『ぼく勉』の最新話でマルチエンド展開がなされることが公表されて、そちらの感想でも『五等分の花嫁』もマルチにすべき、と書いたので、エントリーを変えてもう少しふれておこうかな、と。
で、『五等分の花嫁』については、すでに何度か触れてきたけど、マルチエンド、というか、とにかく「やり直し」をすべき、と思っている一人。
理由は、現状の結末では、物語として破綻しているから。
先に断っておくと、特に五つ子の誰かを推しているわけでなく、あくまでも、物語のそこら中にばらまかれた伏線を、もう少しちゃんと回収してほしいから。
でないと、単に作者が都合よく読者の気をそらすために、「紛らわしい伏線もどき」を、まさに撒き餌としてばら撒いたようにしか見えなくて、端的に言って、不快。
なので、これも先に断っておくと、特に五つ子に推しはなく、純粋に新種のラブコメとして楽しんでいた(と思っていた)方なので、あの終幕を見てからは、むしろ、ストレートに不満は作者に向かっている。
つまり、特定の推しのいる人たちが、春場ねぎは擁護して、たとえば出版社の大人の事情に憤慨する、という感じではなく、単純に、あんな物語で筆を置きやがって!、という点で、春場ねぎに直接、不満を抱いている。
ついでにいえば、その結果、(特定の「推し」はないとはいったけれど)物語が終わって、四葉のことが嫌いになったし、合わせて、あの結末を作中で選択した張本人である風太郎についても呆れている。
もちろん、この先、「実は・・・」という具合に「新章」がしれっと立ち上がる可能性はあるかもしれないのはわかっていて、それを期待している一人ではあるけれど、でも、いまだ、特に新しいプロジェクトが公表されているわけでもないので、『五等分の花嫁』はあの形で完結した、と今では思っている。
そのうえで、まぁ、『ぼく勉』もああして世間の空気を読んでw、マルチストーリーを選択したんだから、『五等分』もそうしてみたら、というオススメね。
ちなみに、日の出祭前までの物語の展開からしたら、推しはいないとはいうものの、花嫁にふさわしいと思っている順でいうと、
五月>一花>>>>>二乃=三玖
という立場(もちろん、もはや四葉は論外)。
これは、伏線として重要視されてきた、
京都の子、
鐘キス、
零奈
との整合性をつけるのが第一だと思っているから。
なので、自ら零奈を演じていた五月が筆頭で、次点が、実際に6年前の京都で風太郎と会っていた一花。
逆に、6年前の京都の話から外れている二乃と三玖が劣後する。
実は、二乃の場合、6年前に風太郎を見かけているのと、結婚式場におけるミサンガの問題があるので、三玖よりは上だと思いたいところもあるのだけど、その一方で、高校の修学旅行編を経て、二乃と三玖の関係は、ほとんど双子のようなものとして確立されてしまったので(実際、二人は一緒にお店を始めてしまうし)、どちらが勝てばどちらかが泣くことになるため、結果的に、選択されにくい立場として同等になってしまったかなぁ、と思っている。
で、なんで、京都の子の話や、零奈の件が大事か、というのは、今まですでに何度か書いてきているので、そちらを見てもらうとして。
(たとえば、 五等分の花嫁 第118話 感想4: 119話以降の展開ではやはり「零奈問題」は爆弾だ )
『ぼく勉』との違いという点では、『五等分の花嫁』の場合は、完全なパラレル、というよりも、異なるルートを重ねるたびに、それぞれのルートのヒロインの新しいバックストーリーが開示されて、そうした事情を含めて、物語の「真エンド」に向かう、という展開が合っているんじゃないかな、と。
というか、そのプロトタイプは、すでに一度、日の出祭の時に、五つ子ごとのパラレル展開としてやっているだよね。
あれを本格的にやればいいんじゃないかな、ということ。
なので、マルチストーリーを走らせる起点としては、あの99話とか100話とかの、日の出祭初日のところからなんだろうな、と思っている。
