パリ・オペラ座での大盛況の後、4月25日の天覧興行を経て、五月の歌舞伎座では、同じ演目の「勧進帳」で、團十郎が、お家の芸18番の「勧進帳」の弁慶を演じて気を吐いている。
團菊祭でもあり、天覧歌舞伎と同じで富樫は菊五郎で、義経は梅玉である。
「天覧歌舞伎120年記念」と銘打たれた復活公演で、様式美の極致とも言うべき素晴らしい舞台が展開されている。
120年前に、明治天皇がご覧になり、「近ごろ珍しきものを見たり」「能より分かりよく」と言われたとかで、一気に歌舞伎の株と人気が上昇したと言う記念すべき演目でもある。
チケットはソールドアウトで、木挽町の歌舞伎座は大変な熱気に包まれている。
「勧進帳」は、1840年に七代目團十郎が能の「安宅」を歌舞伎化したもので、当時の歌舞伎には異例の松羽目の背景で拍子木も打たず、全体に能に近く高雅に作られた作だと河登志夫氏が書いている。
明治時代に多くなった松羽目モノの先駆作で、長唄と言う能の時代にはなかった舶来楽器の三味線音楽と花道活用とに歌舞伎の特徴があり、弁慶の「飛び六方」による「外幕」への引っ込みが勧進帳の命だと言うのである。
ところが、すっきりと歌舞伎化された訳ではなく、歌舞伎座掌本によると、七代目の「勧進帳」上演には、大変な苦労があったようである。
当時の幕府の能役者と歌舞伎役者には大きな身分格差があって、歌舞伎役者が能役者から教えを請うなど考えられなかったのだが、七代目の熱意に動かされて、某能役者が、流派が分からないようにして安宅の話を口伝したと言う。
能衣装は能役者以外には売ってもらえず、能装束を全部解きほぐしたものを買って、その縫い目や折り目を辿って仕立てたとも言うのである。
その後、八代目も改定を加え、九代目の努力で能に近い高尚で荘重なものになり衣装も含めて現行に継承されているようである。
明治天皇から、「能よりよく分かった」と言われたのであるから、溜飲を下げたであろうと思われて面白い。
同じ様な話は、文楽と歌舞伎の間にもあったようで、永い間両者間の交流がなかったと言うことであるが、どちらかと言えば、歌舞伎の方が、庶民に根ざした伝統芸術であるから、能や狂言、文楽からの継承が多かったのかも知れない。
賀茂の四条河原で阿国歌舞伎から起こったと言われた独特な歴史と伝統が、偏見を生んでいるのかも知れないが、シェイクスピア戯曲などの欧米の演劇と比べると、その差が興味深い。
今回、もう一つ面白いのは、伊藤博文内閣によって、近代国家となった日本が、不平等条約改定を目指して国家発揚の為に、「天覧歌舞伎」が実施されたと言うことである。
西洋では王家や貴顕紳士淑女が観劇を好むと言う風潮があり、日本も真似をしなければ文明開化と言えずバカにされて拙いと言う発想である。
最初は、花道も竹本も黒衣も後見も、西洋にないものは総て廃止すべきと言う極論まで進んでいたようであるが、日本人の男は足が短くて格好悪いから、種は総て西洋人にすべしと言う噴飯モノの議論もあったとかと言う時代で、あの当時、日本の文明開化はその程度だったのかと思うような改革案が結構多かった。
何れにしろ、このような時代背景の中で実現した「天覧歌舞伎」のインパクトを思うと勧進帳が益々面白くなってくる。
ヨーロッパでは、既にギリシャ時代から、素晴らしい野外劇場が設営されていて、悲劇・喜劇等が高度な芸術の域に達しており、シェイクスピア劇をエリザベス女王が観劇していたのは衆知の事実であり、歌舞音曲、演劇等のパーフォーマンス・アートに対しては、日本と西洋との大きな差が歴然としている。
今回の話とは違うが、私は、歌舞伎や文楽などの古典ものの多くが製作当時の時代背景を色濃く背負っていて、現在の価値観や世相等から大きく離れている点にも問題があるような気がしている。
ギリシャ悲劇や喜劇は勿論、シェイクスピア戯曲でも、殆ど現在に通じる内容であり違和感が少なく、役者の衣装も背広やドレスに置き換えても十分に楽しめる。
オペラの世界も同じで、リゴレットの舞台がニューヨークのマフィア街に変わることもあるし、マクベスが背広を着て出てくる、そんな舞台を結構沢山観ている。
最近観た勧進帳は、幸四郎と吉右衛門の弁慶の舞台で、團十郎の舞台は久しぶりであるが、直前にNHKなどでパリ公演のドキュメント番組を観ていたので、反芻しながら豪快でスケールの大きな團十郎の弁慶を楽しんだ。
弁慶のモデルは、おそらく文覚上人・遠藤武者盛遠であろうが、やはり、團十郎は上手い。
私が今回注目していたのは、菊五郎の富樫で、随分以前に観た記憶があるが、團十郎との丁々発止の対決がいかばかりか、それを見たかったのである。
富樫は、弁慶の忠義に感銘して、命を賭けて武士の情けで義経を通させた、所謂、侍の中の侍として描かれている理想の人物であるから、その品格と格調、それに、人間としての心の葛藤を如何に演じるか。
弁慶が読む偽の勧進帳を確かめようと舞台を背にして近づき、ハッと弁慶と目を合わせた時の「見得」の絵のような美しさ、双眼鏡で大写しにこれだけ観ていた。
番卒の言上で義経と気付き、扇子を投げ上げて強力を差し止める富樫の気迫は、正に絶品。元々義経と気付いていての心の葛藤であるから、虚実皮膜のしんぱくの演技。
