熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

新日本フィル定期公演・・・下野竜也のダイナミックな指揮

2007年05月26日 | クラシック音楽・オペラ
   今回の演奏会は、私にとって、オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」以外は、指揮者の下野竜也の指揮も、演目のラインベルガーのオルガン協奏曲第2番も、ラフの「交響曲第5番 ホ長調「レノーレ」」も聴くのは初めてで、何となく親しみを感じることなく出かけて行ったのだが、結果は、満足であった。

   「天国と地獄」はオペラで観ているし、街の運動会にも使われているポピュラーな音楽と言う感じで聞いているのだが、冒頭からメリハリの利いた軽快なリズムで飛ばす下野のダイナミックな演奏に初めて聴くのに、すぐにその魅力に取り込まれてしまった。
   それに、下野の指揮は、最初から最後まで、新日本フィルから流麗なサウンドを紡ぎだして実に色彩豊かで美しいのである。
   小林英之のオルガンも、あのバッハなどの古典的な荘重感のある籠もった感じのサウンドではなく柔らかくて優雅なので、時々、久しぶりにムード音楽を聴いているような錯覚に陥ってしまった。
   このラインベルガーのオルガン協奏曲だが、曲相でもあろうがオーケストラとよく溶け込んでいて、後半のオルガンと金管との協奏による高まりなど実に素晴らしかった。
  
   最後のラフの交響曲「レノーレ」は、全曲では日本初演と言うことであるから、馴染みがなくて当たり前なのだが、標題音楽で物語がある。
   恋焦がれている恋人が30年戦争で出兵して帰って来ないので絶望して神を否定する。真夜中に死神となってやって来た騎士姿の恋人に伴われて彼の墓場で息絶える、と言った話のようだが、私には、そんな話よりも、色彩豊かなサウンドだけを楽しんで聴いていた。
   クラシック音楽に興味を持ち始めた若い頃には、新しく聴く馴染みのない音楽には結構拒絶反応があったのだが、この頃は、それなりに楽しめるようになったのは、やはり、分からないままに好きなだけで聴き続けてきた長い経験の所為かもしれないと思っている。

   ところで、昔の管弦楽団の演奏会から変わったなあと思うのは、演奏前にコンサートマスターが後れて出て来て皆が拍手をして向かえることと、アンコール演奏を殆どしなくなったこと。
   私は、別に拘っている訳ではないが、指揮者やソリストが登場する時には拍手するが、楽団員やコンサートマスターの登場には普通拍手はしない。
   また、昔は、外来オーケストラの登場が多かったので客の要求でアンコール付きが普通であったのであろうが、私の場合、海外経験が長くて、欧米では、外来は別だが、レジデント・オーケストラの場合には普通アンコールがないのに慣れているので、新日本フィルの演奏会の場合でも、アンコールがあるのかないのか知らないが、一通り拍手を送れば席を立つことにしている。
   大体、アンコールする余裕を残してコンサートをするなどは、おかしいし、岩城宏之が振った大晦日のベートーヴェン交響曲全曲演奏のあの壮絶さが素晴らしいのである。

   ところで、ユージン・オーマンディのフィラデルフィア管もベルナンド・ハイティンクのコンセルト・へヴォーも、ティルソン・トーマスのロンドン響も、コンサートの雰囲気は一寸違うが、お馴染みさんに日頃の研鑽を披露して共に音楽を楽しむと言う非常にレジデント・オーケストラの良さがあった。
   新日本フィルに醸し出されて来ているあのアルミンクの親しみと雰囲気が中々素晴らしいと思っている。
   
コメント
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