たとえば、いきなり横道にそれてしまうかもしれないけれど、あの日の出祭期間中に三玖が語った「この恋が実らないことをすでに知っている」という(感じの)セリフについては、結局、その後、何も触れられなかったし、そもそも、それが何のことを指すのか、というヒントも、それまでの物語描写にはなくて、ひたすら、唐突な一言だった。
で、それは、明らかにその発言(独白)をするための情報のピースが欠けていた、ということと解釈すべきで、そのような話を改めてはさみながら、それぞれの物語を完結させていく、というのが、やはり美しいのかな、と。
だって、三玖はもうこれは絶対ムリ!って思っていたところで、風太郎に選ばれたりしたなら、それは三玖にしても、三玖推しの人にとっても、この上なくハッピー!、ってことでしょ。
なので、あの日の出祭のパラレル展開は、後日、物語を分岐させて再起動させるための仕込みだったのではないかと(かなり作者に対して好意的ではあるけれど)思っていたりする。
そういう、新たなバックストーリーの補填とともに新しいエンドが用意されて、それで、読者からすると、そうした新たに追加されたバックストーリーも含めて、真エンド?に納得する、という展開でいいんじゃないのかな、と。
その意味では、確かに『ぼく勉』のうるかルートはよくできていて、なぜなら、あの最後に明かされていた成幸とうるかのエピソードって、成幸が文乃や理珠たちと出会う前の出来事なので、理珠ルートや、文乃ルートにおいても、あのエピソードの存在はそのまま生きてくる、というか、全く矛盾はしない新情報に過ぎないわけで。
となると、そうした新しい情報を読者は足し算した上で、次のルートを読むことが可能なわけで。
あれと同じような「加算式」のマルチルートをしていけば、面白いんじゃないかな、と。
で、『五等分』だったら、日の出祭からリブートをかければちょうどいいかな、と。
・・・と、そんなふうに思っている。
まぁ、どうなるかはわからないけど。
でも、あの終わり方はないわー、と思っているので、なにかしらやり直しを図るべきだと真面目に思っているんだけどね。
で、『五等分の花嫁』については、すでに何度か触れてきたけど、マルチエンド、というか、とにかく「やり直し」をすべき、と思っている一人。
理由は、現状の結末では、物語として破綻しているから。
先に断っておくと、特に五つ子の誰かを推しているわけでなく、あくまでも、物語のそこら中にばらまかれた伏線を、もう少しちゃんと回収してほしいから。
でないと、単に作者が都合よく読者の気をそらすために、「紛らわしい伏線もどき」を、まさに撒き餌としてばら撒いたようにしか見えなくて、端的に言って、不快。
なので、これも先に断っておくと、特に五つ子に推しはなく、純粋に新種のラブコメとして楽しんでいた(と思っていた)方なので、あの終幕を見てからは、むしろ、ストレートに不満は作者に向かっている。
つまり、特定の推しのいる人たちが、春場ねぎは擁護して、たとえば出版社の大人の事情に憤慨する、という感じではなく、単純に、あんな物語で筆を置きやがって!、という点で、春場ねぎに直接、不満を抱いている。
ついでにいえば、その結果、(特定の「推し」はないとはいったけれど)物語が終わって、四葉のことが嫌いになったし、合わせて、あの結末を作中で選択した張本人である風太郎についても呆れている。
もちろん、この先、「実は・・・」という具合に「新章」がしれっと立ち上がる可能性はあるかもしれないのはわかっていて、それを期待している一人ではあるけれど、でも、いまだ、特に新しいプロジェクトが公表されているわけでもないので、『五等分の花嫁』はあの形で完結した、と今では思っている。
そのうえで、まぁ、『ぼく勉』もああして世間の空気を読んでw、マルチストーリーを選択したんだから、『五等分』もそうしてみたら、というオススメね。
ちなみに、日の出祭前までの物語の展開からしたら、推しはいないとはいうものの、花嫁にふさわしいと思っている順でいうと、