梅玉の義経も、格調高くて素晴らしいが、團菊の演じる今回の勧進帳は、おそらく、平成の決定版の一つとなろうと思う。
團菊祭でもあり、天覧歌舞伎と同じで富樫は菊五郎で、義経は梅玉である。
「天覧歌舞伎120年記念」と銘打たれた復活公演で、様式美の極致とも言うべき素晴らしい舞台が展開されている。
120年前に、明治天皇がご覧になり、「近ごろ珍しきものを見たり」「能より分かりよく」と言われたとかで、一気に歌舞伎の株と人気が上昇したと言う記念すべき演目でもある。
チケットはソールドアウトで、木挽町の歌舞伎座は大変な熱気に包まれている。
「勧進帳」は、1840年に七代目團十郎が能の「安宅」を歌舞伎化したもので、当時の歌舞伎には異例の松羽目の背景で拍子木も打たず、全体に能に近く高雅に作られた作だと河登志夫氏が書いている。
明治時代に多くなった松羽目モノの先駆作で、長唄と言う能の時代にはなかった舶来楽器の三味線音楽と花道活用とに歌舞伎の特徴があり、弁慶の「飛び六方」による「外幕」への引っ込みが勧進帳の命だと言うのである。
ところが、すっきりと歌舞伎化された訳ではなく、歌舞伎座掌本によると、七代目の「勧進帳」上演には、大変な苦労があったようである。
当時の幕府の能役者と歌舞伎役者には大きな身分格差があって、歌舞伎役者が能役者から教えを請うなど考えられなかったのだが、七代目の熱意に動かされて、某能役者が、流派が分からないようにして安宅の話を口伝したと言う。
能衣装は能役者以外には売ってもらえず、能装束を全部解きほぐしたものを買って、その縫い目や折り目を辿って仕立てたとも言うのである。
その後、八代目も改定を加え、九代目の努力で能に近い高尚で荘重なものになり衣装も含めて現行に継承されているようである。
明治天皇から、「能よりよく分かった」と言われたのであるから、溜飲を下げたであろうと思われて面白い。
同じ様な話は、文楽と歌舞伎の間にもあったようで、永い間両者間の交流がなかったと言うことであるが、どちらかと言えば、歌舞伎の方が、庶民に根ざした伝統芸術であるから、能や狂言、文楽からの継承が多かったのかも知れない。
賀茂の四条河原で阿国歌舞伎から起こったと言われた独特な歴史と伝統が、偏見を生んでいるのかも知れないが、シェイクスピア戯曲などの欧米の演劇と比べると、その差が興味深い。
今回、もう一つ面白いのは、伊藤博文内閣によって、近代国家となった日本が、不平等条約改定を目指して国家発揚の為に、「天覧歌舞伎」が実施されたと言うことである。
西洋では王家や貴顕紳士淑女が観劇を好むと言う風潮があり、日本も真似をしなければ文明開化と言えずバカにされて拙いと言う発想である。
最初は、花道も竹本も黒衣も後見も、西洋にないものは総て廃止すべきと言う極論まで進んでいたようであるが、日本人の男は足が短くて格好悪いから、種は総て西洋人にすべしと言う噴飯モノの議論もあったとかと言う時代で、あの当時、日本の文明開化はその程度だったのかと思うような改革案が結構多かった。
何れにしろ、このような時代背景の中で実現した「天覧歌舞伎」のインパクトを思うと勧進帳が益々面白くなってくる。
ヨーロッパでは、既にギリシャ時代から、素晴らしい野外劇場が設営されていて、悲劇・喜劇等が高度な芸術の域に達しており、シェイクスピア劇をエリザベス女王が観劇していたのは衆知の事実であり、歌舞音曲、演劇等のパーフォーマンス・アートに対しては、日本と西洋との大きな差が歴然としている。
今回の話とは違うが、私は、歌舞伎や文楽などの古典ものの多くが製作当時の時代背景を色濃く背負っていて、現在の価値観や世相等から大きく離れている点にも問題があるような気がしている。
ギリシャ悲劇や喜劇は勿論、シェイクスピア戯曲でも、殆ど現在に通じる内容であり違和感が少なく、役者の衣装も背広やドレスに置き換えても十分に楽しめる。
オペラの世界も同じで、リゴレットの舞台がニューヨークのマフィア街に変わることもあるし、マクベスが背広を着て出てくる、そんな舞台を結構沢山観ている。
最近観た勧進帳は、幸四郎と吉右衛門の弁慶の舞台で、團十郎の舞台は久しぶりであるが、直前にNHKなどでパリ公演のドキュメント番組を観ていたので、反芻しながら豪快でスケールの大きな團十郎の弁慶を楽しんだ。
弁慶のモデルは、おそらく文覚上人・遠藤武者盛遠であろうが、やはり、團十郎は上手い。
私が今回注目していたのは、菊五郎の富樫で、随分以前に観た記憶があるが、團十郎との丁々発止の対決がいかばかりか、それを見たかったのである。
富樫は、弁慶の忠義に感銘して、命を賭けて武士の情けで義経を通させた、所謂、侍の中の侍として描かれている理想の人物であるから、その品格と格調、それに、人間としての心の葛藤を如何に演じるか。
弁慶が読む偽の勧進帳を確かめようと舞台を背にして近づき、ハッと弁慶と目を合わせた時の「見得」の絵のような美しさ、双眼鏡で大写しにこれだけ観ていた。
番卒の言上で義経と気付き、扇子を投げ上げて強力を差し止める富樫の気迫は、正に絶品。元々義経と気付いていての心の葛藤であるから、虚実皮膜のしんぱくの演技。
梅玉の義経も、格調高くて素晴らしいが、團菊の演じる今回の勧進帳は、おそらく、平成の決定版の一つとなろうと思う。