あまりしゃべりすぎて、お茶のお代わりをしました。
彼女は、お湯を請求してくれたのかと思ったら、新しいカップにティーバッグが添えられて、追加注文をしてくれたのでした。
限られた予算だと言うのに、ちゃんとモンゴル語を聞き分けられなくてごめんね。
ハンブロイと言うレストランは、社会主義のころは子供のためのレストランだったそうです。
彼女が、子供のころスーテイ ボダー(ミルク粥)をここで食べたそうです。
丸い建物の、良く日の当たる窓際の席に座って待っていた私は、マルチンと同じと言いました。
マルチンも、明るい窓際の席が好きで、真ん中のステージのあるところは暗いので、生演奏があるときでも中に入らないで、窓際に座りたがったそうです。
彼女は、人のたくさん居る中にはいりたかったのに、、、と。
彼女は、お姉さん夫妻に助けられ、アルバイトをしないで、勉強に集中していられるようです。
そして、そのお姉さん夫妻に心から感謝しているようで、義兄のドルジさんとも良い関係を築いていると言葉の端々に感じられました。
彼女は、お姉さんと木曜日の運転手についても話をしたようで、
お姉さんは、私が決めることだと言ったそうです。
それで、私のご主人はなんと言いましたかと、尋ねられました。
私の主人も、私が決めることだと言いました。と言ったら、畳み鰍ッて、あなたの結論はと尋ねられました。
明日、今月最後の木曜日です。
そして、バットスフさんの頼みで先払いしている料金についての仕事が終わる日です。
木曜日の運転に関しては、何も不都合なことはありませんでした。
それに、彼女の夫が目の病気で中国で入院していると聞きました。
夜はご主人が、昼間は彼女が運転して収入を得ていたわけですから、おそらく経済的に困っているはずです。
それを知っていて、条件のいい人が現れたからすぐに解雇と言うのは、私にとってはあり得ないことです。
日本人のそういう考え方は、分かりますとトゥールさんも承知でした。
たとえ、ドルジさんに代わることがあったとしても、12月はありえなくて、1月からです。
明日、バットスフさんとこの仕事について、話をしてみなくてはなりません。