詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

16 短夜(嵯峨信之を読む)

2018-06-16 11:00:54 | 嵯峨信之/動詞
16 短夜

動物のように恥じることなく死にたい
という言葉が
ぼくを捉えて放さない

 この三行は、「ぼく」には「恥じる」ことがある、という意味を含んでいる。それは「恥」にとらわれているということでもある。「死にたい」は、また「生きたい」でもあるだろう。生をまっとうしたい。
 こういう思いは、だれの胸にも去来するかもしれない。

大きな石に抱かれているその言葉は
いつまでも孵化しない

 「動物のように恥じることなく死ぬ」ということは、むずかしい。そのむずかしさは、「大きな石」のなかにある「いのち」を誕生させるようにむずかしい。
 「孵化しない」を「いのちとして誕生しない」と読み替える。あるいは「孵化する」を「生きる」と読み直すとき、一連目の「死にたい」が「生をまっとうしたい」であることが、より強く迫ってくる。
 「孵化する」のは「ことば」ではなく、そのことばを生きる「ぼく」である。













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