詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(115)

2021-04-23 15:35:37 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

*(なるほど死は不動である)
<blockquote>
人間の掟ではなく 宇宙の掟だからだ
</blockquote>
 「意味」が強いことばである。
 嵯峨は、このことばを納得したのか。
 「なるほど」はむずかしいことばだ。納得したときつかう。しかし、ときには「論理としては認める」くらいの意味でつかうこともある。
 いま私が書いたように「なるほど。しかし」とつかうことがある。
 詩は、ときに、感動だけではなく「しかし」という反論を誘うこともある。

 

 

 

 

*

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颯木あやこ『名づけ得ぬ馬』(2)

2021-04-23 15:00:30 | 詩集

 

颯木あやこ『名づけ得ぬ馬』(2)(思潮社、2021年04月09日発行)

 「六月の地図」は、こう始まる。


はじめの雨が斜線を引く

たちまち ならぶ樹木
森林は 咆哮

よばれても
肺の奥で難破した船には 耳がないから
わたしは 生まれた土地で 行方不明

翼ほど 卑怯な道具はないね


 美しいなあ、うまいなあ、と思う。視覚的なイメージを展開しておいて、「卑怯な」という生々しい批判、剥き出しの感情を噴出させる。何が美しかったのか、どうして美しかったのか、ということを忘れて、「卑怯な」ということばを噴出させる肉体を印象づける。
 「ユダと逢う」は、こうである。



桃が剥けていく 夜

横断歩道を豹が飛ぶ 夜

赤ん坊が 四方から匍匐前進してくる 夜

 静かな夜の描写、何も起きていないからこそ「モモが剥ける」というようなじっと見つめないと見えない事件が見える。「モモ」は「豹」に、さらに「赤ん坊」にかわる。「剥ける」は「飛ぶ」に、さらに「匍匐前進」にかわる。そこに、どんな「脈絡」があるのか。
 まあ、「脈絡」などというものは一種のこじつけだから、いくらでも捏造できるから、つくってみてもしようがない。颯木は、非常に巧妙に「夜」ということばの繰り返しで「脈絡」をつくりあげる。「夜、そういうことが起きた(目撃した)」。それは、特別な夜である。そういうことが起きると特別な夜には、また特別なことが起きる。


目は怯えて ふたたび閉じ
うちがわを向いて
腎臓の陰で ユダと逢う


 想像力のなかでなら(夢のなかでなら)、どういうことも可能である。というのが颯木の思想なのかもしれない。
 「リバイバル」の二連目。


わたしたちの骨は 悲しみぬいて
ますます澄み
透かせば 未来が見える


 これもまた美しい。
 「ますます」が、颯木のキーワードだと、私は瞬間的に感じ、そのことばに傍線を引いた。いままで読んできた詩のなかに「ますます」はあったか、なかったか。すぐには思い出せない。ほんとうに「キーワード」であるかどうか判断するには、読み直して確かめる必要があるのだけれど、三か月の入院で視力が悪化したので、読み返さないまま「キーワード」だと断定してしまう。
 「ますます」は強調である。「ますます」がなくても、骨が悲しみぬいて、澄み(透明になり)、その向こうに未来が見えるという「運動」に変わりはない。けれども颯木は「ますます」を必要とする。骨が悲しみぬいて透明になり、未来が見えるということよりも「ますます」という変化の方が颯木は重要なのである。
 何かが起きる。それが「ますます」何かを深めていく。そうすると、その先に、いままで起きなかったことが起きるのだ。
 どの作品で読み直してもいいが、「ユダと逢う」が「誤読」するには好都合である。


桃が剥けていく 夜
(桃が「ますます」剥けていくと、桃は「ますます」透明になり)
横断歩道を豹が飛ぶ 夜(が見える/あるいは夜になる)
(豹が「ますます」飛ぶと、その広大な空間に)
赤ん坊が 四方から匍匐前進してくる 夜(が見える/あるいは夜になる)

 「ますます」は「増殖/拡大」である。想像力が増殖し、拡大する。それも「ますます」をともなって動くのである。「ますます」に励まされて、何が起きてもかまわない、という世界が始まる。
 その世界を信じるかどうか、つまりリアリティのあるものと信じるかどうかは「ますます」を信じるかどうかである。「ますます」という運動、あるいはエネルギーを信じられるひとには、この「ますます」が引き起こす世界は、いっそう「美しい」ものになってあらわれるだろう。
 「今」には、こんなことばがある。


私 女だったかしら、男だったかしら
どちらだとしても どちらでもなくても
もう待たないわ
名づけられなくても
銀河へと昇る駿馬を放つわ


 「もう待たないわ」の「もう」は「ますます」と呼応している。「ますます」過激に疾走するイメージ。単に「待たない」のではなく、いままで十分まってきたから「もう」待たないのだ。「名づけられなくても」というのは、次にあらわれるイメージが「脈絡/文脈」として整えられていなくてもということだろう。「女だったか」「男だったか」は、ある意味では矛盾しているが、それが矛盾することになってもかまわない。「脈絡」というは、すでに書いたが、どんな場合でも「後出しじゃんけん」である。「女だった」と言い張ることも「男だった」と言い張ることもできる。なんとでも捏造できる。そんなものを「待つ」必要はない。必要なのは「ますます」にのっかって、そのまま疾走することである。「ますます」を押さえつけようとするものを「もう」気にすることはない。
 こう「誤読」すれば、颯木にとって必要なことば(肉体にしみついていることば/キーワード)が「ますます」であるということがわかると思う。

 私が、きのう「耳鳴り」でつまずいたのは「ますます」が「ときに温かな海流が わたしを抱いて放さない」にはなかったからだ。もちろん、「あなたがわたしをますます抱いて放さない」と「ますます」を補って読むこともできるが「見て、/この胸をまっすぐ貫く/竜骨」ということばから始まる「わたし」の過激な変身(生まれ変わり)が封じこめられてしまう。「ますます」の主体(主語)は「わたし」であってほしいと思うのだ。

 


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