風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

通訳さん

2007年01月12日 | ことば
夫の新しい通訳さんに会いました。
モンゴル国立大学で勉強し、日本にも行ったことがあるそうです。
その時、日本で買った辞書が、露和と和露の辞書。
蒙和と和蒙の辞書は、持っているのかいないのか分かりませんが、彼女は仕事にロシア語の辞書を持参していました。

よく聞く話ですが、和蒙、蒙和の辞書の良いのがない、だから、英語やロシア語の辞書を持って、一旦第三番目の国の言葉に訳してから、日本語に訳して勉強する人が多いのだそうです。
二度のずれを修正しながら、末オていくことは、技術用語ならまだしも、文学や会話を通訳するに付いて、どんなひずみが起きているのだろう。

日本語を学ぶモンゴル人がどんどん増えていると言うのに、ちゃんとした辞書がなくて、二度辞書を引かねばならないのは、まどろっこしいことです。

どなたか、辞書をつくろうという学者さんはいらっしゃいませんか。
シンさんが書き込んでくださったので、辞書について、もう少し夫の苦労話を書いてみましょう。

辞書に関して、いろんな方面からいろんな話を聞きます。
私自身は、日常生活では、10個ほどのモンゴル語と、ボディランゲイジで済ませています。
ボランティアとオルティンドーの練習には、TISの4年生のトゥールさんに、日本語の会話の勉強として通訳をしてもらっています。

私が持っている、蒙和辞書を使うときは、我が家に遊びに来たほとんど日本語の出来ない学生さんとのコミュニケーションのとき、学生さんに辞書を引いてもらって私がその日本語を読み、私は和蒙辞書を引いて、そのモンゴル語を学生さんが読むと言うことをしています。

それでも、日本語とモンゴル語との表現方法の違い、モンゴル語に日本語に相当する言葉がない、あるいは辞書自体の語彙がすくないと言う問題があって、微妙な表現は伝わらなくて、単純な会話を続けるしかありません。

夫は、専門の仕事で通訳さんを雇っています。
夫の携わる分野の専門書は英語のものが多いため、前回は英語のできるモンゴル人通訳さん(大学院生がたまたまいました)でした。
その場合は、辞書を持たずに何とか仕事がこなせました。ほんとは、辞書を持ってきてくれたほうがずっと良い仕事が出来たのですが、彼女が自信過剰だったのか、持っていないかだったのです。(何しろ辞書は高いので、夫も、持ってきなさいとか、持ってないの?と聞けなかったようで。。。)

いろいろ事情があって、新しい通訳さんに代わりました。
彼女は、日本語の通訳です。
専門分野の通訳としてでなく教授との相互理解に重点を置いて今度は方針転換です。
それでも、専門についての会話も出てくるわけで、そうなると、夫は英蒙の辞書、通訳さんは露蒙、教授はモンゴル語とロシア語を話すという組み合わせになります。

専門分野についての、日蒙、蒙日の辞書は有りませんから、夫の言葉⇒英蒙⇒蒙露(通訳さん)⇒ロシア語で教授に伝わると言う経路をたどります。
日蒙の専門の辞書があれば、夫の言葉⇒通訳(ここで必要であれば日蒙辞書)⇒教授
 と伝わり通常の通訳のスピードで行われます。

彼女は、夫の専門分野については、これから勉強ですから、辞書を多用して仕事に臨みますから、(最初から辞書持参でした!)ページを繰る音が多くなります。
ロシア語の辞書は薄くて丈夫ですから、早く引けるのですが、日蒙の辞書は、雑誌のような厚さの紙を使っていますから、引くのがちょっと時間がかかります。

そのような、苦労を日々重ねているようです。
すべて、夫からの伝聞です。

《社会主義時代は、モンゴルではロシア語を小学校から学びます。そして、大学はロシアへ留学しました。ですから、日本での英語のように、知識階級ではロシア語を理解するのが当たり前です。
その時代が終わってからは、英語や日本語を教える学校が増えてきました。
今は、日本語と英語に人気が集まっているようです。
通訳さんは、30代ですから、ロシア語を習って育っていますから、日本で辞書を求めたときに、日露、露日を選んだのだと思います。》


