風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

地質調査

2006年11月10日 | モンゴル風景






夫は、3日にUBから、さほど離れてないところに、地質調査のフィールドワークに行きました。池の真ん中が隆起しています。
それの原因は何かを、調査するのです。

13時ごろは、雪が降って真っ白でした。
調査も終わったころ、日が射してきて雪は解けて白い衣装は溶けてしまいました。
乾燥しているので、日さえ照らせば、17時頃の夕刻間際でも、あっという間に温度が急上昇して、雪が溶けるのです。日本では、考えられませんが。。。

そこへ、馬方が馬をゲルに連れ帰る一行がやってきました。
水を飲むはずが、凍っています。仕方ない、馬は氷をなめます。
なにやら珍しい機械を持って、老若男女のグループが見つけたら、馬方さんは近寄ってこないわけは無いのです。
しばらく、談笑をして、馬を集めに行ってしまいましたとさ。

草原に、散らばって住んでいる牧民は、情報に飢えています。
今日得た情報を、ゲルに帰ってどんな風に話したのでしょう?
情報集め、情報交換は、馬に乗って遠くまで行ったり来たりする、馬方さんの大事な仕事のようです。
好奇心と、話好きはUBの人たちも同じです。そして、そのうわさの足のはやいことといったら! DNAなのでしょうね。



コメント (2)

ニューヨーク事件の時

2006年11月10日 | チンゲル亭裏日記

私の娘を含めて、ボランティアに携わる人たちについて。
途上国の訳の分からない土地に行って、ボランティアをする人は、筋金入りの
強い人間で、どんなことがあってもびくともしない人間だと、思う人が居ます。

私の娘は、泣き虫で、こわがりで、優しくて、楽しいことが好きで、おいしいものが好きで、何より人間が好きです。
そんな感じやすさを持っているからこそ、草の根活動と名づけられるような、
より生活に密着し、現地の人の心の近くで、ともに泣いたり笑ったりしながら
活動ができるのだと思いす。

娘は、研修において自分の身は自分で守るということを、教えられて現地に赴きました。
UBに来た彼らにも相当の覚悟があって、やってきているはずですが、今回の
ような有り得ない事件が起こったとき。恐怖におののくのは、当然のことです。

そんな時、まず、怖かったねと共感してくれる人が一人でも多く居るということが、どれだけ恐怖に負けてしま和ないか大きな要となると思います。

それが、私の場合は、身近に居てくれる友人であり、いち早く帰宅してきた夫であり、夫が早引きすることをもっともだと後押しをした夫のカウンターパートのモンゴル人です。

異常事態が起こった時、まず、活動を停止して、自宅に帰るなり、仲間と集まって恐怖をかたりあうことが、必要だと思いました。
単独で活動をしている彼らにとって、一早い情報と、体温の感じられる仲間と庇護者を身近に感じることだと思います。

娘が、ボランティアをしているとき、ニューヨークの多発テロが起こりました。
派遣先は中国でしたが、アメリカ以外の国にも起こりうるとの判断の元に禁足
令が出ました。ほんとに心配でした。
こんなとき、親としては何もしてやることができません。
頼りは、事務所の職員の方たちであったはずです。
きっと、親代わりとして、善後策を講じてくださったことと思います。
おかげで、テロ事件の後遺症は娘には無いように見受けられます。

今、モンゴルにご家族を送り出している留守宅の方たちの、心配はどれだけのものか計り知れません。
家族の心配を感じつつ、堪えられそうも無い恐怖の中に居る若者も居ると思います。その、心の救済を早急にしなくてはなりません。

心身のケアの専門家ではない私に今できることは何だろうか。
コメント