16 短夜
動物のように恥じることなく死にたい
という言葉が
ぼくを捉えて放さない
この三行は、「ぼく」には「恥じる」ことがある、という意味を含んでいる。それは「恥」にとらわれているということでもある。「死にたい」は、また「生きたい」でもあるだろう。生をまっとうしたい。
こういう思いは、だれの胸にも去来するかもしれない。
「動物のように恥じることなく死ぬ」ということは、むずかしい。そのむずかしさは、「大きな石」のなかにある「いのち」を誕生させるようにむずかしい。
「孵化しない」を「いのちとして誕生しない」と読み替える。あるいは「孵化する」を「生きる」と読み直すとき、一連目の「死にたい」が「生をまっとうしたい」であることが、より強く迫ってくる。
「孵化する」のは「ことば」ではなく、そのことばを生きる「ぼく」である。
動物のように恥じることなく死にたい
という言葉が
ぼくを捉えて放さない
この三行は、「ぼく」には「恥じる」ことがある、という意味を含んでいる。それは「恥」にとらわれているということでもある。「死にたい」は、また「生きたい」でもあるだろう。生をまっとうしたい。
こういう思いは、だれの胸にも去来するかもしれない。
大きな石に抱かれているその言葉は
いつまでも孵化しない
「動物のように恥じることなく死ぬ」ということは、むずかしい。そのむずかしさは、「大きな石」のなかにある「いのち」を誕生させるようにむずかしい。
「孵化しない」を「いのちとして誕生しない」と読み替える。あるいは「孵化する」を「生きる」と読み直すとき、一連目の「死にたい」が「生をまっとうしたい」であることが、より強く迫ってくる。
「孵化する」のは「ことば」ではなく、そのことばを生きる「ぼく」である。