詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

15 昨今(嵯峨信之を読む)

2018-06-15 11:00:07 | 嵯峨信之/動詞
15 昨今

死がふいにぼくを捕らえそうになる
鼻さきをなでるようなゼラニウムの強い匂い

 「捕らえる」は「包み込む」。「匂い」は「ぼく」を「包み込む」と読み替えることができる。
 だが「匂い」は「包み込む」だけではない。「鼻」から「肉体」に入り込む。
 「死」もまた「外部」から「包み込む」ものというよりも、「肉体」の内部に入り込むことだろう。
 入り込んだものによって、「捕らえられる」。支配される。
 「匂い」には「形」がない。それは「捕らえる」ことができるか。「肉体」の内部にとりこむことが、「捕らえる」ことになるか。
 「捕らえる」と「捕らえられる」は、「死」と「匂い」の場合は、明確に区別できない。
 だから、

ぼくはそこから急いでたち去る

 「たち去る」は「逃げる」「遠ざかる」。でも、それは「逃げきれる」ものでもない。立ち去ったつもりでも「先回り」されているかもしれない。




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