半蔵門の国立劇場で、14年ぶりに、通しで文楽「絵本太閤記」が上演されている。
1799年出版の読本「絵本太閤記」の人気にあやかり大坂豊竹座で初演されたようだが、主役は明智光秀(文楽では武智光秀)で、これに織田信長(尾田春長)と豊臣秀吉(真柴久吉)が絡むが、一部歴史的な事実を下敷きにしているものの殆ど創作に近い舞台展開となっている。
江戸中期の人々の光秀謀反に対する考え方が反映されているのか、中々面白いが、主眼が、光秀と家族の人々との人間関係に移っていて、歴史ものと言っても雰囲気が大分違ってくる。
しかし、この「絵本太閤記」だが、朝11時から夜の8時半まで、正味6時間もの長時間の舞台なので、内容は実に豊かで、最初から最後まで飽きさせないのが素晴らしい。
大詰めに近い「尼ヶ崎の段」は、先年、桐竹勘十郎が、襲名披露の時、光秀を演じて感動的な舞台を作り出したのが記憶に新しい。
あの時は、元気であった玉男が十次郎を、簔助が初菊を、文雀が操を演じて人間国宝の3人が脇を固めた素晴らしい公演であったが、今回の勘十郎の光秀はさらに豪快で風格がありスケールが大きくなっていたような気がする。
ニュアンスは違うが、作者は、母親のさつき(文雀)や妻操(簔助)に主殺しの罪悪を非難めいた台詞で語らせているが、当の光秀は、春長が、常軌を逸した神をも恐れない暴君と成り、主君に相応しくなくなったので万民の為に成敗して自分が成り代わった、むしろ、天命であったと思っている。しかし、心ならずも、母と息子十次郎(吉田清之助)の死を前にして断腸の思いである。
そんな思いを噛み締めながら、勘十郎は、光秀の強さと弱さを文七人形に託して実に感動的に演じていた。
春長は、この文楽では、「安土城中の段」でも「二条城配膳の段」でも、光秀に対して良く思っていない猜疑心の強い暴君としての扱いで、森の蘭丸に命じて苛め抜く役回りになっている。
確かに、このあたりの史実もこれに近いようだが、私自身は、信長を、史上最も日本の発展に貢献した革命児として傑出した人物だと思っているので、芝居の上とは言えその扱いに納得していないが、本能寺の変の時点では、信長の使命も既に終わっていたので、まあこれで良いか、と言った感じで観ていた。
春長を遣ったのは和生で、日頃の女形の人形を遣う時とは違って何処か緊張した面持ちで、蘭丸に光秀を打擲せよと扇子を突きつけて命ずる時の表情など凄い迫力であった。和生は、第二部の「杉の森の段」では、孫市(紋豊)の妻・雪の谷を演じていた。
一方、秀吉の真柴久吉(玉女)の方は、殆ど史実とは違った作者の創作で、光秀のもとを去った母さつき(文雀)の尼ヶ崎の侘び住まいに旅僧として単身やって来て、それを知ったさつきが、久吉を闇討ちに来た光秀に代わりに刺されるといった設定になっていて、光秀家族中心の芝居の狂言回し的な存在になっている。
江戸後期の増補作だと言われる最後の「大徳寺焼香の段」で、三法師丸を連れて出て柴田勝家(清五郎)を出し抜いて先に焼香するという件で、初めて秀吉らしくなっている。久吉は重要な役なのだろうが、玉男の後継者玉女としては、この舞台ではあまり良いところが出せず気の毒なような気がして観ていた。
何時も歌舞伎や文楽を観ていて思うのだが、封建時代で男尊女卑の時代の話だと言うけれど、この絵本太閤記もそうだが、女性陣が非常に元気で心の描出も豊かで生き生きしていると言うことである。
最後には、光秀も感極まって、自分の易姓革命的な正当性を大音声で叫ぶが、母さつきは何処までも光秀を許さず主殺しの罪を糾弾し続けるし、妻操も身の不運をかき口説く。
それに、十次郎の処女妻初菊(紋寿)や、雪の谷なども、自分の思いや心情を自由に吐露している。むしろ、男の方が義理人情や分からない封建的な秩序の呪縛に雁字搦めになっているような気がして、当時の文楽や歌舞伎の世界を包んでいた世相のようなものに非常に興味を感じている。
ところで、母さつきの文雀だが、実に重厚で風格があって、この後半の「夕顔棚の段」と「尼ヶ崎の段」を支えている。
妻操を遣う簔助については、とにかく、何時も一挙手一投足は勿論手足の動き一つにしても見見逃さずに目で追っているのだが、何故、あんなに優雅に美しく女を表現出来るのか舌を巻いて観ている。今回も母さつき、夫光秀、息子十次郎、許婚初菊等夫々に対する心遣いの変化と機微が滲み出ていて良かった。
紋寿の初菊も控え目だが瑞々しくて実に素晴らしい。
前半の「長左衛門切腹の段」で、水攻めに遭った高松城主清水長左衛門を遣った文吾の骨太だが悲痛な舞台も忘れがたい。
足利幕府の慶覚君を要する一向宗の運命を描いた「杉の森の段」の後半を住大夫が語る。
久吉との和睦をはかる為に切腹する覚悟で帰ってきた孫市は、反対する妻を縛って娘と息子に自分の首を打たせる壮絶な最後の場面だが、私には始めての舞台で、時々、字幕を観ながら、一生懸命に住大夫の名調子を聴いていた。錦糸の三味線も冴えている。
「本能寺の段」の伊達大夫と燕三、「局注進の段」の千歳大夫と団七、「長左衛門切腹の段」の綱大夫と清二郎、「妙心寺の段」の咲大夫と清治、「尼ヶ崎の段」の嶋大夫と清介、そして、朗々とした美声の十九大夫と富助等々、夫々の素晴らしい浄瑠璃と三味線などの凄さは言うまでもない。
当然のことだが、歌舞伎は何となく伴奏音楽だが、文楽の醍醐味は、やはり、この大夫と三味線であろう。
この頃、文楽鑑賞経験を重ねて来た所為か、人形一辺倒から、この方にも関心が少しづつ移ってきている。
1799年出版の読本「絵本太閤記」の人気にあやかり大坂豊竹座で初演されたようだが、主役は明智光秀(文楽では武智光秀)で、これに織田信長(尾田春長)と豊臣秀吉(真柴久吉)が絡むが、一部歴史的な事実を下敷きにしているものの殆ど創作に近い舞台展開となっている。
江戸中期の人々の光秀謀反に対する考え方が反映されているのか、中々面白いが、主眼が、光秀と家族の人々との人間関係に移っていて、歴史ものと言っても雰囲気が大分違ってくる。
しかし、この「絵本太閤記」だが、朝11時から夜の8時半まで、正味6時間もの長時間の舞台なので、内容は実に豊かで、最初から最後まで飽きさせないのが素晴らしい。
大詰めに近い「尼ヶ崎の段」は、先年、桐竹勘十郎が、襲名披露の時、光秀を演じて感動的な舞台を作り出したのが記憶に新しい。
あの時は、元気であった玉男が十次郎を、簔助が初菊を、文雀が操を演じて人間国宝の3人が脇を固めた素晴らしい公演であったが、今回の勘十郎の光秀はさらに豪快で風格がありスケールが大きくなっていたような気がする。
ニュアンスは違うが、作者は、母親のさつき(文雀)や妻操(簔助)に主殺しの罪悪を非難めいた台詞で語らせているが、当の光秀は、春長が、常軌を逸した神をも恐れない暴君と成り、主君に相応しくなくなったので万民の為に成敗して自分が成り代わった、むしろ、天命であったと思っている。しかし、心ならずも、母と息子十次郎(吉田清之助)の死を前にして断腸の思いである。
そんな思いを噛み締めながら、勘十郎は、光秀の強さと弱さを文七人形に託して実に感動的に演じていた。
春長は、この文楽では、「安土城中の段」でも「二条城配膳の段」でも、光秀に対して良く思っていない猜疑心の強い暴君としての扱いで、森の蘭丸に命じて苛め抜く役回りになっている。
確かに、このあたりの史実もこれに近いようだが、私自身は、信長を、史上最も日本の発展に貢献した革命児として傑出した人物だと思っているので、芝居の上とは言えその扱いに納得していないが、本能寺の変の時点では、信長の使命も既に終わっていたので、まあこれで良いか、と言った感じで観ていた。
春長を遣ったのは和生で、日頃の女形の人形を遣う時とは違って何処か緊張した面持ちで、蘭丸に光秀を打擲せよと扇子を突きつけて命ずる時の表情など凄い迫力であった。和生は、第二部の「杉の森の段」では、孫市(紋豊)の妻・雪の谷を演じていた。
一方、秀吉の真柴久吉(玉女)の方は、殆ど史実とは違った作者の創作で、光秀のもとを去った母さつき(文雀)の尼ヶ崎の侘び住まいに旅僧として単身やって来て、それを知ったさつきが、久吉を闇討ちに来た光秀に代わりに刺されるといった設定になっていて、光秀家族中心の芝居の狂言回し的な存在になっている。
江戸後期の増補作だと言われる最後の「大徳寺焼香の段」で、三法師丸を連れて出て柴田勝家(清五郎)を出し抜いて先に焼香するという件で、初めて秀吉らしくなっている。久吉は重要な役なのだろうが、玉男の後継者玉女としては、この舞台ではあまり良いところが出せず気の毒なような気がして観ていた。
何時も歌舞伎や文楽を観ていて思うのだが、封建時代で男尊女卑の時代の話だと言うけれど、この絵本太閤記もそうだが、女性陣が非常に元気で心の描出も豊かで生き生きしていると言うことである。
最後には、光秀も感極まって、自分の易姓革命的な正当性を大音声で叫ぶが、母さつきは何処までも光秀を許さず主殺しの罪を糾弾し続けるし、妻操も身の不運をかき口説く。
それに、十次郎の処女妻初菊(紋寿)や、雪の谷なども、自分の思いや心情を自由に吐露している。むしろ、男の方が義理人情や分からない封建的な秩序の呪縛に雁字搦めになっているような気がして、当時の文楽や歌舞伎の世界を包んでいた世相のようなものに非常に興味を感じている。
ところで、母さつきの文雀だが、実に重厚で風格があって、この後半の「夕顔棚の段」と「尼ヶ崎の段」を支えている。
妻操を遣う簔助については、とにかく、何時も一挙手一投足は勿論手足の動き一つにしても見見逃さずに目で追っているのだが、何故、あんなに優雅に美しく女を表現出来るのか舌を巻いて観ている。今回も母さつき、夫光秀、息子十次郎、許婚初菊等夫々に対する心遣いの変化と機微が滲み出ていて良かった。
紋寿の初菊も控え目だが瑞々しくて実に素晴らしい。
前半の「長左衛門切腹の段」で、水攻めに遭った高松城主清水長左衛門を遣った文吾の骨太だが悲痛な舞台も忘れがたい。
足利幕府の慶覚君を要する一向宗の運命を描いた「杉の森の段」の後半を住大夫が語る。
久吉との和睦をはかる為に切腹する覚悟で帰ってきた孫市は、反対する妻を縛って娘と息子に自分の首を打たせる壮絶な最後の場面だが、私には始めての舞台で、時々、字幕を観ながら、一生懸命に住大夫の名調子を聴いていた。錦糸の三味線も冴えている。
「本能寺の段」の伊達大夫と燕三、「局注進の段」の千歳大夫と団七、「長左衛門切腹の段」の綱大夫と清二郎、「妙心寺の段」の咲大夫と清治、「尼ヶ崎の段」の嶋大夫と清介、そして、朗々とした美声の十九大夫と富助等々、夫々の素晴らしい浄瑠璃と三味線などの凄さは言うまでもない。
当然のことだが、歌舞伎は何となく伴奏音楽だが、文楽の醍醐味は、やはり、この大夫と三味線であろう。
この頃、文楽鑑賞経験を重ねて来た所為か、人形一辺倒から、この方にも関心が少しづつ移ってきている。