昨日ノーベル平和賞がスイス・ジュネーブに拠点を置く国際非政府組織、核兵器廃絶国際キャンペーン(The International Campaign to Abolish Nuclear Weapons (ICAN))に、授与された。ICANの受賞については真っ先に、本ブログに書いたが、核兵器禁止条約締結に貢献したことが評価されたものである。しかし何といってもこの組織を支えたのは、日本の被爆者たちの存在であり、広島長崎への原爆投下の事実である。授賞式に核保有国も日本大使も欠席している。
被爆者サーロ節子さんの、「核兵器は必要悪ではなく、”絶対悪”であることがこの条約で証明された」、という言葉は重い。サーローさんは受賞の演説で、十三歳で被爆した体験を証言した。「肉や皮が垂れ下がり、眼球が飛び出て、裂けた腹から内臓を出している人々が幽霊のように列をなして歩いていた」「四歳だったおいは、溶けた肉の塊となり、死ぬまで水を求め続けた」と生々し被爆体験を語った。
核保有国と「核の傘」に頼る国々に「私たちの証言を聞き、警告に従いなさい。あなたたちは人類を危険にさらす暴力を構成する不可欠な要素だ」と忠告。核の傘に頼る国々を「共犯者」と呼び、条約に署名しない日本政府を暗に批判した。
被爆者代表に面と向かって、「あなたはどこの国の総理ですか?」と言われ、視線を落とす安倍晋三である。カズオイシグロの文学賞には饒舌であった菅官房長官も、ICANの受賞には黙したままである。やっと河野太郎が、我々は別の道を行くと述べたのがせいぜいである。
今頃になって、ゴールは同じだという論理持ち出した。これは何の説明にもならない。互いにゴールは同じでも戦争は起きる。目的が変わらなくても互いに殺し合いがあるのが、人間の社会である。手段とその経過・プロセスを共有しなければ、何の意味もない。
安倍晋三も菅義偉も河野太郎も自民党にそんなこと言える資格などない。人殺しの兵器を平然と、防衛整備品と言い換えて追加予算で大量購入するし、研究開発させるし輸出まで手助けするような、いわば死の商人と化した人物たちが、ゴールは同じとは受賞者に失礼極まりない。
被爆者サーロ節子さんの、「核兵器は必要悪ではなく、”絶対悪”であることがこの条約で証明された」、という言葉は重い。サーローさんは受賞の演説で、十三歳で被爆した体験を証言した。「肉や皮が垂れ下がり、眼球が飛び出て、裂けた腹から内臓を出している人々が幽霊のように列をなして歩いていた」「四歳だったおいは、溶けた肉の塊となり、死ぬまで水を求め続けた」と生々し被爆体験を語った。
核保有国と「核の傘」に頼る国々に「私たちの証言を聞き、警告に従いなさい。あなたたちは人類を危険にさらす暴力を構成する不可欠な要素だ」と忠告。核の傘に頼る国々を「共犯者」と呼び、条約に署名しない日本政府を暗に批判した。
被爆者代表に面と向かって、「あなたはどこの国の総理ですか?」と言われ、視線を落とす安倍晋三である。カズオイシグロの文学賞には饒舌であった菅官房長官も、ICANの受賞には黙したままである。やっと河野太郎が、我々は別の道を行くと述べたのがせいぜいである。
今頃になって、ゴールは同じだという論理持ち出した。これは何の説明にもならない。互いにゴールは同じでも戦争は起きる。目的が変わらなくても互いに殺し合いがあるのが、人間の社会である。手段とその経過・プロセスを共有しなければ、何の意味もない。
安倍晋三も菅義偉も河野太郎も自民党にそんなこと言える資格などない。人殺しの兵器を平然と、防衛整備品と言い換えて追加予算で大量購入するし、研究開発させるし輸出まで手助けするような、いわば死の商人と化した人物たちが、ゴールは同じとは受賞者に失礼極まりない。