そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

3Dでピストルを作った男の言い分と集団的自衛権

2014-05-11 | 政治と金

3Dプリンターで拳銃を作った男が逮捕された。製作されたものは、合成樹脂でありながら十分殺傷能力があったとのことであPhoto る。銃刀法違反で逮捕された。
設計図はネットで仕入れたというのである。3Dプリンターの精度・技術の向上は素晴らしいものがある・・・ということではない。

逮捕された20代後半男の言い分はある意味、政治的でもあった。男は、違法だと思わなかった。更に続けて「銃は弱者の武器である。身を守るために所持して当然である」と言ってのけたのである。
これは銃社会のアメリカでは、十分通用する論理である。この国の外交も、その延長線上にある。アメリカのこうした、力の論理は自らの兵器については極めて寛容な言い分を振り回す。
つまり正義のためには武力が必要である。相手より優れた殺傷能力がなければ、正義は遂行できない。この論理には矛盾がある。相手も同じ論理を振り回すからである。相手も必ず正義を振り回しているからである。
こうして緊張関係が高まれば、抑止力が働いていると、戦闘に至らない状況にたいして、嘯(うそぶ)くのである。
戦力の誇示し合う関係は、その過程と相互の言い分こそ重要なのであるが、武力の存在はそれらを飛び越えて強者が圧してしまう。外交関係を武力で支える愚かな手法は、何度も戦火を体験した人類のとるべきことではない。
弱者に武力は自衛のために所持することがあって当然であると言わしめる論理は、武器を誇示する強者があるからに他ならない。強者にとっては意味のない戦力すら、弱者は持とうとするのである。

自らを弱者か正義の使者と位置付けることで、武力を持つ正当性、さらには行使容認への理屈へと展開展させるのである。造語積極的平和主義を掲げる安倍政権などその典型である。
要するに集団的自衛権は、単なる力の均衡論であって、平和へのロジックを喪失した貧相な政治家の屁理屈でしかないのである。

コメント (1)
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