詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

24 (もしすべての存在を消すことができたら)(嵯峨信之を読む)

2018-06-30 14:16:28 | 嵯峨信之/動詞
24 (もしすべての存在を消すことができたら)

どこにも歌がなくなつたとき
始めておまえはぼくのものになるだろう

 これは、どういうことか。嵯峨は言いなおしている。

どこからか陽が射してきて
すべてのものに影がまつわり
遠近が生じ
ぼくの歩みに血が通うだろう

遠い夢の地つづきを通つて
おまえはぼくのところにやつてくるのだ

 「ぼくのものになる」と「ぼくのところへやつてくる」。それは「通う/通る」という動詞によって実現する。
 複雑なのは、「おまえが通る」と「ぼくの血が通う」が交錯するところだ。「ぼくの血が通う」から、そこを「おまえが通る」ことができる。
 しかも、「血が通う」の前提には「遠近が生じ」ということが前提になっている。「遠近が生じる」ことで「血が通う」。その「血の通う遠近の場」を「おまえが通って」やってくる。
 このときの「遠近が生じる」の「生じる」は「歌がなくなる」の「なくなる」とは反対のことである。

 「歌」ではなく、「現実」が、そのとき「生まれる」。「現実」のなかで「血が通う」ということか。

 錯綜する動詞のなかで迷うことが詩を読むことだ。嵯峨と同じ動詞を生きることで、詩が肉体の中に入ってくる。



*

評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』を発行しました。190ページ。
谷川俊太郎の『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2000円(送料、別途250円)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。


「詩はどこにあるか」4月の詩の批評を一冊にまとめました。186ページ
詩はどこにあるか4月号注文


オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977




問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com


嵯峨信之詩集 (現代詩文庫)
クリエーター情報なし
思潮社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ESTOY LOCO POR ESPANA(7) (番外)

2018-06-30 00:19:48 | estoy loco por espana
Vi esta foto en Facebook de Joaquin, y quería ver esta mesa en real quando estaba en Caudete, espana.

es una mesa, no es una escultura.
cuando vi la escultura de Joaquín, me atrajo la fuerza del obra. de hecho, visitaba su taller, vi la fabrica donde estaba trabajando y supe que el hierro esta en estrecho contacto con su vida. Joaquin conoce la vida del hierro. y lavida del hierro tranceforma la forma de aret.
Aunque es un arte, la vida misma del hierro vive por sí misma. La vida de hierro está viva. Las cosas atemperadas por la vida están vivas. Sentí que el hierro que se entrenó en la vida y vivió con mi vida está vivo.
Es esta tabla la que lo demuestra concretamente.

Hierro que se ha usado. Pero aun vivo. Combinando la vida de hierro, Joaquin renacera de hierro recien. esta mesa no tiene la forma de "pajaro de fuego", pero este es el "pajaro de fuego". Es un hierro inmortal. A partir de ahora, esta mesa continuara en vivo. Quien no mira hacia atras, esta mesa seguira existiendo. La figura del hierro como fuerza para seguir existiendo. Prototipo de hierro esta en forma.




 Joaquin Llorens Santa がフェイスブックに載せている写真を見て、あ、こういう作品を見たかったなあ、と思った。
 彫刻ではなく家具。
 ホアキンの彫刻を見て、その作品の中の強さに惹かれた。実際に、アトリエを尋ね、彼が働いている工場を見て、それが生活と密着していることを知った。暮らしの中で知り尽くした鉄が、そのまま形になっている。
 芸術だけれど、その中には鉄の暮らしそのものが生きている。鉄のいのちが生きている。暮らしに鍛えられたものが生きている。暮らしに鍛えられて、暮らしと一緒に生きてきた鉄が生きている、と感じた。
 それを具体的に証明するのが、このテーブルだ。

 使用済みになった鉄。しかしまだ生きている。その生きているいのちを組み合わせて、新しく生まれ変わる。「火の鳥」の形をしていないが、これこそ「火の鳥」と言える。不死の鉄だ。これからも、このテーブルは生きつづける。誰が振り返らなくても、存在し続ける。存在し続ける力としての鉄の姿。鉄の原型。それが形になっている。

 ほかにどんな「日用品」をつくっているのだろう。それも見てみたい。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする