METのシーズン最後の演目プッチーニの「三部作 外套 修道女アンジェリカ ジャンニ・スキッキ」のライブビューイングが銀座ブロッサムで上映された。
METで1918年に初演されたオペラであり素晴らしい作品ながら、このMETでも演奏回数の少ないオペラである。
夫々1時間前後の一幕オペラではあるが、二つの悲劇と一つの喜劇で、それも全く毛色の違ったオペラで、スター・ソリストを沢山揃えなければならない上に、全体の切り替えなど非常に難しい所為でもあろう。
METのアルカイーブを調べると、1920年以降1975~7年のシーズンまで上演されず、その後1981年と1985年と今回で合計126回舞台にかけられている。
1981年以降は、今回と同様ジェイムス・レヴァインが指揮しており、81年がレナータ・スコット、89年がテレサ・ストラタスが全3演目のソプラノの主役を演じていて、今回のように3人の素晴らしいソプラノ歌手の起用とは違っていて面白い。
ビバリー・シルスが言っていたが、本人の経験からも、3人の主役を同時に演じることは非常に魅力的だが、歌唱や演技は勿論のこと、気持ちや舞台での対応など切り替えが難しいようである。
最初の舞台の「外套」は、セーヌ川に浮かぶ伝馬船の老年の船長ミケーレと若い妻との話で、妻ジョルエッタが若い沖仲士ルイージと恋に落ち、逢引の合図のマッチの火を間違えて、ミケーレが擦ったタバコの火に誘われて出て来たルイージが殺される。その死体を外套で包み、出て来たジョルエッタに見せて、彼女の顔を死体に擦りつけて全巻の終わり。
あのレオンカヴァレロの「道化師」を連想させる凄まじい舞台で、コケティッシュで今を時めくソプラノ・マリア・グレギーナのジョルジェッタが実に素晴らしく、ルイージを歌う美しい熱狂的なテノールのサルバトーレ・リチャートラの切羽詰った二重唱が胸を打つ。
ミケーレのファン・ポンスは言わずと知れたスペインのベテラン・バリトンで、何度かヨーロッパで彼の素晴らしい舞台を鑑賞しているが、老成した燻銀のような貫禄と深い余韻を残す歌唱が素晴らしい。
次は、外套とは打って変わったようなような清冽で敬虔な修道院の模範的な「修道女アンジェリカ」の舞台で、貴族の乙女が許されぬ子を生んだ為に修道院に送り込まれて7年間も何の音沙汰もなく修行を続ける。
ある日、伯母の公爵夫人が訪れてきて、妹の遺産相続のためにサインをせよと迫られ、同時に、息子が二年前に死んだと知らされる。
絶望したアンジェリカは、毒を仰いで神に祈ると、奇蹟が起こり、礼拝堂に子供を連れた聖母が現れて、アンジェリカは亡き幼子を仰ぎ見ながら息を引き取る。
実に悲しく切ない幕切れだが、この舞台は実に清楚で美しいソプラノ・バルバラ・フリットリが魅力全開で、幻想的で夢見るような美しい舞台に仕上げている。
ジャンニ・スキッキは、プッチーニの唯一の喜劇である。
3年前だと思うが、パリオペラ座との共催で、小澤征爾が、「スペインの時」と一緒にこの「ジャンニ・スキッキ」を上演し、ホセ・ファン・ダムが愉快なスキッキの舞台を展開して面白かったのを覚えている。
フィレンツェの大富豪ブゾーニが亡くなったが、集まった親戚たちの前で噂どおりの、遺産を総て修道院に寄付すると言う遺言書が見つかる。
困った親戚たちは、甥の誘いでやって来たスキッキに妙案があるかと問いかけると、スキッキは死体を片付けさせて自分が身替りになって、公証人を呼んで偽の遺言書をでっち上げることになる。
遺言の偽証は、加担者も含めて手を切り落とされて追放だと言う刑罰をちらつかせて、自分たちの良いように遺産相続を目論む親戚達を脅し上げて、スキッキは、邸宅や目ぼしい遺産を総て自分のモノにしてしまう。
怒る親戚たちも、もう後の祭りで、金目のものを持ち去ろうとするが、スキッキは、自分の家になったと皆を追い出す。
出てくる俳優総てが素晴らしい喜劇役者だが、とにかく、スキッキを演じるアレッサンドロ・コルベーリが実にコミカルで上手い。
それに、これだけ聞くだけでも値打ちのあるスキッキの娘ラウレッタを歌うソプラノ・オリガ・ミカイテンコのアリア「ねえ素敵なお父さま」が、実に素晴らしくて感激一入であった。
この今回のMETの「三部作」で特筆すべきは、ジェイムス・レヴァインの指揮とジャック・オブライエンの演出だろうが、私は、ダグラス・W・シュミットのセット・デザインに非常に感銘を受けた。
これまでに見たこともないような素晴らしくリアルで、かつ、現実の風景と紛うばかりのシックなセットである。
冒頭の「外套」のセットは、セーヌ河畔の倉庫街をバックにしたうらぶれたはしけに係留された伝馬船・愛妻の名前を取ったジョルジェッタ号が舞台である。
「修道女アンジェリカ」の舞台は、イタリアの何処かにあると思える女子修道院の中庭で、バックの正面も両翼の回廊も精巧な石積(?)の立派な壁面で、庭の敷石もしっかり敷き詰められて落ち葉が落ちていて、庭の草花も本物の植え込みで花が咲いている。
最後のアンジェリカの死では、修道院の正面上部の十字架様の空間から光が漏れて庭先に横たわる彼女の姿を十字の光が照らし出し、正面の扉から逆光を背に手を差し出す少年が近づきながらカーテンが下りるのなどは実に美しい。
最後の「ジャンニ・スキッキ」の舞台は、フィレンツェの宮殿のような大富豪の豪邸の一室で正に豪華で素晴らしいセットである。
この豪華なセットもスキッキの最後の裁きの暗転で、奈落に下がったかと思ったら、上には、丁度アルノ川の対岸の高台の展望所が現われて、あのドウオモを中心とした素晴らしいフィレンツェの全景が浮かび上がり、甥リヌッチョとラウレッタのカップルの幸せな姿を見せて幕が下りる。
このライブビューイングでは、楽屋裏なども見せていたが、オペラ劇場には、正面の舞台以外に三つの同じ大きさの舞台が左右と後にあることが良く分かった。
最初の「外套」の大きなジョルジェッタ号などのセットは僅か数10分の休憩の間に横の舞台に移動されて、新しい「修道女アンジェリカ」の素晴らしい舞台が設営され、その後、「ジャンニ・スキッキ」の舞台がセットされたのである。
それに、当日、数時間後に夜の部「トーランドット」が演じられると言うのだから、大変なもので、先の二階への競り落としの場合も含めて、正に、METだからこのように壮大で大掛かりなグランド・オペラが縦横無尽に演出できるのだと言うことが、今回の6回のMETライブビューイングで肝に銘じた気がしている。
METで1918年に初演されたオペラであり素晴らしい作品ながら、このMETでも演奏回数の少ないオペラである。
夫々1時間前後の一幕オペラではあるが、二つの悲劇と一つの喜劇で、それも全く毛色の違ったオペラで、スター・ソリストを沢山揃えなければならない上に、全体の切り替えなど非常に難しい所為でもあろう。
METのアルカイーブを調べると、1920年以降1975~7年のシーズンまで上演されず、その後1981年と1985年と今回で合計126回舞台にかけられている。
1981年以降は、今回と同様ジェイムス・レヴァインが指揮しており、81年がレナータ・スコット、89年がテレサ・ストラタスが全3演目のソプラノの主役を演じていて、今回のように3人の素晴らしいソプラノ歌手の起用とは違っていて面白い。
ビバリー・シルスが言っていたが、本人の経験からも、3人の主役を同時に演じることは非常に魅力的だが、歌唱や演技は勿論のこと、気持ちや舞台での対応など切り替えが難しいようである。
最初の舞台の「外套」は、セーヌ川に浮かぶ伝馬船の老年の船長ミケーレと若い妻との話で、妻ジョルエッタが若い沖仲士ルイージと恋に落ち、逢引の合図のマッチの火を間違えて、ミケーレが擦ったタバコの火に誘われて出て来たルイージが殺される。その死体を外套で包み、出て来たジョルエッタに見せて、彼女の顔を死体に擦りつけて全巻の終わり。
あのレオンカヴァレロの「道化師」を連想させる凄まじい舞台で、コケティッシュで今を時めくソプラノ・マリア・グレギーナのジョルジェッタが実に素晴らしく、ルイージを歌う美しい熱狂的なテノールのサルバトーレ・リチャートラの切羽詰った二重唱が胸を打つ。
ミケーレのファン・ポンスは言わずと知れたスペインのベテラン・バリトンで、何度かヨーロッパで彼の素晴らしい舞台を鑑賞しているが、老成した燻銀のような貫禄と深い余韻を残す歌唱が素晴らしい。
