集団的自衛権の使用を巡って、自民党と公明党が与党協議という、議会制とも憲政とも民主義とも無縁の、打ち合わせに入っている。ここで合意すれば、それがこの国の最高法規の憲法を実質変えることになるのだから、たまったものではない。
戦後65年間、時の政権の圧力などで様々な逡巡をしながらも、憲法を
守るという国民として最低限の倫理の元、国会や国民それに憲法学者たちが論議を重ねてきた。
それはこの国が、立憲国家であることを改憲派も護憲派も認めてきたからである。こうしたことを守ってきた当然の経過すら、今ここで高く称賛せねばならないほど、安倍政権はいわば無法内閣に堕落してしまっているのである。
与党協議の法的な根拠は存在しない。報道は、公明党の慎重な姿勢を垂れ流す。
その公明党の山口代表は、「海外で武力を使わないことは、国民にも国際社会にも定着している。これを変えようというなら、なぜ変えるのか、どのように変えるのか、変えた結果、国民や同盟国や近隣諸国にどのような影響が及ぶのか慎重に論しなければならない」と述べている。
安倍晋三とその取り巻きに比べるとよっぽど質が高い。更には、いまだに集団的自衛権を巡って、内部統一がされていない民主党の体たらくよりも、余程優れていると言える。この民主党以下の野党はここでは、影すら見えない。
その協議であるが、他国が攻撃してきた場合や、威嚇を行った場合の実例集を列挙して、集団的自衛権を論議しいるようであるが、全く意味がない。必ず関係国は、自国の正当性を主張するからである。相手が攻めてきた、いや攻める準備をしていた、そういう情報をキャッチした・・・、というようなことになる。
情報が一方的で、評価や現状認識が自国の都合の良いように処理される。双方でそれが生じる。それが戦争である。自民党が実例を挙げて論議しようとするのは、戦闘を前提にしているからに他ならないからである。安倍晋三は、積極的軍国主義と言わざるを得ない。
交戦権を放棄する以外に平和は保つことができない。紛争解決はその次の作業である。日本はそうしたことができる世界で唯一の国家であったはずである。どこで間違えて、こんな低俗な論議をするような国家になったのか。