BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった… 第12話 『最終イベントが来てしまった…』 感想: 破滅どころか超ハッピーエンドで2期へ続くw

2020-06-21 15:22:33 | Weblog
わかっていたことではあるけれど、あっさり、会長もカタリナにおとされて、ひとまず大団円w

てか、会長の闇の魔法からの救済劇なんて、カタリナが会長の手を取るだけで、一緒についてきたカタリナの取り巻きwの面々は、ただ周りで見ていただけで終わってしまったw

さすがに少しは、あ、これヤバい!とか思わせる場面が会っても良かったと思うのだけど。

それもなく、ただ手を握っておしまい!って感じで。

ともあれ、会長もおとしたことで、要するに、超ハーレムエンドだったわけだけど、しかし、女子が主人公だとそれがオーケーに見えてしまうのが不思議なところ。

で、しかも2期なわけでしょ?

でも、そうなると、これ、カタリナ・パーティが一丸となって、国の危機にあたる・・・とか言う展開でもない限り、完全に宝の持ち腐れだよねw


本音を言うと、カタリナが心配するとおりの破滅エンドの到来も一度見てみたいけれどね。

もうすっかり、皆に気を許してしまったところで、全員から手のひらを返されて、あわれ追放の憂き目を見るカタリナ・・・、という展開w

そうして、またカタリナ脳内会議で、すっかり安心して緩みきっていたー!!!とかいって言って、大反省会する様子とかw


とはいえ、こんなハッピーエンドにしておいて、2期でホントになにやるんだろ?

さらにカタリナ・ハーレムが広がっていくのだろうか?

それともカタリナラブの面々の間で多少なりとも不和が生じるのか?

なんの期待もしてなかっただけに、微妙ながらも佳作で終わったのにちょっと驚いている。

とりあえず、素直に2期を待ってみますかね。

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かぐや様は告らせたい?〜天才たちの恋愛頭脳戦〜 第11話 感想2

2020-06-21 12:51:44 | かぐや様
さすがにこの先どうなるのか気になってしまったので、ちょっといくつかこの先のバレを見てきたのだけど、

やっぱり、一応、今後は、結構、石上を中心に物語が回っていくのね。

それだけでなく、彼と同級生の伊井野やその友達の大仏とかも巻き込んでの、石上争奪戦?みたいな方向に行くようで。

え?って、目を疑ったけどねw

でもまぁ、そういう方向に行くらしい。

で、今回、石上に文句を言いにわざわざ来ていた、石上の歩む道を思い切り狂わせた張本人の大友も絡んでくるらしい。

つまり、これ以後の展開を考えた時、今回のエピソードは外すことのできない転回点だったってことらしい。

まぁ、それなら仕方ないのだけど。

でも、なんというか、石上たち後輩の世界に物語の軸足を置くことで、白金やかぐや様の代の有能さ、ならびに、それに伴う権力掌握による情け容赦のなさを間接的に描いていくのって、どうなんだろうね?

それだと、石上たちが、神々を前にしたただの民草にしか見えてこないのだけど。

だって、石上がぶん殴った腐れ演劇部のやつとか、結局、四宮家が高校のお偉方OBにチクって、退学させたというのが真相ということだし。

その場合、確かに早坂に言ったとおり、かぐや様は直接、手を下しているわけではないけれど、しかし、しっかり一後輩の人生を左右するような圧力をかけているわけで。

まさにパワー、まさに権力。

しかし、そんなものの所在をわざわざわからせるような非情な事件がこの物語には必要なのか、というのは相変わらず感じる。

ということで、やっぱり、この石上事件周辺への物語の旋回は、悪手としか思えないのだけど。。。

これで、この先、ホントに面白くなるのかな?

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かぐや様は告らせたい?〜天才たちの恋愛頭脳戦〜 第11話 感想

2020-06-21 10:41:47 | かぐや様
ふーん、かぐや様って、これからはこういう話になっちゃうんだ。

石上の話になるのか。

そして、またもや、パチモンの「東京ラブストーリー」のイントロ。。。

うーん。

なんか期待してたのと違うなー。

石上の更生の話、社会復帰の話になるのか。

かぐや様って、てっきりラブコメでギャグ漫画だと思っていたのだけど。

ここまでガチでシリアスをするとは思ってなかった。

てか、白金たち生徒会の調査能力もすごいし、四宮家の学校に対する権力の所在にもびっくりする。

まぁ、今回は早坂の言う通り、それを匂わせただけかもしれないけれど。

にしても、なんか、全然違う物語になってしまったようで、正直、困惑。

単純に、早坂が舌打ちしながらかぐや様の尻拭いをするのと、藤原書記が、かぐや様の白金に対する姑息な計画を能天気に粉砕していくところが見たいだけなんだけどな。

てか、ラブコメとギャグ、もうやめるのかな?

ちょっとこの物語をどこを向いているのか、まったくわからなくなっちゃったなぁ。



追記: あまりに気になったので、ちょっと調べて、感想2として書いてみた。

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泣きたい私は猫をかぶる 感想

2020-06-21 00:44:14 | Weblog
『千と千尋の神隠し』と『君の名は。』を足して2で割ったような物語だけど、当然、その2作の足元にも及ばない。

残念な映画。

でもまぁ、佐藤純一(サトジュン)と岡田麿里って、方向性が逆だから、企画の段階からミスマッチだった感は拭えない。

サトジュンって、基本、リリカルな実写主義的な映像と芝居を好むタイプ。

対して、岡田麿里って、主には女性の主人公に生じる不可解な情動を核にして、逸脱した行為を描くことでリアリズムを追求するタイプ。

さらにいえば、

サトジュンが、その実写主義的なところから、かつてあった映画的な実写主義、典型的には大林宣彦的な実写映画のカメラワークを好むのに対して、

岡田麿里は、基本的に90年代的な月9ドラマ的な、アップダウンの激しい展開のシナリオを得意とする。

つまり、サトジュンが「静」の映像とすれば、岡田麿里は「動」の映像。

となると、

よほど辣腕をふるえるタイプのプロデューサーでもいない限り、映画としてまとまりに欠けるものになることは必至。


で、実際に見終わってみると、そういうチグハグした部分ばかりが目立った。

まずは主人公の美代。

まさに岡田麿里の描く女子の典型のような、不可解な言動が目立つ不思議ちゃんなわけだけど、それを「無限大謎人間」の略として「ムゲ」というあだ名で作中で強調するのは、流石にどうかと思うよ。

あだ名としてあまりに痛すぎるし。

最初は誰のことを言っているのか、わからなくて戸惑ったけど、逆に、説明された後は、そこまでベタに呼ぶか?と思うわけで、そういうところは岡田麿里だなぁ、めんどくさいなぁと思った。

で、美代=ムゲの対になる日之出については、こちらも何を考えているのかわかりにくい。

多分、舞台が陶芸の町・常滑だからなのだろうけど、唐突に、俺、爺ちゃんみたいに器を作りたいんだ!というものづくり男子にしてしまって、さすがにそれ、町おこしに縛られ過ぎだろう、と。

そういう物語外部の理由から主人公二人の性格が決められているのに気づいてしまうと、そこからさきは、もうPR映画にしか見えないんだよね。

で、そのPRのために、無理やり、「猫に転じる」といういかにもジブリ的なあやかしっぽい世界が付与される。

・・・って思ってたら、サトジュンと連盟で監督している人ってジブリ出身ってことに気づいて、あー、雰囲気だけはジブリにしたかっただけなんだ、ってことにも気がついてしまって、更に萎えた。。。

ペンギン・ハイウェイ』が思っていたよりもよかったので、同じ制作スタジオということで、ちょっと期待していたのだけど、ガッカリ。

『ペンギン・ハイウェイ』がよかったのは、あくまでも原作があったからで、オリジナルの映画を作らせると、やっぱりこういうスポンサーやらスタッフやらの事情が垣間見える闇鍋みたいなものになってしまうんだな。

テレビ屋の発想の悪いところだよね。

ともあれ、何が気に入らなかったって、結局、最後の場面で、美代が自分の顔を取り戻して日之出とともに猫の世界から抜け出すところって、彼ら2人の自力でなんとかするのではなく、彼らを「根拠なく」応援しようとしている「善意」に溢れた元人間の猫のおじさんやおばさんであったこと。

つまり、美代にしても日之出にしても、自分の失敗を反省するだけで、その尻拭いをするのは第三者の見ず知らずの善意の大人なんだよね。

でもさ、もともと美代が不思議ちゃんになったの、両親が突然離婚したことに起因しているのだから、現実世界では、圧倒的に「大人」がクソなんだよね。

日之出にしても、爺ちゃんっ子で母親とはうまくいっていないし、姉はいるけど、ただのアホだし。

そんないかにも「ヒドイ家庭環境」の被害者である結果、美代は人間をやめて猫になっちゃおう!とまで思ってしまったのに。

その猫の国で自分を救ってくれるのが、かつて美代と同じように人間やめた猫たちって、どういうこと?って思うよ。

同じ傷を受けたものなら、その気持はわかるから、若い世代ならその過ちからはすくってやろう、という、こちらも大人たちの都合だけじゃない。

要するに、現実世界でも猫の世界でも、結局、「大人」の気分次第で、美代の向かう先は決められてしまう。

このあたりが、自分の頭で考えて行動して・・・、って展開の『千と千尋の神隠し』との決定的な差だと思う。


・・・ということで、で、これ、一体、何を描きたかったの?ってことが最後になって抱いてしまった疑問。

せめて、美代が「人間の顔」を取り戻すところは、彼女と日之出の2人の力でなんとかした、という「主体性」が欲しかった。

それがなければ、ただの不思議ちゃん冒険記にしかならないじゃん。

そういう意味では、最後に、美代と日之出が相思相愛になったことは、ちゃんと、周りにいる迷惑をかけた友人や大人たちに報告している様子を描くべきだったと思う。

あんな、エンドクレジットが流れるところに、音声抜きでマンガ風に差し込むのではなく。

そういう、直接的な対人コミュニケーションの欠落を放っておいたから、そもそも美代はあんな困ったちゃんになってしまったんじゃなかったのか?と思わずにはいられなかったから。

ということで、これ、ネトフリで無料で見れる状態でなかったら、絶対見てなかったと思う。

一体、誰に向けて何を伝えたかったのだろう?

それがないから、たたただPR映画にしか見えなかった。

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