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通訳さん

2007年01月12日 | チンゲル亭裏日記

ちょっとした忘れ物を届けtに行くついでに新しい通訳さんに会いました。

大学を卒業して10年になるその女性は、質素で清潔で、おとなしそうな人でどちらかと言うと地味な人でした。
末蛯ノやってきたようで、通訳はまだなれないようです。

おかげで、しゃべり過ぎないのが良い。
また、パソコンも得意ではないようでしたから、これから静かな仕事が出来ると、夫が喜んでいました。

と言うのも、大学院生は、パソコンが出来ることが得意で、すぐにネットをつないで、自分の遊びをしたり、チャットをするものだから、早打ちができることが自慢げなキーの音がうるさい、そして、余計なことまで先回りして通訳するものだから、話の手順が狂ってしまう。
日本人の通訳をしていることで、自分は夫と同じ地位にいるかのごとく振舞い、学生に先生と呼ばせたりするなど、典型的なモンゴル人だったそうです。
「今度は静かだよ」と言う夫の言葉に、万感がこもっていました。(笑)

今日の仕事の様子は、穏やかな表情でした。
今度の通訳さんは、ほんとに働きたい人ですから、3ヶ月の間、勤め上げてくれるでしょう。

それで、実績が出来れば、4月に赴任して来る人たちへ引き継ぐことが出来、彼女のスキルアップに必ず繋がることですから、よろしくお願いしますね。

人に対して、ノーということのない夫が、ノーと言い渡し、その後の、態度についても、きっぱりと申し渡したと言っていた小さな事件について、私に話すくらいですから、相当な、ワル(あくまでも夫にとって)だったようです。(笑)
モンゴル人サイドからは、そんなことは良くあることらしいので、教授は気にも止めなかったようでした。

しかし、いつもは、ノーと言わない夫が示した態度によって、やっと教授もその言わんとすることが分かってきたようでした。
あと3ヶ月を切ったこの時期に。。。。。
めでたし、めでたし。と、行くことに決めましょう。

順調に仕事を終了し、報告書を締め切りに提出し、残りの時間を大切に過ごそうと、話し合ったことでした。
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Tuulさんの授業

2007年01月11日 | SAVE THE CHILDREN




今日は、トゥールさんが私に代わって日本語の授業をしました。
私は、助手を務めたあと、折り紙を担当したのです。

トゥールさんは、午後2時からの授業の先生として、SAVE THE CHILDRENのドヤーさんにスカウトされました。
そのため、授業の練習をしたのです。

私と同じような授業をしたいと、先週から、日本センターに絵本を探しに行ったり、あれこれと準備に頑張りました。
4年生の授業では、大学生に教える実習はありましたが、子供たちに教えるのは初めてです。

滑り出しは快調、ところが、途中から生徒がしかも新人ばかりがどやどやと入ってきて、全部で21人になったときは、さすがに上ずってきましたが、いつの間にかペースと取り戻していました。

最後は、彼女が選んで借りてきた『お月様はどんな味?』と言う絵本を読んで、モンゴル語に末オて終わりました。
ご苦労様。
次の授業は、大丈夫です。頑張ってね。私は、見学をしないで、いつもどおり、ニコと一緒に先に帰りました。

良い先生を得て、SAVE THE CHILDRENの方たちもほっとしたことでしょう。

私もすっかり今日で授業が終わるような錯覚にとらわれて、ちょっぴり寂しい気分でした。


SAVE THE CHILDREN 第2会場では、日本語を教えているのは、私しかいませんでした。
3月いっぱいで、やめなければなりませんから、ほかの先生を探す必要があったのです。日本人の先生を探すことについて、いろいろと方法はありますが、なかなか難しい状況です。

それで、いつも私の通訳として付いてきているトゥールさんに目をつけたと言うことのようです。

彼女は、9月からドイツで日本語の勉強をすることになっていますから、ボランティアをすることや、日本語にかかわっていることが、無駄にはならないのです。

その上、ここで、日本語を指導していると言うことになれば、日本センターで本を借りるについても私の手助けを必要としなくなります。

さて、2時からの授業は、どんな守備だったのでしょう。
明日、借りた本を返すために日本センターで会うことになっていますから、様子を聞いてみることにしましょう。
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帰国準備について