五月>一花>>>>>二乃=三玖
という立場(もちろん、もはや四葉は論外)。
これは、伏線として重要視されてきた、
京都の子、
鐘キス、
零奈
との整合性をつけるのが第一だと思っているから。
なので、自ら零奈を演じていた五月が筆頭で、次点が、実際に6年前の京都で風太郎と会っていた一花。
逆に、6年前の京都の話から外れている二乃と三玖が劣後する。
実は、二乃の場合、6年前に風太郎を見かけているのと、結婚式場におけるミサンガの問題があるので、三玖よりは上だと思いたいところもあるのだけど、その一方で、高校の修学旅行編を経て、二乃と三玖の関係は、ほとんど双子のようなものとして確立されてしまったので(実際、二人は一緒にお店を始めてしまうし)、どちらが勝てばどちらかが泣くことになるため、結果的に、選択されにくい立場として同等になってしまったかなぁ、と思っている。
で、なんで、京都の子の話や、零奈の件が大事か、というのは、今まですでに何度か書いてきているので、そちらを見てもらうとして。
(たとえば、 五等分の花嫁 第118話 感想4: 119話以降の展開ではやはり「零奈問題」は爆弾だ )
『ぼく勉』との違いという点では、『五等分の花嫁』の場合は、完全なパラレル、というよりも、異なるルートを重ねるたびに、それぞれのルートのヒロインの新しいバックストーリーが開示されて、そうした事情を含めて、物語の「真エンド」に向かう、という展開が合っているんじゃないかな、と。
というか、そのプロトタイプは、すでに一度、日の出祭の時に、五つ子ごとのパラレル展開としてやっているだよね。
あれを本格的にやればいいんじゃないかな、ということ。
なので、マルチストーリーを走らせる起点としては、あの99話とか100話とかの、日の出祭初日のところからなんだろうな、と思っている。
たとえば、いきなり横道にそれてしまうかもしれないけれど、あの日の出祭期間中に三玖が語った「この恋が実らないことをすでに知っている」という(感じの)セリフについては、結局、その後、何も触れられなかったし、そもそも、それが何のことを指すのか、というヒントも、それまでの物語描写にはなくて、ひたすら、唐突な一言だった。
で、それは、明らかにその発言(独白)をするための情報のピースが欠けていた、ということと解釈すべきで、そのような話を改めてはさみながら、それぞれの物語を完結させていく、というのが、やはり美しいのかな、と。
だって、三玖はもうこれは絶対ムリ!って思っていたところで、風太郎に選ばれたりしたなら、それは三玖にしても、三玖推しの人にとっても、この上なくハッピー!、ってことでしょ。
なので、あの日の出祭のパラレル展開は、後日、物語を分岐させて再起動させるための仕込みだったのではないかと(かなり作者に対して好意的ではあるけれど)思っていたりする。
そういう、新たなバックストーリーの補填とともに新しいエンドが用意されて、それで、読者からすると、そうした新たに追加されたバックストーリーも含めて、真エンド?に納得する、という展開でいいんじゃないのかな、と。
その意味では、確かに『ぼく勉』のうるかルートはよくできていて、なぜなら、あの最後に明かされていた成幸とうるかのエピソードって、成幸が文乃や理珠たちと出会う前の出来事なので、理珠ルートや、文乃ルートにおいても、あのエピソードの存在はそのまま生きてくる、というか、全く矛盾はしない新情報に過ぎないわけで。
となると、そうした新しい情報を読者は足し算した上で、次のルートを読むことが可能なわけで。
あれと同じような「加算式」のマルチルートをしていけば、面白いんじゃないかな、と。
で、『五等分』だったら、日の出祭からリブートをかければちょうどいいかな、と。
・・・と、そんなふうに思っている。
まぁ、どうなるかはわからないけど。
でも、あの終わり方はないわー、と思っているので、なにかしらやり直しを図るべきだと真面目に思っているんだけどね。