詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

9 (誰にも読めない文字を書こう)(嵯峨信之を読む)

2018-06-09 10:55:54 | 嵯峨信之/動詞
9 (誰にも読めない文字を書こう)

誰にも読めない文字を書こう
その一行のどこかにこつそり傷をかくしておこう

 「読めない」ならば「隠す」必要はない。けれど「読めない」を「隠す」と言いなおされる。
 ほんとうに動いているのは「書く」という動詞なのだ。
 「その一行のどこかにこつそり傷をかくしておこう」は「その一行のどこかにこつそり傷をかくして書こう」である。「二重構造」で、「読まれる」ことを拒んでいる。
 もし誰かが「文字」そのものを解読したとしても、ただ読むだけではわからないように「書く」。
 いや、そうではなく、この詩を動かしている基本動詞(キーワード)は「読む」なのだ。
 ことばは「書いた」ときに生まれるのではない。「読まれた」ときに動き出す。生まれる。
 だから、詩は、こう展開する。

それを解読したただ一人の男が死んだ
それから大きな砂漠が
ぼくの心のなかに広がつた

 「死んだ」「広がつた」と過去形で書かれているが、「死んだら」「広がるだろう」と未来形で読むといい。
 詩は書いた人のものではなく、読んだ人のもの。読んだ人が「読み解いた」ことが詩である。嵯峨は、嵯峨自身が読み解いた詩を、彼の詩のなかで引き継いでいる。「読めない文字で書く」ということが詩だと言っている。





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