結構粘り腰で、僅かであるが命を長らえては見たもののの、昨日菅首相は退陣を表明した。この国は、こうして次の実質上の首相を選ぶ選挙へ と、国民の目を移させる。
この自民党時代から続く、マスコミを抱き込んだ巧妙な仕組みのおかげで、前任者の検証がおろそかにされる傾向がある。良く言えば、次への期待であるととれなくもないが、目先のごまかしに過ぎない。ここで、前任者の菅首相が何をしたか、しなかったか思い起こしてみたい。
初の市民運動からの首相に期待をしたが、就任当初から普天間で虚言を重ねた鳩山坊ちゃまよりアメリカ寄りの発言に終始した。久し振りの、お世継ぎの政治家でなかったことでも、期待を持たれた。
消費税アップを、自民党に寄りかかる形で打ち出したおかげで、参議院 選挙で大敗北を喫した。この敗北の責任はこの時には、誰もとらなかった。後ほど仙石が辞めたが意味不明である。
菅は参議院選挙では、当然大勝利すると踏んでいた。国民新党に郵政改革案を、選挙後の通すと強引に選挙日程を早めてやって、惨敗した。
このおかげで、ねじれ国会が始まり、今日至る。
消費税の10%は、閣議決定でもなければ、周辺と打ち合わせた形跡もない。同じことは、TPPと脱原発社会へとの記者会見にも言える。更には、諫早干拓の訴訟断念も同じことが言える。
菅降ろしは、3月にピークになった。鳩山も一年は持たなかったが、菅はそれ以下の短命内閣になるはずであった。彼を救ったのが、東日本大震災である。「こんな時に首相を変えてどうする」と言う意見に救われ、延命した。
同じフレイズは、不信任案が可決されるかという時にも、聞いた気がする。この時は菅は、鳩山にすぐ辞めますと、嘘をついて延命した。人の良い鳩山を、信じ込ませるのに成功した。
「めど」が付いたら辞めるは、一定の効力があり、菅は延命に成功した。その一定の効力も尽きて、今回退陣することになった。
こうして見ると、菅はほとんど何もせず、終始唐突な発言とその火消をやりながら、延命策を模索してきたトンチンカンな14カ月といえる。
それでも14カ月は、小泉以来最も長かった首相と言えるのは、いかにも淋しい話である。