次は、外套とは打って変わったようなような清冽で敬虔な修道院の模範的な「修道女アンジェリカ」の舞台で、貴族の乙女が許されぬ子を生んだ為に修道院に送り込まれて7年間も何の音沙汰もなく修行を続ける。
ある日、伯母の公爵夫人が訪れてきて、妹の遺産相続のためにサインをせよと迫られ、同時に、息子が二年前に死んだと知らされる。
絶望したアンジェリカは、毒を仰いで神に祈ると、奇蹟が起こり、礼拝堂に子供を連れた聖母が現れて、アンジェリカは亡き幼子を仰ぎ見ながら息を引き取る。
実に悲しく切ない幕切れだが、この舞台は実に清楚で美しいソプラノ・バルバラ・フリットリが魅力全開で、幻想的で夢見るような美しい舞台に仕上げている。
ジャンニ・スキッキは、プッチーニの唯一の喜劇である。
3年前だと思うが、パリオペラ座との共催で、小澤征爾が、「スペインの時」と一緒にこの「ジャンニ・スキッキ」を上演し、ホセ・ファン・ダムが愉快なスキッキの舞台を展開して面白かったのを覚えている。
フィレンツェの大富豪ブゾーニが亡くなったが、集まった親戚たちの前で噂どおりの、遺産を総て修道院に寄付すると言う遺言書が見つかる。
困った親戚たちは、甥の誘いでやって来たスキッキに妙案があるかと問いかけると、スキッキは死体を片付けさせて自分が身替りになって、公証人を呼んで偽の遺言書をでっち上げることになる。
遺言の偽証は、加担者も含めて手を切り落とされて追放だと言う刑罰をちらつかせて、自分たちの良いように遺産相続を目論む親戚達を脅し上げて、スキッキは、邸宅や目ぼしい遺産を総て自分のモノにしてしまう。
怒る親戚たちも、もう後の祭りで、金目のものを持ち去ろうとするが、スキッキは、自分の家になったと皆を追い出す。
出てくる俳優総てが素晴らしい喜劇役者だが、とにかく、スキッキを演じるアレッサンドロ・コルベーリが実にコミカルで上手い。
それに、これだけ聞くだけでも値打ちのあるスキッキの娘ラウレッタを歌うソプラノ・オリガ・ミカイテンコのアリア「ねえ素敵なお父さま」が、実に素晴らしくて感激一入であった。
この今回のMETの「三部作」で特筆すべきは、ジェイムス・レヴァインの指揮とジャック・オブライエンの演出だろうが、私は、ダグラス・W・シュミットのセット・デザインに非常に感銘を受けた。
これまでに見たこともないような素晴らしくリアルで、かつ、現実の風景と紛うばかりのシックなセットである。
冒頭の「外套」のセットは、セーヌ河畔の倉庫街をバックにしたうらぶれたはしけに係留された伝馬船・愛妻の名前を取ったジョルジェッタ号が舞台である。
「修道女アンジェリカ」の舞台は、イタリアの何処かにあると思える女子修道院の中庭で、バックの正面も両翼の回廊も精巧な石積(?)の立派な壁面で、庭の敷石もしっかり敷き詰められて落ち葉が落ちていて、庭の草花も本物の植え込みで花が咲いている。
最後のアンジェリカの死では、修道院の正面上部の十字架様の空間から光が漏れて庭先に横たわる彼女の姿を十字の光が照らし出し、正面の扉から逆光を背に手を差し出す少年が近づきながらカーテンが下りるのなどは実に美しい。
最後の「ジャンニ・スキッキ」の舞台は、フィレンツェの宮殿のような大富豪の豪邸の一室で正に豪華で素晴らしいセットである。
この豪華なセットもスキッキの最後の裁きの暗転で、奈落に下がったかと思ったら、上には、丁度アルノ川の対岸の高台の展望所が現われて、あのドウオモを中心とした素晴らしいフィレンツェの全景が浮かび上がり、甥リヌッチョとラウレッタのカップルの幸せな姿を見せて幕が下りる。
このライブビューイングでは、楽屋裏なども見せていたが、オペラ劇場には、正面の舞台以外に三つの同じ大きさの舞台が左右と後にあることが良く分かった。
最初の「外套」の大きなジョルジェッタ号などのセットは僅か数10分の休憩の間に横の舞台に移動されて、新しい「修道女アンジェリカ」の素晴らしい舞台が設営され、その後、「ジャンニ・スキッキ」の舞台がセットされたのである。
それに、当日、数時間後に夜の部「トーランドット」が演じられると言うのだから、大変なもので、先の二階への競り落としの場合も含めて、正に、METだからこのように壮大で大掛かりなグランド・オペラが縦横無尽に演出できるのだと言うことが、今回の6回のMETライブビューイングで肝に銘じた気がしている。