福岡発 コリアフリークなBlog

韓国や韓国語に関するオタクの雑学メモ。韓国映画はネタバレあり。 Since 2005/9.14

開天節と民主労働党

2006年10月03日 |   〇政治・経済

韓国では10月3日は「開天節」で祝日だ。

チュソクの連休とあわせて先週の土曜から始まった9連休を
満喫している国民も少なくないようだ。

--- 何ともうらやましい限りだ。

ところで、今日の祝日である「開天節」とは、民族の始祖、檀君が
朝鮮を建国した日を祝い、同時に天の神である恒因の意を受けた
息子の恒雄(檀君の父親)が天を開き「弘益人間」(広く人間社会を
益する)の大業を始めた日を祝する意味も込められた日で
あるという。


△韓国社会に広く流布している
民族の始祖、「檀君」の肖像画


韓国独立の翌年にあたる1949年、「国慶日に関する法律」で
祝日に指定されて以来の歴史的な祝日だ。

あくまで「三国遺事(13世紀)」に記載された神話に依拠した
祝日であるとは言え、韓国(朝鮮)建国以来、今年で実に
4338周年(檀紀)を迎えたことになるという。

乱暴に言えば韓国版「紀元節」(現在の「建国記念日」)と
言ったところか。

「ヲタク」は神話そのものを否定はしないし、物語として
楽しんだり、神話や伝承に反映した古代人の生活や精神
世界を学ぶことは意義のあることだとも思っている。

しかし、神話を何らの実証的根拠もなく、そのまま「民族の
歴史」と見なすとなると、話は全く違ってくる。

それは、実にナンセンスな話であるばかりでなく、非常に
危険なことだとも思っている。

そうした非合理な精神は偏狭な民族至上主義や国粋主義と
結びつきやすく、実証的で科学的な歴史探求の営みを阻害する
ばかりか、場合によっては人間の自由で合理的な精神そのものを
圧殺しようとする「狂気」をも生み出しかねないからである。
日本の「皇国史観」にまつわる痛恨の歴史など、その典型的な
例だと思う。

実は今日、活字中毒の「ヲタク」がいつものようにネイバー
ニュースを読んでいると、韓国の民主労働党が「開天節」を祝して
発表した公式論評が目にとまった。

「ヲタク」が、こうした小難しいことを考えるきっかけになった
記事だった。

論評の主旨は、韓国の進歩派陣営を代表する政党として、
労働市場の規制を緩和し非正規雇用を拡大させたノ・ムヒョン
政権の新自由主義的な政策を社会2極化の元凶として厳しく
批判するものだった。

しかし、冒頭でしっかりと「開天節」の意義を説いていた。

「ヲタク」は、民主労働党が、檀君朝鮮の建国を神話としてでは
なく歴史として「信奉」しているがごとき論評に、少なからず
驚かされた。

「進歩派政党」の民主労働党でさえ神話と歴史を峻別する視点を
持たず、「誇らしい半万年の民族史」を信奉しているところに、
一筋縄ではいかない韓国民族主義の根の深さを見る思いが
したのである。

それでは、関連部分のみ翻訳練習し記録しておく。

・・・・・・・・・・・・・・

■ 4338주년 개천절을 축하하며
4338周年「開天節」を祝いながら
(民主労働党公式論評 10月3日)

하늘이 열리고 이 땅에 나라를 세운지 어느덧 4338년이
흘렀다. 단지 신화로서가 아니라 역사로서 단국조선이
새롭게 주목받고 있고 이 땅에 건국되었던 고대국가들에
대한 관심도 높아지고 있는 때이다.
天が開かれこの土地に国家が建設されて以来、いつの間にか
4338年という歳月が流れた。単なる神話としてではなく歴史と
しての壇君朝鮮が、最近、あらたに注目を集めており、この土地に
建国された古朝鮮など古代国家に対する関心も高まっている。

그러나 우리는 오늘 그저 또 하나의 기념일 행사를 치를 뿐 이
땅에 나라를 세우고 하늘을 열던 선인들의 뜻을 오늘에
새기는 데에는 별 관심이 없는 것 같아 안타깝다.
しかし、我々は今日、単に一つの記念行事を開催するだけで、
この土地に国を建て天を開いた先人の意志を今の時代に刻み
込むことに、大して関心がないように見えるのは残念でならない。

오늘 우리 사회가 직면해 있는 차별과 불평등의 위기는 ‘널리
인간을 이롭게 하겠다’던 홍익인간(弘益人間) 정신을 다시
되새겨 보게 하고 있다.
現在、韓国社会が直面している「差別と不平等」の危機は、「広く
人間社会を益する」とした「弘益人間」の建国精神をあらためて
思い起こさせてくれる。

-以下省略-

(終わり)


 ← 応援のクリックをお願いします。