2007年01月10日 | チンゲル亭裏日記
事務所から帰国準備についての、タイムテーブルが来ました。
一番早い手続きは、2月10日までに、帰路変更の申請書を出すことです。

4月5日が、帰国日ですが、1週間以内であれば問題なく旅行をしてから帰国することが出来ます。

果たして、最後の海外旅行のチャンスを夫はどう考えるか?
前回の帰国の際も、一日も早く帰りたいと、帰路変更をせずまっすぐに帰国したのでした。
さて、その時は、来蒙がほぼ決まっていましたから、次の機会に、旅行はいくらでもいけるからと、丸め込まれたのでしたが、、、、、

決めたらてこでも動かない、動けない夫のことですから、一刻も早く帰国をという方を選びそうです。

夏に帰国したときも、何かのためにと休暇を1週間残してあるのですが、おそらくそれも、使わないで、終わりそうです。

せっかくの機会なのに、楽しむことよりも優先させることの多すぎる夫と楽しいことは、何度でも毎日でもと考える私と、よくもまあ30年以上連れ添ってこられたものだと思います。

もし死ぬことが分かったら、遊ぶのでしょうか、いやいや、分かったらばこそしなければならないことをさらに見つけることでしょう。

はぁーーーー。。。
どこか行きたいなぁ。
行こうよ。

夫の言い分『モンゴルにいること自体が旅なんだよ』
聞く耳が無いようです。
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イアホンでなくて空気を伝わって

2007年01月09日 | チンゲル亭裏日記
ダンボールにあふれそうだったCDが、なんと1枚のDVDにおさまってしまった!
音楽と言えば、ラジオの時代から、SP、LP、カセット、CD、MD、DVDとその進化をつぶさに見てきた私です。(^^♪
今日、私の持つCDのほとんどが1枚のディスクに収まりました。

その元になるディスクは3年前、急にUBで住むことになったとき、夫が少ない時間をやりくりして、手もちのCDを急いでコピーしてくれたのでした。
その時は、めったやたら、とにかく、とにかく入れて入れたのでした。

そのほかに、娘に教えてもらった iTunesにも抜粋したのを入れてきました。
iTunesがあるのに、どうして、夫はそんな時間も無いのに、大変なことをと思い横目で見ていたのです。
その時、あの小さなボディにもかかわらずとても良い音が出るのに感激していたから、私はiTunesに夢中でした。

今年のお正月になって、1年ぶりくらいに、スピーカーから音を聞いてみました。
空気を伝ってきた音が優しく体を包むように聞こえてきたとき、ほんとにうれしかった。
その反応を見て、夫はあたらしいDVDに整理してコピーしなおしてくれました。

オープン・エアで聞く音楽がこんなに素敵だったとは、忘れていました。

母が一緒にいた10年ほどは、なぜか分からないうちに音楽を聴きたくない私になっていました。
それが、なぜか分かったのは、母が亡くなる1年余り前。
耳がどんどん遠くなっている母にとって、音楽は苦痛だったようです。
孫の弾くピアノは、孫の弾く姿を見ていますから、それだけでうれしかったのです。
けれど、小さなカセットやCDプレーヤーから出てくる音は、想像を加えることが出来ませんから、苦痛の何者でもなかったらしく、音楽をかけるとなぜか機嫌が悪くなったのでした。

それで、いつしか、音楽を聴く事から遠ざかっていたのでした。

先週、夫がディスクをプレーヤーに入れて、こっちのプレーヤーだったら聞けるはずだよと、線をつなぎなおしてスイッチを入れたとたん、聞こえてきた音に、鳥肌が立ちました。

あー、うれしい。なんて落ち着くのだろう。
私の好きな歌が、空気を伝わってやってくる。
メ[ル、ナット、アンディ、モンタン、ケン、ケイ・・・・・
フジコ、巌、文昭、・・・・・
今度日本に帰ったら、最近目覚めた演歌も日本のフォークも聴くつもり。
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笑い話

2007年01月09日 | UBから
先週の話です。

珍しく夫がくすくす笑いながら、話してくれました。

モンゴル人の先生(モ)「日本は、今何度くらいですか?」
南国出身の夫     「そうだねぇ、15度くらいです。」
モ         「あたたかいですねぇ」
夫          「プラスですよ」
モ          「エ!えぇー、そんなにぃ」

これって、すごくおかしいのですが、日本に居る人にとって、笑い話と言えますか?

