風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

ひとそれぞれ

2019年01月07日 | 徒然に日々のことを
歩みは遅くても、確実に力を付けてきたと実感する人がいます。

その人の、覚え方は、かなり特別で、数年にわたって、かかわってきて、今年になって初めて、そうだったの!と、わかりました。

うわっ、それで、ここまで来たのは、相当の我慢が必要だっただろう。

よく耐えて、がんばってきたねぇ!と、感心する。

決して歩みを止めず、行きつ戻りつして、熱心さがほとばしるので、個人レッスンをしてあげたいという気になった指導者は、数人います。

芦孝会のシステムを上手に利用して、許せる限りの教場へ足を運び、いろんなアプローチで、練習を続けていました。

そのやり方に、弊害があるのではと危惧するほどでしたが、あらゆるところに出没して、詩吟のシャワーを浴びていたのだと、思います。

理屈ではなく、赤ちゃんが言葉のシャワーを浴びて、体で母国語を覚えていく方式だったのだと。
そうやって、とぎれなく吟詠を浴びて、忘れる度合いを減らしていたのかもしれない。

それで、一年に一吟を自分に課して、決して、人に左右されず、自分で決めた通りに進んできたという訳。
その頑固さは、時々(かな?)あきれられてきたけれど、それでも、貫き通した。

一つの山を登って、ある程度納得したら、誰もが、その頂上から、次の山の頂上へと器用に乗り移るのだけれど、次の山も、ふもとからゼロスタートするやり方。

それはとっても効率の悪いやり方だと、思うけれど、それがやり方なのです。
飽きたりあきらめたりしなかったのだろうか。

あきらめなかったから、野田 芦孝会長もお褒めになるほど、このところ目に見えて、上達してきたという訳。

それをご自身が自覚して居るのかいないのかはわかりませんが、この処、とみに表情が和らいで、時に浮「くらいだった表情がすっかり影を潜めている。

すごい変化だと、ひそかに、舌を巻く。

もう少し、効率よく習う方法は、無いかと考えてみる。

体で覚えたことと、理論で覚えたこととの橋をかけてあげればよいのだと思う。

はたして、効率よく習うことを本人が良しとするだろうか、良しとしなければ、始まらない。
その意識改革が、今年のスタートとなる。

新年の初心表明のことばから、なるほどガッテンなことを見つけました。



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