最近、「ウイキノミクス」、「フラット化する世界」、「富の未来」、「マベリック・カンパニー」、「ハイ・コンセプト」、「クリエイティブ・クラスの世紀」等と言った新時代を画する書物を立て続けに読んで、結構貴重な教訓と刺激を受けている。
その影響か、デジタル革命やグローバリゼーションによって経済社会が途方もなく変革してしまったような錯覚に襲われてしまったのだが、しかし、よく考えてみれば、我々人類は、本当にビックリするような革命的な変化を経験しているのか、それは見方次第だと言う気にもなっている。
静態的な均衡状態を仮定して成立していた経済学が、シュンペーターのイノベーション理論によって変革を遂げた。革命的なイノベーションによる創造的破壊によって非連続に成長発展して次の高いステージに到達すると言う考え方に立てば、正に、今日のIT革命は歴史的な産業革命であり、人類にとって大変な飛躍である。
しかし、このような時代を画する産業革命は過去に存在したし、グローバルベースの文化・文明そして経済社会交流をも人類は経験してきた。
時間空間的な差はあるが、人類は、革命的な変革には何度も遭遇してきているのである。
ところで、これらの書物を読んでいて一つだけ変化にとって共通した重要なテーマに気付いた。それは、個人の時代の到来と言うことである。
フリードマンが、グローバリゼーションについて明確に語っている。過去3回グローバリゼーションの時代があったが、第1回目は国家、第2回目は企業が主役であったが、今回は個人のグローバリゼーションの時代だと言うのである。
この点は、別な表現で、タブスコットなども、あらゆる知識情報が万人に開放されたので秀でた天才が企業や組織と互角にマスコラボレーションできる時代になったと語っている。
特に個人のクリエイティビティとハイ・センス、ハイ・コンセプトが重視される時代においては、創造的で強烈な個性を持った個人のコラボレーションが、重要な役割を果たす。
あのルネサンスを開花させたフィレンツェのように、多くの異文化と学問芸術が遭遇して、偉大な俊英たちが切磋琢磨して巻き起こした文化・文明の爆発、そのようなメディチ効果を発揮することである。
現実にも、オープンソースのリナックスの進歩にボランティアで貢献しているエンジニアの大半は、フォーチュン500社の社員だと言うから、組織を度外視して個人の秀でた才能を発揮すべく挑戦を続けているのである。
また、発明や発見、クリエイティブな発想などが生まれ出る過程やきっかけは、科学的合理的なものではなく、芸術が生まれ出でるそれと全く同じだと言われている。
また、経営戦略や経営方針の策定などは、ある程度科学的であり合理的な根拠があるとしても、経営における重要な意思決定や危機回避の決断などは、芸術的なセンスに近い発想でなされるとも言われている。
ダニエル・ピンクは、これからの経営は、MBAではなくMFA(Master of Fine Arts 芸術学修士)が担うとまで言っているのである。
科学は、学問的な積み重ねで進化発展を来たすことが可能であるが、芸術や哲学、思想などは、あくまで、聳えている偉大な個人のみに付与された属人的な特質であるから、個人の力が総てである。
誰も、釈迦やキリスト、レオナルド・ダ・ヴィンチやモーツアルトを越えられないように。
この意味からでも、益々、個人が重要な働きをする世の中になって来たということが言えよう。
もっとも、公害等による地球環境の破壊やIT革命で科学技術が益々先行する時代になってしまって人類社会が危機的な状況に陥っているので、もう一度情と感性の時代に戻してバランスを取ろうと言う神の思し召しかも知れない。
その影響か、デジタル革命やグローバリゼーションによって経済社会が途方もなく変革してしまったような錯覚に襲われてしまったのだが、しかし、よく考えてみれば、我々人類は、本当にビックリするような革命的な変化を経験しているのか、それは見方次第だと言う気にもなっている。
静態的な均衡状態を仮定して成立していた経済学が、シュンペーターのイノベーション理論によって変革を遂げた。革命的なイノベーションによる創造的破壊によって非連続に成長発展して次の高いステージに到達すると言う考え方に立てば、正に、今日のIT革命は歴史的な産業革命であり、人類にとって大変な飛躍である。
しかし、このような時代を画する産業革命は過去に存在したし、グローバルベースの文化・文明そして経済社会交流をも人類は経験してきた。
時間空間的な差はあるが、人類は、革命的な変革には何度も遭遇してきているのである。
ところで、これらの書物を読んでいて一つだけ変化にとって共通した重要なテーマに気付いた。それは、個人の時代の到来と言うことである。
フリードマンが、グローバリゼーションについて明確に語っている。過去3回グローバリゼーションの時代があったが、第1回目は国家、第2回目は企業が主役であったが、今回は個人のグローバリゼーションの時代だと言うのである。
この点は、別な表現で、タブスコットなども、あらゆる知識情報が万人に開放されたので秀でた天才が企業や組織と互角にマスコラボレーションできる時代になったと語っている。
特に個人のクリエイティビティとハイ・センス、ハイ・コンセプトが重視される時代においては、創造的で強烈な個性を持った個人のコラボレーションが、重要な役割を果たす。
あのルネサンスを開花させたフィレンツェのように、多くの異文化と学問芸術が遭遇して、偉大な俊英たちが切磋琢磨して巻き起こした文化・文明の爆発、そのようなメディチ効果を発揮することである。
現実にも、オープンソースのリナックスの進歩にボランティアで貢献しているエンジニアの大半は、フォーチュン500社の社員だと言うから、組織を度外視して個人の秀でた才能を発揮すべく挑戦を続けているのである。
また、発明や発見、クリエイティブな発想などが生まれ出る過程やきっかけは、科学的合理的なものではなく、芸術が生まれ出でるそれと全く同じだと言われている。
また、経営戦略や経営方針の策定などは、ある程度科学的であり合理的な根拠があるとしても、経営における重要な意思決定や危機回避の決断などは、芸術的なセンスに近い発想でなされるとも言われている。
ダニエル・ピンクは、これからの経営は、MBAではなくMFA(Master of Fine Arts 芸術学修士)が担うとまで言っているのである。
科学は、学問的な積み重ねで進化発展を来たすことが可能であるが、芸術や哲学、思想などは、あくまで、聳えている偉大な個人のみに付与された属人的な特質であるから、個人の力が総てである。
誰も、釈迦やキリスト、レオナルド・ダ・ヴィンチやモーツアルトを越えられないように。
この意味からでも、益々、個人が重要な働きをする世の中になって来たということが言えよう。
もっとも、公害等による地球環境の破壊やIT革命で科学技術が益々先行する時代になってしまって人類社会が危機的な状況に陥っているので、もう一度情と感性の時代に戻してバランスを取ろうと言う神の思し召しかも知れない。