もし、私が感じているほどおかしくないとしたら、私も相当モンゴル化していると言うことでしょうか。


笑い話その2(モンゴル語ではオニゴーといいます)

モンゴル語が達者で、モンゴルのことに博識な日本人の友人が新年のパーティーに招待されました。
オニゴーを、披露して楽しむコーナーで優勝したそうです。

『日本で地震が多いのは、なぜか知っていますか?
???
それは、モンゴル人力士がたくさん日本に行って、四股を踏むからなんだよ。
なるほど!!!』

大いに受けて受けまくったそうです。

大相撲が始まって、相撲大好きなモンゴル人はテレビの前にかじりついています。
記憶力の良いモンゴル人は、過去の記録についても驚くほど記憶しています。
決まり手についても、博識で、日本人もびっくりするほどです。
あまのお父さんがなくなられて、どんなにか力を落としていることか、昨日は、お父さんの席を用意していたとアナウンサーが言っていました。
これからの彼の頑張りに期待します。 ご冥福をお祈りいたします。





笑い話?その3
 雪の降る今日のような日 当然階段!と答えるでしょう。
なぜか、UBでは、タイルを光沢の有るツルツルのものを選ぶ習性があるようで、階段のほうが浮「です。
若い人も、階段を行きましたが、滑りそうになりました。

スロープの方は荒いコンクリートなので、滑り止め効果があって、滑りません。
男性は、迷わずスロープを行く人が断然多いのです。

でも、私は、やはりスロープのほうが浮ュて、手すりにしがみついて階段を上り下りします。(^_^;)


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おみやげ

2007年01月07日 | モンゴル風景


アルタンソブダーの抱いているミッキーとミニーのペアの人形は、一昨年娘が結婚をしたとき、夫のいとこから、私たちへ式の前日に届いた電報のメッセンジャーです。

私たちへの、お祝いといたわりの気持ちが伝わってきて、夫がいたく心を揺り動かされた記念の人形です。
式を終えて、モンゴルへと帰るとき、このまま日本に置いておくのは忍びなく、それに、モンゴルへ持っていけば必ず、生かされる日が来ると、スーツケースに入れて持って来ました。
1年余り、私たちを慰めていたミッキーとミニーの仕事が一つ終わって、ぴったりの行く先が決まりました。

はるか日本の南の端から、モンゴルのウランバートルの東のほうへ、来月5歳になるソブダーへのお年玉として、やってきました。
送ったご夫妻も、思わぬことだったのではないかと思います。
そして、優しい夫は、その様子を伝えると、手放しで喜んでいました。
頂いたときの、私たちの胸の温かみと幸せを、ソブダーにもおすそ分けしたのだと、夫のその表情で分かりました。

そして、次に喜ばれたのが、春から撮り溜めていた写真です。
牧民さんは一番喜ぶのが写真ですから、思ったとおりの反応でした。
最近になって、やっと心を許してきたゾルゴさんも、長い間眺めては、うれしそうな顔をしていました。



しばらく眺めたあとは、大事にパスメ[トと一緒にしまわれました。(^^♪
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牧民ゾルゴのゲル

2007年01月06日 | モンゴル風景







先週の台所の隣りにベッドがあって、その隣りが箪笥、正面にカーペットの張ってある壁面に時計がかけてあり、その隣りが鏡台、もう一つベッドがあって、ちょっとした物置スペースの壁面があって、玄関。と言うのが、ゲルの中の様子です。
鏡台の鏡には、ちょうど玄関を入ってきたゾルゴが写っています。
お土産に頂いた、牛乳は、容器の形に凍っています。
帰ったら、ベランダで保管します。(^^♪






