谷川俊太郎「八畳間」(「午前」19、2021年04月15日発行)
谷川俊太郎「八畳間」は「部屋」と対になっている作品だ。「部屋」は抽象的だが、「八畳間」はタイトルからして「部屋」にくらべると具体的だ。具体的だけれど、具体的だからわかりやすいかというと、そうでもない。具体の中にも抽象がはいりこむからだろうか。あるいは具体的に見えるというのは錯覚で、抽象の中に具体がはいりこんでいるのだろうか。
その全行。
<blockquote>
八畳間に午後の陽がさしていた
小学生の私は風邪で寝ている
単発の練習機の聞き慣れた爆音
今というその空っぽの時を
私は一体何から恵まれていたのか
その束の間が年を経た今も
変わらず私を通り抜けようとする
想い出となることを拒み
記憶からこぼれ続ける今の
この束の間は時空の更地
八畳間は写真に残っている
隣室のピアノで母が弾いた旋律を
折に触れてウエブで聴く
空っぽの時に音があふれる
</blockquote>
写真。なつかしい八畳間が写っている。それを見て思い出したこと、午後の光、風邪、飛行機の音、ピアノ、母、旋律……。具体的と感じるのは、そうしたことばのためだろう。でも、その具体的な「想い出」をなつかしがっているだけではない。
<blockquote>
私は一体何から恵まれていたのか
</blockquote>
という、私には奇妙に感じられる文体(できこそないの翻訳みたい)に、私はまずつまずくが、そこにつまずいていると、ほかのことばが見えなくなる。
見えることば、わかることばから、谷川に近づいていくことにする。
「今」ということばが三回出てくる。しかし、それは同じ「時間(日付のある時間)」を指しているとは思えない。
「今というその空っぽの時」は風邪で寝ていた小学生の時の「今」。記憶の中にある「今」である。それは「空っぽ」と言い直され、さらに「束の間」と言い直される。そして、「その束の間が年を経た今も」と動いていくときにあらわれた「今」は「現在」である。谷川が詩を書いている「今」、過去を思い出している「今」。
では、三連目の「今」は?
「想い出となることを拒み/記憶からこぼれ続ける今」は「過去(小学生のとき)」か、それを思い出している「現在」か。小学生のとき、風邪をひいた、八畳間で寝ていたは「想い出」であり「記憶」だから、「過去」ではなく「現在」だろう。
しかし、その「今」はやはり「束の間」と言い直される。
「過去」と「現在」が「束の間」ということばのなかで融合してしまう。「束の間」は一瞬と言い直すことができ、さらには「今」とも言い直すことができる。だいたい「想い出」のなかの「ある時間」はどこにあるのか。「思い出す」という「行為」のなかにある。「行為」というのは、つねに瞬間である。動いている。「今」をつくりだしていく。「想い出」という名詞と「思い出す」という動詞は切り離せない形で融合しており、それは「ひとつ」なのだ。「小学生の私は風邪で寝ている」という一行が「寝ていた」ではなく「寝ている」と現在形で書かれる理由はそこにある。しかも、「思い出す」という動詞の現在は「想い出となることを拒み/記憶からこぼれ続ける」が、谷川は、それをことばとして「記録」することができる。つまり、それはやがて「写真」のように「想い出」をひっぱりだすものとして働きかけてくる可能性を秘めている。
この「ひとつ」の不思議さが、私を混乱させる。「論理」を攪乱する。「わからない」ということが、そこから生まれる。わかっていることがあるのに、わからないとしか言えなくなる。
谷川は、この「想い出」と「思い出す」という「束の間/今」、いわば「渾沌」のようなものを「時空の更地」と呼んでいる。この「時空の更地」が何を意味しているかは「部屋」の方に書かれている。つまり、「部屋」「八畳間」と続けて読むとわかるように書かれているのだが、ほかに書きたいことがあるので、省略。
そして、その「時空の更地」、言い直せば「空っぽの時」があらわれたあと、不思議なことが起きる。谷川は、小学生のとき風邪をひいて八畳間に寝ていたことを思い出しすだけではない。
「隣室のピアノで母が弾いた旋律」を思い出す。谷川が寝ていたとき、母がピアノを弾いていたのか。それとも、母がピアノを弾いていたことを、谷川は寝ながら思い出したのか。それは、わからない。
わかるのは、「今」谷川は、その旋律を聞いているということである。聞くといっても現実に聞いているわけではなく、思い出している。想像している。しかも、母のひいた音そのものではなく、同じ旋律、しかも「折に触れてウエブで聴く」旋律を思い出している。「具体」的であるけれど、「具体」そのものというよりも、「具体」をつらぬいている「抽象(普遍)」を聞いている。
と、書いてきて。
あ、この「抽象/普遍」というのは、「具体」にくらべると「空っぽ」なものだな、と思う。「空っぽ」だから、そこにどんな「具体」でもはいりこめる。「空っぽ」の時空で「具体」が動いて、それが「今」という時間になる。「今という時間」は、何かが具体的に動いたときだけ、私たちの前に出現してくる。そして、私たちは「生きている」と実感する。
さて。
<blockquote>
今というその空っぽの時を
私は一体何から恵まれていたのか
</blockquote>
最初につまずいた行に戻ってみる。
直感的に「空っぽの時」そのものが、私たちが最初に受け取る「恵み」のように思えるのだ。「空っぽの時」があって、そこに飛び込ん瞬間(迷い込んだ瞬間?)、私たちは「生きる」という動詞になる。自分の中から、何かがあふれてくる。あふれたものが「空っぽの時」を埋めていく。谷川色に染めていく。谷川のことば、音(音楽)が埋めていく。
風邪をひいて寝ているその、無為のとき、たとえば「午後の陽」を見つける。「練習機の爆音」を聞く。母のピアノの音を聞く、あるいは思い出す。
それはたしかに「何かから」の恵みである。その「何か」を特定する手がかりは「部屋」の中にあるけれど(書かれているけれど)、それは「仮定」であって、絶対的な答えではない。絶対的な答えとしては「何か」としか言いようがない。だから、私は、そういう「結論」めいたものは書きたくない。
「今」ということばのなかに、いくつもの言い直しがかさなり、動いている。そして、それは「ひとつ」に融合しているので、融合のままつかみとるしかない。分離してしまえば、それはまったく違ったものになってしまう。
詩は、わからないことを、わからないまま、わかることだ。「わかる」と勘違いすることだ。その勘違いには、必然がある。私は、そう信じて「誤読」をつづける。「誤読」を誘うことばのまわりでうろうろするのが、私の詩の読み方だ。
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