詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(113)

2021-04-21 09:46:42 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

*(小さな港まで)
<blockquote>
あの突堤のところまで走つて行つておいで
そこに咲きつらなる希望の花がしほれる前に
</blockquote>
 「咲きつらなる」の「つらなる」がおもしろい。孤立して咲いているのでもない。群れて咲いているのでもない。つらなっている。
 この詩の最終行は「わが子よ」。
 「つらなる」には、嵯峨から子への「つらなり」が託されている。
 「花がしほれる前に」は、子から、さらに先の子への願いがこめられている。港の突堤のように、長くのびるもの。その長さが抱え込む美しさ。そういうことも想像させる。

 

 

 

 

 

*

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冨岡悦子『反暴力考』

2021-04-21 09:00:54 | 詩集

 

冨岡悦子『反暴力考』(響文社、2020年07月25日発行)

 冨岡悦子『反暴力考』は、突然はじまる。


01

どうしたのって言われたくない 破裂したスイカ とか 押しつぶ
されたイチゴ とか 落下したザクロ とか 想像して がまんし
てるのに 私がどうしてる なんて言えない そのままありのまま
言ってしまって いいんですか


 突然はじまるのに、わかる。この「わかる」には、厳しいものがある。言いたいことを言えずにいる人がいる、という「現実」が私たちの周りにある。それを「知っている」し、またその言いたいことが言えないが他人のことではなく、自分のことでもあるからだ。つまり、こういう「過去」はだれもが経験しているからだ。「私」の「過去」が「いま」の形で書かれており、その「過去」は「私たちの過去」でもある。
 「過去」は直接書かれることはない。それでも「わかる」。「破裂したスイカ」「押しつぶされたイチゴ」「落下したザクロ」。自分の身を守ることができないスイカ、イチゴ、ザクロ。その存在におおいかぶさる「破裂する」「押しつぶす」「落下する」。「落下する」は「落下させる」であり、「破裂する」も「破裂させる」だろう。それが「過去」だ。スイカ、イチゴ、ザクロは身を守る方法を知らないのに、何かが、その身を攻撃してくる。それが「過去」だ。「過去」は、「いま」を動詞になって襲ってくる。「身を守る」の反対は「襲う/攻撃する/暴力を振るう」である。
 「そのままありのまま言ってしまって いいんですか」
 もし、スイカ、イチゴ、ザクロに発揮できる暴力があるとすれば、それだけである。しかし、そんなことができるだろうか。

コミュニケーション・スキルの授業で 話し相手の ありのままを
受け入れましょうって プリントに書いてある 相槌は 優しく 
話し相手の言葉を いきなり否定してはいけません 口角をすこし
上げ気味にして にやにやしてはいけないって 何なのさ

 ここには、もうひとつの「暴力」がある。被害者を「枠」のなかに抑え込もうとする力である。それは「破裂する(させる)」「押しつぶす」「落下する(させる)」という直接的な動詞では書かれない。
 「否定してはいけない」「にやにやしてはいけない」。「いけない」という「禁止」の「暴力」がある。否定の暴力がある。「否定してはいけない」も暴力なのである。「優しく 受け入れる」というのは暴力の対極にあるように見えるが、そこにも暴力があるのである。
 意識されない「善意の暴力」とでも呼べばいいのか。
 「私」は二つの暴力と向き合っていることになる。矛盾した暴力と向き合っていることになる。この矛盾に、ことばを動かしていく力、詩がある。
 そうは思うのだけれど、そう感じて、苦しくなるのだけれど……。
 「12」のこういう部分。

とりのこされて 車中のポスターを 呆けて見つめた 平成のビッ
グニュースは バブル景気崩壊 サリン事件 大地震 疾走する電
車に運ばれ 私は 地に足がついていない ポスターの 活字に
苛立ち 三十年をくくられて

 こうしたことばには「過去」ではなく、「記録」だと思う。
 「過去」と「記録」はどこが違うか。
 説明になるかどうかわからないが、「私」の感覚では「記録」には「間違い」がない。言い直すと、「個人的体験」がない。サリン事件の被害者、大地震の犠牲者(他者から暴力を受けた人)は「サリン事件」「大地震」ということばだけで「過去」を語ることはできない。「破裂する(させる)」「押しつぶす」「落下する(させる)」というような動詞が「個人的体験」として、つまり「肉体の痛み(反応)」として生きていることと対峙する矛盾として見えてくる、見えてしまうものだと思う。私はサリン事件も大地震も、自分の「肉体」としては体験していないので、どういうことばが可能なのか言うことはできないが、体験者ならば必然的に「個人的な動詞」が「記録」を突き破ってあらわれてくるものだと思う。もちろん、その「個人的な体験」は李村敏夫が『日々の、すみか』で書いているように「遅れてあらわれる」ものだと思うが、この冨岡のことばには、その「遅れてあらわれる」ものがない。「個人的な体験/遅れてあらわれる何か」というのは、「記録」から見れば「間違い」に属するもの(記録には書きとめることができないもの、排除されてしまうもの、という意味である)だが、ひとは間違えないといけないときがある。普遍化してはいけないときがあると思う。普遍化の手前で立ちどまり、「個人」の絶対性へ引き返さないといけないときがあると思う。
 それは、「優しく」「受け入れましょう」と逆向きの動きである。「優しく」「受け入れましょう」に対して「何なのさ」と反発を感じた冨岡ならばこそ、「地に足をつけて」踏みとどまってほしいと私は思う。
 また「01」に戻るけれど。その三連目。

よせばいいのに 水の流れのように 自然に 相手の気持ちに沿っ
てねって 教師役のおばさんは 自信たっぷりに言ってるけど 水
も堰き止められると 濁ります 腐臭がします 泥水に沈む私に
手をさしのべたら あなたの身体も 汚れます

 この他者との向き合い方、目の前にいる他者に対してことばを投げつけるままの運動をつづけてほしかったなあ、と思う。「個人」を剥き出しにすることは、他者を「個人」として自分に引きつけて向き合うことだ。「相手の気持ちに沿ってねって」の「ね(自信たっぷりの押しつけ)」があかるみにだすおばさんの「暴力」をもっと書いてほしいなあ、と私は思う。

 

 


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