UBにきて、隊員の様子を聞くにつけ思うことがあります。
それは娘の隊員時代にはメールをあれだけかわしたのに、親に心配事を聞かせたくなかったらしく、楽しいことばかりでした。
お気楽主婦の由縁はそこにありと、私自身も思うくらいですから、娘はノー天気な母さんに困ったことを書いてもちっとも慰めにならないと思ったのでしょう。
そんなこともちっとも思いやることが出来なかった反省も込めて、UBにいる隊員たちには、格別の思いを持ってしまうのですが、私の立場では余計なことのようにも思います。
酷Sの大きなケージに入って、さめの海に入って居るようなもので、夫は、日夜そのさめと戦っているのに、決して傷つくことの無い気楽な立場で、サメは生き物なんだから、殺しちゃだめよ、なんていっている自分の姿に気がつくのでした。
夫の言うように、目立たないで、静かに控えていたほうが良いのかなぁ。
日本に居るときも、夫の考えはちっとも変わっていなかったのですが、安全・便利に後押しされて、自由にやってきたのです。
UBでは、すべて夫が居ないと何も出来ない状態なのですから、私の意見はこうよ!と言い切れないのです。
情けないと言えば、情けない。
モンゴル人は、そんなに物事を深刻に考えたりはしない。
せっかく、アルタンボラグに行ったとき、馬に乗れるの放棄して、昼寝をすることが出来たと言うのに、また、元の自分にもどりそうで、もったいない。
夏に、せっかく海に行ったのに、泳ぐことも海でしか出来ないこともしないで、何処でも出来る昼寝をしている人を見て、なんてもったいないことをと思った居た私でした。
せっかく馬に乗れる、花の写真を撮れるというのに、何の欲も無く昼寝をした私は、海に来て心地よさそうに昼寝をする人の、気持ちが分かったのでした。
人に何かしてあげたい欲求は、置いといて、今の自分を楽しむこと。夫が常に言っていること。
今ある自分に自信を持ちなさい。オルティンドーの先生に教えられたこと。
たった一人草原に居たら、唄を歌うしかない。歌手の卵さんに教えられたこと。
もっと、もっと、何か足りない、何か足りない。。。いつもあせる気持ちで居た私を気づかせてくれた去年のフブスグルを、忘れそうになっている。
何もできなくても、私は私。
あせるな、あせるな