風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

贈り物

2019年12月06日 | 徒然に日々のことを
お菓子の入った素敵な箱を頂いた。
どちらも、お手製。


お菓子のフィナンシェというのだろうか、抹茶味もあったのだけれど、主人とおいしく頂いてしまいました。

最近甘いものを避けている主人も、つい手が出て、「おいしいと」言いました。

そして、これは、リバティープリントなのかしら、素敵なファブリックで一から作った箱!
私には、こんな緻密な作業はできないなぁ!
色もそれぞれにあった色を選んでくださって、お気づかいありがとう。

贈り物は、嬉しいねぇ。


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ちょうど良い

2019年12月05日 | こたろう
安心してちょうど良いと言ったばかりなのに、その真逆のおけいこだったかなぁ。。。

ちょっと、走りすぎた押さえて、押さえて。

正面突破は、ダメだよねぇ。

今、伝えねばということが、今日は、あの人にも、この人にも。

それで、必死になりすぎてしまう。

ちょっと先と思っている目標は、私の距離感であって、あの人の思う目標ではないのは、重々承知して居るのだが。。。

承知して居たら、それに合わせればよいのに、つい、「それではもったいない」が、頭をもたげてくる。

回り道をしても、失敗をしてもいいじゃないの。

その人は、その人の学びをしなければならないのだから。

心に、セーブして、練習に向かうのだが、気が付いたら、沸騰している。

そんな時に、毎回、ビジターさんのお持ちいただくどら焼きで、ほっと一息。優しい風が吹く。

手ぶらでお越しくださいと何度言っても、聞いてくださらない。
となると、嬉しくて、でもごめんなさい、いつしか期待して居る私がいて、それを、抑えるのに、一苦労。

優しい風には、いつでも吹かれたいものねぇ。


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終了がだせない

2019年12月04日 | 詩吟
前回の吟題が終了できないまま、今日は、先輩の一人が欠席、そして、少しの間お休みが続いていた方が、出席。

そんなわけで、前回と同じ吟題の復習をしました。

それぞれ、進歩はしているのだけれど、ここで、この吟題を「終了」してもよいのだろうか。

毎回、悩んで、最近は、早めの終了を繰り出してきたのだけれど、、、

今日は、どうしても、終了が出せなかった。

次回も、新しく出てきた「譜」をもう少し丁寧に仕上げることとしましょう。

そして、アクセントを間違うと違う意味を持ってしまう言葉を、にんしきして、正しい意味を考えながら、正しく伝わる「読み」に心がけいたしましょう。

       「安心して、ちょうどよい」



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まじむ

2019年12月03日 | 徒然に日々のことを

「風の」に惹かれて読んだ本が、大当たり。

キュレーターでもある原田マハさんの作であることを読み終わって知り、これは実際にあった話と知り、そして、とうとう、通販で、たのんでしまったのがこれ。



ワンフィンガーの私が、酒それも「ラム」を買っちゃった!

家に届くまでは、あっという間だったのだ。

届いて、しばらく、これってお酒よねと思って、3日ほど、寝かせておいた。

一瞬で、決めて購入したのに、今に至ってぐずぐずと...

なんだろ?

すぐに飲まなくてごめんね、冷蔵庫の氷でごめんねと言いながら、ロックにして飲む。

”40”という数字にビビりながら、口にすると冷たさと共に、さわやかさがひろがった。
これを「風が吹く」というのだろうか。

マジムがおばあに教えられて初めて飲んだときの中米フランス領マルティニク島産のアグリコール・ラムは、衝撃だったのに。風が吹いたのに。

そしてその風が、南大東島でとれたさとうきびから、アグリコール・ラムをつくることになったのに。
酒飲みだったら、よかったのに。

もっと、その醍醐味を、堪能できたのに。

1本飲み終えるころに、何か変わるだろうか。







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玉島高校校歌

2019年12月03日 | 徒然に日々のことを
      玉島高校校歌

              山本雅一 作詞  岡本敏明 作曲

1. 青き野に風邪は光りて
   ふるさとの 幸を誇れば
   育ちゆく 身もすこやかに
   あこがれを (われら) 雲にうたわん
   遥照は 今日も晴れたり


2. 師の教え 高く仰げば
 日は昇る 瀬戸の海原
 あたたかき 友のつどいて 
 まなびやは(さやに) 此処に立てり
 美しき 朝はひらけぬ


3. ひたすらに 文を読む日の
 尊きは 若き生命よ
 ああ我等 あすの栄を
 はらからの(うまし) 国にいたさん
 大いなる 希望はわきぬ

改めて、いい歌だなぁ!

