石川淳選集 第一巻 「山桜」
「山桜」の書き出し。68ページ。
わかりにくい道といってもこうして図に描けば簡単だが、どう描いても簡単にしか描けないとすればこれはよほどわかりにくい道に相違なく、
これは象徴的なことばだ。
この小説は、わかりにくいくだくだとした文章に見え、読み終われば実に簡単なストーリーであり、簡単に書いてあるなあ、と思う。わかりにくいと思えた部分が、そういう意味だったのか、と思える。伏線が見えてくる、というのはこういうことをいうのかもしれない。
書き出しの続き、
今鉛筆描きの略図をたよりに杖のさきで地べたに引いている直線や曲線こそ簡単どころか、この中には丘もあるし林もあるし流れもあるし人家もあるし、
その丘や林、流れ、人家が伏線なのであり、それは時として伏線どころかいちばん大事な隠れた目的地だったりする。いいなおすと、地図の到達点とは別のものが人生には潜んでいて、それがストーリーを破って動くのである。
途中を省略して、書き出しの一文の終わり。
肝心の行先は依然として見当がつかず、わずかに測定しえたかと思われるのは二つの点、つまり現在のわたしの位置と先刻電車をおりた国分寺のありどころだけであった。
現在と現在をささえる過去。その二点を結ぶかたちで「わたしの位置」、わたしがあらわれる。
と要約すれば、これは小説のポイントにもなる。
石川淳の文章は、地図の周辺の、省略された林、流れ、人家というようなものを具体的なものものを具体的に描くことで、人物を肉体をもった存在にかえてゆく。主人公の思いを肉体に変えてゆくのである。