かつては、自民党にもこのような骨のある政治家がいた。政権内にいながらも、公然と政権批判や総理を批判し忠告をするのである。自衛隊の海外派遣を憲法は認めていないと、後藤田正治の意見には狂いがない。
60年安保で防衛庁長官であった赤城宗徳は、岸信介の自衛隊出動要請を毅然として断った。自衛隊は国民を敵とする存在であってはないと断ったのである。加藤紘一や野中広務は平和憲法を高く掲げ護憲派を自認していた。今こんな国会議員は自民党に存在しない。
自民党の多様性は中選挙区制によって担保されていた。金まみれの田中角栄が検察に逮捕されると、党内左派と言うべきクリーンな三木武夫が登場する。岸信介が強引に日米安保条約を締結すると経済一辺倒の池田勇人を持ち出すと言った具合で、党内政権交代と揶揄される内容であった。河野太郎現外務大臣に血筋も含めてその可能性を期待をしたが、ポストをもらい黙し宗旨替えをしてしまった。哀れな男である。
多様な人物を党内に引き留めていたのがポストであり、派閥であった。こうしたことが党内に専門分野に長けた人材をも育む素地にもなった。そのことが業界などとの金銭的癒着を生み、無数の贈収賄事件の素地にもなったのである。
小選挙区制になって、自民党は公認を本部がたった一人を決定することになる。狭量な安倍晋三のような人物が出現すると、一気に自民党の候補者は単色に染まる。安倍晋三の意見や思想に疑義を唱える人物は、立候補すらできないことになる。このことが安倍一強と言われる現状を生んだのである。
また、小泉純一郎が郵政解散をした時には、農林族と言われた自民党候補者は解散前には80名ほどいたが、選挙後には一気に10名足らずまで落ち込んでしまった。地方を支える議員たちが激減した選挙ともいえるが、これも融通性のない小選挙区制の弊害である。
民主主義には完全なものはないと言われているが、少なくとも多数による決定が基本ではない。それは他人の意見、異質な見解に無関心を生むことになるからである。その典型が安倍晋三である。異質が怖いからお友達で周囲を固める。
小選挙区制は野党にとっては更に厳しい。少しの動きや思想の相違だけで新党結成に走るからである。そのことがさらに安倍一強体制をも補完するのである。安倍晋三にとって野党の分裂ほどありがたいものはない。
そしてマスコミの圧力が始まり世論誘導がこれに加わることになり日本は単色化してゆくのである。防衛費の増強や原発再稼働や消費増税や格差社会を、当然のことと疑義を抱かなくなる国民だけになってゆく。
60年安保で防衛庁長官であった赤城宗徳は、岸信介の自衛隊出動要請を毅然として断った。自衛隊は国民を敵とする存在であってはないと断ったのである。加藤紘一や野中広務は平和憲法を高く掲げ護憲派を自認していた。今こんな国会議員は自民党に存在しない。
自民党の多様性は中選挙区制によって担保されていた。金まみれの田中角栄が検察に逮捕されると、党内左派と言うべきクリーンな三木武夫が登場する。岸信介が強引に日米安保条約を締結すると経済一辺倒の池田勇人を持ち出すと言った具合で、党内政権交代と揶揄される内容であった。河野太郎現外務大臣に血筋も含めてその可能性を期待をしたが、ポストをもらい黙し宗旨替えをしてしまった。哀れな男である。
多様な人物を党内に引き留めていたのがポストであり、派閥であった。こうしたことが党内に専門分野に長けた人材をも育む素地にもなった。そのことが業界などとの金銭的癒着を生み、無数の贈収賄事件の素地にもなったのである。
小選挙区制になって、自民党は公認を本部がたった一人を決定することになる。狭量な安倍晋三のような人物が出現すると、一気に自民党の候補者は単色に染まる。安倍晋三の意見や思想に疑義を唱える人物は、立候補すらできないことになる。このことが安倍一強と言われる現状を生んだのである。
また、小泉純一郎が郵政解散をした時には、農林族と言われた自民党候補者は解散前には80名ほどいたが、選挙後には一気に10名足らずまで落ち込んでしまった。地方を支える議員たちが激減した選挙ともいえるが、これも融通性のない小選挙区制の弊害である。
民主主義には完全なものはないと言われているが、少なくとも多数による決定が基本ではない。それは他人の意見、異質な見解に無関心を生むことになるからである。その典型が安倍晋三である。異質が怖いからお友達で周囲を固める。
小選挙区制は野党にとっては更に厳しい。少しの動きや思想の相違だけで新党結成に走るからである。そのことがさらに安倍一強体制をも補完するのである。安倍晋三にとって野党の分裂ほどありがたいものはない。
そしてマスコミの圧力が始まり世論誘導がこれに加わることになり日本は単色化してゆくのである。防衛費の増強や原発再稼働や消費増税や格差社会を、当然のことと疑義を抱かなくなる国民だけになってゆく。