1番に出てくる遥照山は、400メートルほどの山ですが、高い建物のない玉島の地では、どこからでも眺められ、その山上では星が降るほどの美しい景色、それ以上に、星を纏うような感じがしました。

今も、その景色を思い描きながら、故郷の話題で、「○○の北の」というとまず遥照山を思い浮かべ、あぁ、あの方向にね!と想像し、「南の」というと、山の景色のない方を思い浮かべ、位置関係を認知することができます。

関東に来て、その山がなくて、とりとめのない、支えのない思いをしたものです。

行動範囲の広い登茂ちゃんには、実際に目に見えなくても、その背骨は、伯耆大山ということが、赤澤真寿美個展の山の絵でわかりました。

私にとっての山(背骨)は、遥照山だった。

校歌は、一番しか覚えてなかったけれど、歌は、スムーズに歌えました。
若いころの楽器で覚えた歌は、高音も伸びやかに出るものなのねぇ。


「出ない」と思うのは、「年」のせいにしているとしか思いようのない、現象を味わった。
あるいは、くたびれた時の体で覚えたメロディーは、それまでのものなんだなぁ。
伸びやかに気持ちが、伸びやかな体を成し、伸びやかに声につながるのだとも。

思いがけなく、50年余りの昔にタイムスリップしたのが、文字ではなく、感覚を共有できる人と
体温を感じながらであったことが、幸せ感を呼び覚ましました。

この処、ざらついた感覚を拭い去ることができなくて、足掻いていたことがあって、世間を小さくして、こだわりを捨てられないで居るからと、気が付きました。

あの頃のしなやかさを思いだすと、「拘りは、執着である」と、理解が動いた。

自然体で、何の衒いもなく日々の生活の中から、描いている赤澤氏の絵を見て、つまらないものを捨てることができました。

皆様へ、一見の価値のある絵たちが並んでいます。銀座へ是非お運びくださいな。
あ、これって、校歌のところではなく、個展の日のブログに書くべきことだった!


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赤澤真寿美 個展

2019年12月02日 | 徒然に日々のことを




誘われて、銀座アートホールの赤澤真寿美個展に行ってきました。
2019年12月2日(月)~12月8日(日) 11:00~18:30 
初日14:00より 最終日16:00まで
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赤澤真寿美 個展その2

2019年12月02日 | 徒然に日々のことを

               赤澤氏による母校講堂 
入学式、卒業式の式典の想い出よりも、卓球部の部活の思い出のほうが大きい講堂がプロの手によって、描かれている。 私のいたころはすでに老朽化しており、男子のスマッシュで踏み込まれた足が床を踏み抜いたりしていました。
その穴から、ピンャ搭ハが床下に落ちてしまい、何個かたまると、男子が床に潜って、拾いに行ったものでした。

そのたたずまいは、大好きでしたが、教室が次々と立て替えられ、今は、昔の姿はありません。

ここに、今、その姿を見せて頂いて、懐かしさでいっぱいになりました。

そして次の絵は、赤澤氏が育ったところ。
懐かしい思いで、絵を見つめました。


ちょうど客足が途切れて、誘ってくれた登茂ちゃんとの三人が同郷なので、講堂の絵を皮切りに、一回りも下の女性との故郷談義に盛り上がります。

赤澤氏の歴史と節目節目に描いた絵を見ながら、少ない絵の知識を掻き立てながら、作者自らの説明を聞かせていただきました。

その他、三人の方たちも増えて、何時しかイレギュラーな乾杯が始まり、さらに、ウクレレのようなギターを携えた方が弾き語りをしてくださいました。この方も絵を描く方です。⇒


やがて、登茂ちゃんが私の詩吟のことを話題にしたため、それでは一吟ということとなり、「松樗~」をお祝に代えさせていただきました。

心地よい空間で、赤澤氏の飾らない語り口と、故郷の絵、それぞれの素敵な友達の暖かい雰囲気とで、身も心もほぐされて、私の楽器は、とてもいい音を出してくれました。
「詩吟を聞いたことがある人を一人でも増やしたい」という願いが、思いがけない油絵の個展という場所で、叶いました。

登茂ちゃんの一言のおかげでした。

《絵の写真のブログ掲載については、赤澤氏・鋳?≠ノ許可を得ています。》



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