隣りのゲルは、ゾルゴのゲルから10分ほど走ったところです。

以前、通ったことの有るゲルで、AさんとFさんのことを良く知る犬たちです。
帰り道に、覚え知ったFさんの車が通ると、4頭で吠えながら、走ってくるのです。

今はもう行かないのに、覚えているんですねぇ。
お迎えのあったときの、AさんとFさんの相好を崩した表情は、とてもいい。

Fさんは、いつもこのときのために、食べ物を用意している。
きっと、合えなかったときは、一人胸の中でがっかりしているのだろう。

しかし、初めて4頭の犬が吠えながら走ってきたときは、恐ろしかった。
ゲルの番犬は、余所者を排除するために居るのだから、車に乗っていても浮ゥった。
総と知ると、その吠え方が威嚇しているのではないことが分かった。
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テレルジ乗馬

2007年01月06日 | モンゴル風景
牧民ゾルゴのゲルの外は、30度!
風も無く、日も良くあたっているので、先週と比べて体感温度は変わらない、ちなみに先週は15度だったそうな。

不思議だなぁ。けれど、なれない私が、温度を聞かないで、先週とオナジと思って行動することは、危ないのかもしれません。
その証拠に、外気に触れていた頬の皮膚がとっても怪しい感じに赤い。(帰宅して鏡を見たとき)
先週でさえ耳たぶがしもやけになりかかって真っ赤にはれていたのに、顔の皮膚は丈夫なのはその強さをつぶさに知る。が、来年以降のほっぺのしみがこわーい。






馬が、つながれて待っている間に、ひずめの下に雪が重なって、まるでハイヒールを履いているように、円錐形になっていました。
そして、川幅の広いところは穏やかにその暑さを増して、土手の深さが変わることによってその暑さを想像することができます。
川幅の狭いところは、おみ渡りのように氷が盛り上がり、空洞が出来、割れ手荒々しい様子を見せていました。

雪の下には、石ころや小動物の巣穴が隠れています。
平らだからと手放しで進むと、馬が躓いて危ないので、先を行った馬や車の後を進みます。
用心して進むおかげで、周りの景色が見えてきます。
小動物の足跡、穴が掘り返されたらしい跡、何が何を獲物として獲得したのだろう、空の青さ、馬の足音、汗が一瞬にして凍りつき馬の毛が白髪交じりの色になる、触るとぱりぱり音がして崩れ落ちそうなくらい乾いている植物たち、春にあれだけ美しく花をつけ緑になるとは思えない、ふわふわとやわらかそうな新雪に対誘われてしまうけれど、土が見える汚れた道のほうへと手綱を修正する。







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ふるさとのともだち 同級生

2007年01月05日 | チンゲル亭裏日記


今年、4月から続々と同級生が還暦を迎える。
めでたいことだ、私も、来年は赤いちゃんちゃんこならぬ赤いドレスでも着て、目出度がってもらうことにしようか。(^^♪

早々と、還暦同窓会なるものを開いたと言う、同級生たちは、私の帰国を待って何やかやと理由をつけて、会を催してくれるらしい。

嬉しいことだなぁ。
母の、お墓参りもしなきゃならないから、ふるさとに帰る理由には、ことかかない。

楽しみなこと、久しぶりなことと嬉しいことばかりでなく、兄弟姉妹が逝ってしまった人も居るし、自身が病を持ったり、残念なニュースや、心配ことも増えてきました。

こちらでは、なるべくストレスを増やさないように、心がけて生活していますから、日本に帰ってからモンゴルに起因する病気の類は無いと思っています。

日本の生活感からどのくらいは慣れているのか、実際に始まってみないと分からないことですから、のんびりと、焦らず、復帰と行きましょう。

確かに今は、自由ですが、日本にも違った自由があるのですから、縛られずに生活をしたいものです。

それにしても、ありがたいのは、母を知るふるさとの友。
お墓参りをして、無沙汰をわびることにしましょう。
もう少し、先のことですが。。。(^_^;)
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