熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

團菊祭五月大歌舞伎・・・昼の部

2007年05月12日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の團菊祭で私にとって面白かったのは、昼の部の冒頭の山本周五郎の「泥棒と殿様」で、泥棒・伝九郎の松緑と殿様・松平成信の三津五郎とのしみじみとした人間模様を描いた舞台であった。
   「夏ノ夜ノ夢」での妖精・パック役や、蜷川カブキの「十二夜」でのトービー役などで示した、コミカルで何とも言えない人間臭いユニークな松緑のパーソナリティが、この舞台の泥棒役に良く合っていて面白い。
   松緑は、生真面目で一本調子で、それでいて、人情に厚くて弱い、そんな人物描写が実に上手いし、あのくるりとした愛嬌のある目がたまらなく魅力的である。
   また、お家乗っ取りを図る城代家老の陰謀で荒れ御殿に幽閉され、それも、武士は食わねど高楊枝どころか極貧極まったお殿様の、世間離れした鷹揚な生き様を悠揚せまらぬ演技で演じる三津五郎の風格は流石である。

   泥棒に入ったは良いが、何にも盗る物がなくて食べるものさえろくにないお殿様に、泥棒が同情して、働いてお殿様を食べさせる同居生活が始まる。
   ところが、突然の政変で家督相続することになり、お殿様は醜い政争に嫌気がさして断るが、家来に使命感を諭されて城に戻ることになる。
   温かい人間生活を築き上げて来た二人には、理屈では分かっていても分かれは辛い、泣き咽ぶ伝九郎を後にしてお殿様は去って行く。 
   
   「与話情浮名横櫛」は、「木更津海岸見染の場」と「源氏店の場」だけの舞台だったが面白かった。
   ”もし、御新造さんえ、おかみさんえ・・・お富さんえ・・・いやさお富、久しぶりだなあ”
   と言う台詞を口に、門口におとなしく座っていた与三郎の海老蔵が立ち上がって、格好をつけながお富の菊之助に近づいて行く。
   ああ・・・と小さく叫びながらビックリして仰け反るお富。
   おなじみの名場面だが、若くてはちきれる様な粋と色気をむんむんさせた舞台で、これにお富の実の兄多左衛門の左團次が絡んで、中々楽しませて貰った。
   随分前に、團十郎の与三郎と玉三郎のお富、左團次の多左衛門で観た記憶があるが、あれは一つのクラシカルな決定版であったのかも知れない。
   この舞台は、やはり、歌舞伎界きっての美男美女の役者が勤めるべきで、その意味では、海老蔵と菊之助の若い二人の次代の團菊を背負う二人には、うってつけの舞台であった。
   菊之助の瑞々しさといい、また、今回のように海老蔵が、ウイット交じりの台詞回しで現代感覚で演じた新しい舞台も中々味があって面白かった。

   前段の「木更津海岸見染の場」では、養子とは言え、大棚の若旦那と言う風格で、おっとりとした与三郎を海老蔵が演じるのだが、非常に新鮮な感じがして楽しめる。
   しかし、荒事向きの男っぽい感じの海老蔵には、観る方の先入観の所為もあるが、一寸取ってつけたような印象で、軟派の大坂男に近い感じの和事の世界は、いくら芸をしても中々雰囲気が出ない。
   一方、菊之助の方は、雰囲気のある素晴らしいお富で文句はないが、一寸気になったのは、幸せな頃のお富と修羅場を潜った後のお富との差があまり出ていないので、魅力的なままのお富が続いていて平板な感じがしたことである。

   「勧進帳」については、先日ふれたので端折るが、最後の中村芝翫の長唄囃子連中の楽の音に載せて舞う粋な「女伊達」など中々素晴らしく、今回の團菊祭は、私自身は、夜の部より、昼の部の方が楽しめた。

   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする