさんが賛成したと、お互いがもたれ合いながら、責任の分散をしてしまう。まさしく日本の官僚の本質をここに見ることができる。

政府の思惑ははっきりしている。他の停止中の原発をなんとか再稼働に持っていきたいのである。

住民の声は周辺30キロでとどまるが、被害はその倍もしくは3倍の距離になる。更には、点在する汚染地域はその外にも広がる。農作物の被害は、周辺30キロで収まるわけがない。

なのに30キロ圏内の意見で、地元は容認することになる。

日本の原発のかなりの数が「村」に置かれている。ご多分にもれず北海道も、泊”村”である。北海道には、村は5村もあるだろうか?

泊村の住民は、再稼働を望んでいる。電力会社と政府の思惑通りである。

かんなことを続けていけば、結局は脱原発は遠のくばかりである。

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