詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

蜆シモーヌ「受難」

2021-04-27 10:10:12 | 詩(雑誌・同人誌)

 

蜆シモーヌ「受難」(「現代詩手帖」2021年05月号)

 蜆シモーヌ「受難」は、第59回現代詩手帖受賞作。現代詩手帖賞は作品というよりも年間の最優秀詩人に贈られるものなのだが、この「受難」は、これ一作で賞に匹敵すると思った。
 「受難」のどこがいいのか。


たいいくの授業の
あとの
ぼくたちの
教室の倦怠と
性でふくらんだ
からだの
体積と
つぶしたうわばきの
かかとの
汚れは
ぼくたちの
苦い春でした

 ことばが自然に動いている。「性でふくらんだ/からだの/体積」と「つぶしたうわばきの/かかとの/汚れ」。その「ふくらんだ」と「つぶした」の呼応、「体積」と「汚れ」の呼応。「性」と「かかと」の呼応。余分なものが何もない。「ぼくたち」はたぶん中学生。中学生にとっては、うわばきのかかと、そのつぶれかたも「性」なのだ。肉体の動きを直接に伝えるものなのだ。もちろん、そういうことは大人になっても体験することだけれど、中学生のときは、体験というよりも「想像力」で性が暴走する。

ひとつまえの
席の
えんどうくんは
からだをこごませ
なよやかに
しろい
たいそうふくを
おとなしく
ぬいでいく
とちゅうでした

 「こごませ」がいいなあ。「ふくらんだ」とは逆の動きだね。ここに、何とも言えない呼応がある。ためこんだものがある。呼応することばは、その呼応のなかに、何かを少しずつためこんでゆく。一行一行の短いリズムが、それを生き生きとした動きにしている。行替えをやめて「散文」形式にしてしまうと、この呼応と呼応の効果は見えにくくなる。スピードが加速して「意味」になってしまう。
 「からだをこごませ/なよやかに/しろい/たいそうふくを/おとなしく/ぬいでいく」は、裸をさらにぬいでゆく、ぬいでゆく裸が見える感じがする。「しろい」は体操服の色ではなく、えんどうくんの裸の色、肉体のいろに見えてしまう。

くりいろのまきげと
ほくろのきれいな
えんどうくんの童顔は
まくれた
たいそうふくの
おくに
封じられて
えんどうくんは
せなかに
なりました

 「つぶしたうわばきの/かかと」が肉体であるように、性であるように、「まきげ」でも「ほくろ」でも「童顔」でもなく、剥き出しになっている「せなか」そのものが「肉体」である。「えんどうくんは/せなかに/なりました」の「なる」がいい。えんどうくんは「せなか」だけではない。しかし、ほかのものは「封じられて」、「せなか」がえんどうくんに「なる」。これを演出するというか、ひきたたせるのが「まくれた」と「ふうじられた(封じる)」という相反する動詞の動きである。「まくれた」たいそうふくが、えんどうくんの、既に知っている「特徴」を「封じ」、いままで知らなかった「特徴」をあらわにする。まるで、そのあらたな「特徴」に視点をひきつけるように「まくられた」ものがある。
 「まくられた」のは体操服だけではなく、蜆の「視線」なのである。蜆は視線になる。そして、その視線は、蜆の「性」そのものである。「つぶしたうわばきの/かかとの/汚れ」だけで、それが誰のうわばきなのか認識してしまう「肉体」の力としての「性」。

封じられて
わんきょくする
えんどうくんの半身に
ぼくという春は
磔にされました
たいいくの授業の
あとの教室で
ぼくという性は
失語しました

 「失語しました」は「新しいことば」が必要なのに、その「新しいことば」が出てこないということだろう。そして、それは「新しいことば」が出たがっているということである。射精寸前の、勃起したことば。それは、「肉体」のなかにたしかにある。そして、それをあらわすための蜆だけのことばがない。そういうことに気づいたが「失語する」という表現に「封じられた」かたちで動いている。「磔にされました」は、蜆の「肉体」のなかのことばである。途中の「わんきょくする」はえんどうくんの背中の描写だけれど、それをみつめる蜆のこころと肉体の「わんきょく」でもある。動詞の使い方、呼応の感じがとてもうまい。つまり、無理な嘘がない。正直が動いている。
 このあと、最終連で、ことばは大きく転換する。

ぼくのねぐせに
やさしく
櫛をとおしてくれた
えんどうくんは
理髪店をつぎました

 生々しい「肉体」が「記憶」に整えられて、ぽんとほうりだされる。この不思議な明るさが、ことばを解放する。「封じられ」「わんきょく」していたものがまっすぐになる感じ。「苦い春」がほんとうに「苦い」のではなく、「苦い」という味であると言える余裕になっている。成長といっていいのかどうかわからないが、ある期間を通りすぎた(経験した)ものだけがもつことのできる自然な余裕が、余韻となってひろがる。
 

 


**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。
(郵便でも受け付けます。郵便の場合は、返信用の封筒を同封してください。)

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」12月号を発売中です。
137ページ、1750円(送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

https://www.seichoku.com/item/DS2000183

(バックナンバーは、谷内までお問い合わせください。yachisyuso@gmail.com)

オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「深きより」を読む』76ページ。1100円(送料別)
詩集の全編について批評しています。
https://www.seichoku.com/item/DS2000349

(4)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(5)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(6)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする