例の『ぼく勉』のパラレルストーリー展開の公表以来、『五等分の花嫁』についても同種のマルチエンドの展開についてあれこれコメントされるようになってきているけど、その中で、ちょっと気になったのは、
マルチエンド展開は、エンタメ重視で、ストーリーテリングを放棄している(から望ましくない)
というような意見をいくつか目にすることがあったのだけど、
さすがに、それって偏見じゃないかなぁ。
別に、マルチエンドだからといって、ストーリーテリングを放棄しているわけではない。
むしろ、複数の結末を重ね合わせることで描くことができる物語もある、でしょ?
もっとも、そういう語り方は、小説なマンガよりも、「ステージ」の概念が自然と出てくるゲームの形式のほうがあっているのかもしれないけれど。
でも、それを小説で導入して成功しているケースはたくさんある。
語り手が語りを呼び込んでいくタイプの枠物語なんて、それこそ『千夜一夜物語』の頃からあるわけだから。
なので、さすがに、マルチエンドだから(ゲームっぽくて)エンタメ!、というのは、言い過ぎだと思う。
『ぼく勉』の場合であれば、素直にうるかエンドで納得だから余計なことするな!、っていえばいいだけだと思うけどね。
同じことは『五等分の花嫁』がマルチエンドを導入した場合でもいえるだろうから。
もっとも『五等分の花嫁』の場合は、四葉エンドがあまりにも雑な展開だったからやり直せ、といっているのとほぼ同じだから、ちょっと動機は違うのだけどね。
ゲームの比喩に近づけるなら、『五等分の花嫁』というゲームのプレイヤーとして春場ねぎは失格としか思えないエンドを選んでしまったから、プレイヤーを変えてもう一度やり直せ!というのに近い。
ゲーム実況を見てたら期待はずれだったから、違う人がプレイするゲームを見たい、というのに近いよね。
だから、正確には、四葉エンドに納得できない人たちが、勝手に二次創作をすればいいだけなんだけど。
ただ、今日日、この二次創作のうち、旨味のある部分は、作者というか、作者を抱えた製作チームが、しっかり手を出す領域なのだけど。
たとえば、『禁書目録』に対する『超電磁砲』なんか、まさにそれで。
いや、スピンオフはちょっと違うじゃない、というのはわかるけどね。
まぁ、だから、作者が手を出せる二次創作として、『五等分の花嫁』の場合は、四葉エンドは夢オチだった・・・解釈からの真エンドへの展開への期待なわけだけど。
夢オチの可能性については何回か書いてきたし、じゃあ、リブートの地点、すなわち夢が始まったあたりはどのあたり?ということについても書いてきているので、ここでは省略するけど。
ただ、単純に、四葉エンドって、それまであった「花嫁は誰だ?」的なミステリーとしての楽しみを完全に放棄しているからダメだ、と思うわけで。
もっとも、どうやら作者は、ガチで四葉、というよりもアニメでCVをやった「あやねる」に対して、自分のほとばしる想いを風太郎に託して伝えたかっただけのキモオタ絵師だったようだから、作者本人はあれでもう十分満足しているのだろうけどね。
そういう意味では、マガジン編集部は四葉以外のエンドを考えていたけど、最後は、作者のエゴに押されてしぶしぶ四葉エンドを認めた、というのが真相なのではないか、と思い始めている。
つまり、編集部としては、ただ「思い出の子」を探し当てるだけの話じゃラブコメとして全然面白くないから、せっかく五つ子というミステリーにありがちな「双子設定」の強化版の設定を導入するなら、それを可能な限り利用して、花嫁当てゲームにしてみよう、と考えて、連載を始めさせたのだと思う。
で、その編集部の狙いは見事に成功したのだけど、でも、多分、その成功に一番不満だったのが、作者である春場ねぎだった、ということなんじゃないか。
おそらく、いよいよ四葉の過去に触れた(修学旅行後の)エピソードのあたりから、そうした作者のエゴが前面に出始めて、基本的には113話あたりから以後は、もう編集部もさじを投げて作者の好きにさせたんじゃないかな。
つまり、まずは作者本人が見たいエンドを描かせないと、作者のモチベーションが持たないレベルにまで、作者と編集部の亀裂は達していたということ。
で、その結果、編集部側との協議の上で仕込んできた伏線の多くは、なかったこととして放棄された。
でなければ、あんな取って付けたような鐘キスバレを最終話でやるはずがない。
基本的に、日の出祭以後の性格破綻した四葉は、それまで我慢してきた作者の反動だった、と思えば納得できるし。
ただ、こう考えてくると、すでに作者は満足してしまっているのだろうから、いまさら、四葉以外のエンドを、その「四葉=あやねるラブ」が重い作者本人に書かせるのは難しいよね、きっと。
ということで、次の一手があるとしても、しばらく冷却期間をおいてからになるのだろうな。
さすがに、あの終わり方で太鼓判を押すマンガ編集者はそうそういないと思うけど。
だから、あったとすれば、マルチエンドによるリブートは、どちらかというと編集部による作品の救済が狙いだと思う。
そういう意味では、中途半端に人気が出てしまった結果、編集部が作者のたずなをきちんと握れなくなったのが原因だろうな。
人気が出た結果、作者と編集部の力関係が入れ替わってしまい、作者のエゴを押させることができなくなった、・・・というのが真相じゃないかなぁ。
逆に、こう考えてくると、限りなく『五等分の花嫁』の再起動は困難なのではないかと思えてくるのだけどね。
ワンチャンあるとすれば、むしろアニメ2期のほうかね。
あちらはストーリーの原案を編集部が脚本家と一緒に詰めて、作者の納得さえ取れればいいいはずだから。
うーん、でもそれも難しいかなぁ。
まぁ、だんだんどうでもよくなってきているのだけどね、さすがに終わってから1ヶ月も経つとw
マルチエンド展開は、エンタメ重視で、ストーリーテリングを放棄している(から望ましくない)
というような意見をいくつか目にすることがあったのだけど、
さすがに、それって偏見じゃないかなぁ。
別に、マルチエンドだからといって、ストーリーテリングを放棄しているわけではない。
むしろ、複数の結末を重ね合わせることで描くことができる物語もある、でしょ?
