熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

神風特攻隊は皇室を救った・・・中西輝政

2007年05月08日 | 政治・経済・社会
   積読であった中西輝政教授の「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」を車中で読んでいて、色々考えさせられた。
   「日本にとっての天皇」と言う章で、中西教授は、「神風特攻隊は間違いなく皇室を救った」と言う興味深い論旨を展開している。
   天皇は、祈る君主であり、日本国はこのような万世一系の天皇を戴いている素晴らしい国であると言う天皇制論者であるから、日米戦争の末期に、日本の敗北は明らかなのに、「国体(天皇)を守れ」を合言葉に次々と玉砕覚悟で突撃して行った特攻隊員の死は無駄死ではなかったと言うのである。

   中西教授によると、マッカーサーは、華族全廃で皇位継承者を減らし、皇室財産を国有化して経済力を削ぐなどして「皇室立ち枯れ作戦」をとったが、特攻隊や硫黄島の軍人や沖縄ひめゆり部隊など「国体護持」を合言葉に勇戦敢闘して散って行った日本人一人一人の自己犠牲があり、”天皇信仰”の凄さを嫌と言うほど見せ付けられたので、天皇制に手を触れられなかったのである。

   大東亜戦争(中西教授の記述)に関する日本人の評価については、「悲惨な戦争」「邪悪な戦争or侵略戦争」「愚かな戦争」「栄光の戦争」と言う4分類出来るとして、教授は「栄光の戦争」と言う考え方に同感だと言う。
   ”あの戦争は、政治的にはいろいろあったとしても、長大な時間軸の中に置き直せば、日本の歴史に残る「民族の一大叙事詩」でさえあったと思います。
   いかんせん指導者層はあまりにも愚かであったけれども、対して国民は、世界史にその例を見ないほどの崇高で、健気な自己犠牲精神を発揮し、まさに一致団結して英雄的に戦いました。
   有史以来の日本史的なスケールで考えても、日本人の心が「最も輝いた瞬間」と言ってもいいでしょう。”と仰るのである。

   国を守る、愛国心、と言った日本人としての視点から見れば、そう考えることが出来たとしても、果たして、人類として、或いは、世界的・世界史的な視点から見た場合でも、そう言えるのかどうかと言うことはどうであろうか。
   私自身は、比較的、中西教授の理論展開やものの考え方に賛同して多くの著作を読んできたが、今回に限り、これほど、天皇制にも第二次世界大戦に対しても、手放しで肯定的には考えられない。

   ところで、中国との関係が、やっと、多少は良くなったと思っていたのに、安倍総理は、靖国神社の春季例大祭に真榊を総理大臣名で奉納したと言う。
   中西理論から言えば、民族の一大叙事詩を書いた貴い英霊を尊崇し、冥福を祈るのは当然のことだと言うことになるのであろうが、昭和天皇の極めてフェアなご見解が相次いで発表されている以上、もう少し大人の対応をすべきではなかったかと言う気がしている。

   話が飛ぶが、5月3日の憲法記念日に東京銀座の数寄屋橋交差点で護憲派の大デモ行進に出くわした。
   行進中の人々の大半は、動員されたので仕方なく歩いていると言う感じであったが、マイクを持ってがなりたてているリーダーのシュプレッヒコールは、昔の全学連と寸分違わず、嫌な気分で通り過ごした。
   一方、4丁目交差点では、デモ隊に突っ込もうとして歌舞伎座方面から走って来た右翼の街宣車が警官たちに阻まれて、「憲法改正」「憲法改正」と大音響で叫んでいる。
   東銀座交差点でも街宣車が渋滞で阻まれて一般車と小競り合いをしていたが、大半の右翼の街宣車は、昭和通に駐車して隊員たちは歩道に屯して小休止していた。

   私自身は、徹底した平和主義者だと自分では思っているが、日本国憲法そのものは、独立国として民主主義があまねく流布し安定した国家になった以上、見直すべきだと思っているので憲法改正には賛成である。
   しかし、どのように改正するのかは非常に難しい問題だとも思っているので、その点では帰趨について非常にナーバスにはなっている。
コメント
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