熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

グローバリゼーションの行方・・・S,J.コブリン教授

2007年05月19日 | 政治・経済・社会
   ダボス会議などのアドバイスもしている著名なグローバリゼーション論の権威、ウォートン・スクールのステファン J コブリン教授が、立教大学のキャンパスで、「グローバリゼーション:何処から始まり何処で終わるか」を語った。

   "20世紀初頭の第一次グローバリゼーションは、第一次世界大戦と大恐慌で敢無く潰えたが、今回のグローバリゼーションは、IT革命と言う不可逆なテクノロジーを伴った大変化なので、人類の歴史において後戻りはない。
   しかし、この変化は、中世から近世への大変革に匹敵する巨大な歴史的な大きなうねりでありながら、どのようにコントロールすれば良いのか分からないので全く先が見えない。”

   ”依然として世界同時好況が続いているが、ドットコム・ブームに沸いた1990年代が終わり21世紀に入ると、ドーハラウンドの行き詰まりなどで経済的にも保護主義が台頭し始め、チャベスやサルコジ等の政治的な動きに象徴されるように経済的ナショナリズム傾向が強くなるなどグローバリゼーションに影が差してきた。
   同時に、国際テロの横行で、グローバルな財の流れが阻害され、グローバリゼーションは、中国やインドに恩恵を与えているが、最大の経済大国アメリカには摩擦など問題が生じ始めて、最近では、熱心にグローバル化を言わなくなった。”

   ”グローバリゼーションの行く末について、三つの考え方がある。
   1.景気循環論的見解
   2.国際政治の動向による政治的見解
   3.技術革命による構造的見解
   循環的或いは政治的見解によると、グローバリゼーションは後退する可能性も考えられるが、急速に経済社会を根底から改変し不可逆的な技術的な変革を考えると、この可能性は殆ど考えられない。
   今日では、IT革命によって、瞬時に情報が飛び交って距離と空間を無意味にした。
   多国籍企業も、世界中から最も安くて良い物を調達して生産する最適調達生産方式によって価格競争力を追求し、製品そのものが多国籍化してしまっており、保護貿易主義に立ち返って国境を閉鎖するなど、全く考えられなくなってしまった。”

   ”この第二次グローバリゼーションは、日本の明治時代にも匹敵する大改革で後戻りは出来ないのだがが、しかし、問題は、全く不確実かつ不安定で先を見通せないので、正に人類を不安の時代に投げ出してしまったことである。
   どうすれば、この統合されグローバル化した経済社会を上手く機能させることが出来るのか、そのガバナンスの方法が全く分からないので人類は深刻な問題に直面してしまった。
   しかし、確実に分かっていることは、次のような重要な問題を叡智で解決できなければ、人類の未来は限りなく暗いということである。
   その一つは、上手く機能させるためにFAIR・公正なルールを作ること。
   次は、格差問題を排除すべく平等でなければならないこと。
   最後に重要なことは、多元的であることで、違った資本主義を認め、多様な違いを容認して等しく人類が共存共栄して行ける多元的な政治経済社会を確立することである。
   人類総てが、意思決定に参加できる民主主義的な世界でなければならない。”

   以上がコブリン教授のスピーチの要旨であるが、理想論だとは言え、スティーグリッツ教授のグローバリゼーション論に相通じるヒューマニズムの息吹が感じられて、アメリカのリベラルが健在であることを感じて多少安心した。
   久しぶりに、昔の高校生のような可愛い立教大学生の中に混じって授業を受けた感じで楽しかった。

   コブリン教授は、翌日、ウォートン・スクールの同窓会ウォートン・クラブ年次総会で、同じ様なスピーチを行った。
   途中で中座したが、日本人が半数くらいの国際化した9月からの新入生達が元気に挨拶していたこと、日興を傘下に組み込んで意気軒昂のシティ・グループの役員が自信満々の戦略をぶっていたこと等が印象に残っている。
コメント
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