詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

7 (時が雪に消されて)(嵯峨信之を読む)

2018-06-07 10:54:36 | 嵯峨信之/動詞
7 (時が雪に消されて)(嵯峨信之を読む)

時が雪に消されて
ぼくは道に迷う

 これは

道が雪に消されて
ぼくは迷う

 と言いなおした方が、「論理的」である。雪が降り積もると、「道」と道以外の区別がなくなる。そこが「平原」のような人の気配のないところなら、特に迷ってしまう。
 だが嵯峨は「道」と書かずに「時」と書いている。
 「道」は「方向」を表わしている。「方向」がわからなくなることを、「迷う」という。「時」における「方向」とは、「未来」と「過去」である。「時」のなかで「迷う」とは、どちらが「未来」かわからなくなるといこと。あるいは、この「方向」で「未来」が切り開けるかどうか、わからなくなること。

 この「時間」と「道」との関係は、「道」を「言う」(ことば)として、とらえなおすこともできる。「何かを言う(ことばにする)」とは、精神に「方向性」を与えることである。ことばにすることで、精神の動きがわかる。動いていく先が決定する。
 だから、この詩の二連目に「言葉」が出てくる。

ぼくが生きのびるには
記憶の中の言葉を追うことしかない

 「記憶の中」とは「過去」である。「過去」の「言葉」をたずねて、そこから「方向性」を探しなおす。それが「未来」へ突き進むことにつながる。
 嵯峨は、そういうことを考えている。



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