もっとも、そういう語り方は、小説なマンガよりも、「ステージ」の概念が自然と出てくるゲームの形式のほうがあっているのかもしれないけれど。
でも、それを小説で導入して成功しているケースはたくさんある。
語り手が語りを呼び込んでいくタイプの枠物語なんて、それこそ『千夜一夜物語』の頃からあるわけだから。
なので、さすがに、マルチエンドだから(ゲームっぽくて)エンタメ!、というのは、言い過ぎだと思う。
『ぼく勉』の場合であれば、素直にうるかエンドで納得だから余計なことするな!、っていえばいいだけだと思うけどね。
同じことは『五等分の花嫁』がマルチエンドを導入した場合でもいえるだろうから。
もっとも『五等分の花嫁』の場合は、四葉エンドがあまりにも雑な展開だったからやり直せ、といっているのとほぼ同じだから、ちょっと動機は違うのだけどね。
ゲームの比喩に近づけるなら、『五等分の花嫁』というゲームのプレイヤーとして春場ねぎは失格としか思えないエンドを選んでしまったから、プレイヤーを変えてもう一度やり直せ!というのに近い。
ゲーム実況を見てたら期待はずれだったから、違う人がプレイするゲームを見たい、というのに近いよね。
だから、正確には、四葉エンドに納得できない人たちが、勝手に二次創作をすればいいだけなんだけど。
ただ、今日日、この二次創作のうち、旨味のある部分は、作者というか、作者を抱えた製作チームが、しっかり手を出す領域なのだけど。
たとえば、『禁書目録』に対する『超電磁砲』なんか、まさにそれで。
いや、スピンオフはちょっと違うじゃない、というのはわかるけどね。
まぁ、だから、作者が手を出せる二次創作として、『五等分の花嫁』の場合は、四葉エンドは夢オチだった・・・解釈からの真エンドへの展開への期待なわけだけど。
夢オチの可能性については何回か書いてきたし、じゃあ、リブートの地点、すなわち夢が始まったあたりはどのあたり?ということについても書いてきているので、ここでは省略するけど。
ただ、単純に、四葉エンドって、それまであった「花嫁は誰だ?」的なミステリーとしての楽しみを完全に放棄しているからダメだ、と思うわけで。
もっとも、どうやら作者は、ガチで四葉、というよりもアニメでCVをやった「あやねる」に対して、自分のほとばしる想いを風太郎に託して伝えたかっただけのキモオタ絵師だったようだから、作者本人はあれでもう十分満足しているのだろうけどね。
そういう意味では、マガジン編集部は四葉以外のエンドを考えていたけど、最後は、作者のエゴに押されてしぶしぶ四葉エンドを認めた、というのが真相なのではないか、と思い始めている。
つまり、編集部としては、ただ「思い出の子」を探し当てるだけの話じゃラブコメとして全然面白くないから、せっかく五つ子というミステリーにありがちな「双子設定」の強化版の設定を導入するなら、それを可能な限り利用して、花嫁当てゲームにしてみよう、と考えて、連載を始めさせたのだと思う。
で、その編集部の狙いは見事に成功したのだけど、でも、多分、その成功に一番不満だったのが、作者である春場ねぎだった、ということなんじゃないか。
おそらく、いよいよ四葉の過去に触れた(修学旅行後の)エピソードのあたりから、そうした作者のエゴが前面に出始めて、基本的には113話あたりから以後は、もう編集部もさじを投げて作者の好きにさせたんじゃないかな。
つまり、まずは作者本人が見たいエンドを描かせないと、作者のモチベーションが持たないレベルにまで、作者と編集部の亀裂は達していたということ。
で、その結果、編集部側との協議の上で仕込んできた伏線の多くは、なかったこととして放棄された。
でなければ、あんな取って付けたような鐘キスバレを最終話でやるはずがない。
基本的に、日の出祭以後の性格破綻した四葉は、それまで我慢してきた作者の反動だった、と思えば納得できるし。
ただ、こう考えてくると、すでに作者は満足してしまっているのだろうから、いまさら、四葉以外のエンドを、その「四葉=あやねるラブ」が重い作者本人に書かせるのは難しいよね、きっと。
ということで、次の一手があるとしても、しばらく冷却期間をおいてからになるのだろうな。
さすがに、あの終わり方で太鼓判を押すマンガ編集者はそうそういないと思うけど。
だから、あったとすれば、マルチエンドによるリブートは、どちらかというと編集部による作品の救済が狙いだと思う。
そういう意味では、中途半端に人気が出てしまった結果、編集部が作者のたずなをきちんと握れなくなったのが原因だろうな。
人気が出た結果、作者と編集部の力関係が入れ替わってしまい、作者のエゴを押させることができなくなった、・・・というのが真相じゃないかなぁ。
逆に、こう考えてくると、限りなく『五等分の花嫁』の再起動は困難なのではないかと思えてくるのだけどね。
ワンチャンあるとすれば、むしろアニメ2期のほうかね。
あちらはストーリーの原案を編集部が脚本家と一緒に詰めて、作者の納得さえ取れればいいいはずだから。
うーん、でもそれも難しいかなぁ。
まぁ、だんだんどうでもよくなってきているのだけどね、さすがに終わってから1ヶ月も経つとw