中国製品の最も危険なものは、有害鉛塗装のおもちゃなどの粗悪品ではなく、富に富を積み重ねるブーム過剰の資本主義文化である。
大規模な中国製品の相次ぐリコールに痺れを切らして、アメリカの消費者製品安全委員会が政府へ執拗な抗議を続け、監視団体が、中国からの輸入おもちゃなどの独立した第三者の検査を要求するなど、益々、中国製品への風当たりが強くなって来ている。
しかし、必要なことは、そんなことではなく、台頭著しい中国の工場主や経営者に、自分たちのビジネスを維持する為には、そして、中国の資本主義を維持するためには、彼等自身が、社会的責任の意識を持つことが必須であることを思い知らせることである。
このように主張をするのは、BusinessWeek誌のリック・ウォーツマン記者で、クレアモントでの中国企業家達とのシンポジウムを報じながら、ピーター・ドラッカーの企業の社会的責任論に言及していて面白い。
経営に携る者は、すべからくプロフェッショナルでなければならないが、そのプロフェッショナルのプロとしての心得は、2500年も前に、ギリシャの名医ヒポクラテスが、「知りながら害をなすな」と明確に言っていると、ドラッカーは随所で述べていたが、このプロフェッショナル倫理の基本ルールが、完全に中国には欠落していると言うことである。
”開発途上国は、容易に技術も、資本も輸入出来る。しかし、技術も資本も、単なる道具にしか過ぎず、適切で有効なマネジメントによって正しく活用されない限り有効にはならない。そのようなマネジメント能力を持った有能な人材の一大集団を生み出すことが、中国にとって最重要事項であって、また、それが、中国にとって最も大きなチャンスとなる。”とドラッカーは言っている。
しかし、中国は、金を儲ける為には何をやっても良いと言うか、事業の拡大、利益の追求に走り過ぎて、大切な企業経営者の育成と企業倫理を忘れてしまった。
もっとも、アメリカでも日本でも企業倫理に悖った経営を行っていて恥とも思わない輩が跡を絶たないが、中国のように急拡大を続けている経済社会ほど、あらゆる生活の場に、ドラッカーのような思想・考え方を、繊維のように紡ぎ張り巡らさなければならないと言うのである。
ところで、このクレアモントのシンポジウムには、中国のドラッカー学者ミングロ・シャオ氏が出席していて、中国で、自分のピーター・ドラッカー・アカデミーで、毎年、3000人の学生に経営学を教えていると言う。
ドラッカーが、シャオ氏に、並の大学やビジネススクールを作るのではなく、新しい経営カルチュアの構築を試みよと諭したと言う。
シャオ氏は、共産中国が誕生した1949年に生まれ、文革の時に、西北部の農場に下放され貧しくて洞穴に住んでいたのを友人に助け出され香港に送られた。
事業にも成功し、その間に、ドラッカーを読み、その教えに心酔し切って、ドラッカーの経営哲学に基づいた学校を設立したのである。
「ドラッカーを中国の若い世代に教えても万能薬にはならない。しかし、スタートするのには悪い場所ではない。」と言うのが、ウォーツマンの説だが、中国が、大きく躍動していることが良く分かって面白い。
ドラッカーは、日本人がもっとも敬愛する経営学者だと言うが、その思想に心酔して学校まで建てる人は、日本には居ないであろうし、
ある意味では、資本主義国においてでも、非常にラジカルで急先鋒である筈のドラッカーの思想を教えようとする学校が、共産中国にあって、経営者のたまごを育成しているなどと言うのは実に爽快なことではないか。
大規模な中国製品の相次ぐリコールに痺れを切らして、アメリカの消費者製品安全委員会が政府へ執拗な抗議を続け、監視団体が、中国からの輸入おもちゃなどの独立した第三者の検査を要求するなど、益々、中国製品への風当たりが強くなって来ている。
しかし、必要なことは、そんなことではなく、台頭著しい中国の工場主や経営者に、自分たちのビジネスを維持する為には、そして、中国の資本主義を維持するためには、彼等自身が、社会的責任の意識を持つことが必須であることを思い知らせることである。
このように主張をするのは、BusinessWeek誌のリック・ウォーツマン記者で、クレアモントでの中国企業家達とのシンポジウムを報じながら、ピーター・ドラッカーの企業の社会的責任論に言及していて面白い。
経営に携る者は、すべからくプロフェッショナルでなければならないが、そのプロフェッショナルのプロとしての心得は、2500年も前に、ギリシャの名医ヒポクラテスが、「知りながら害をなすな」と明確に言っていると、ドラッカーは随所で述べていたが、このプロフェッショナル倫理の基本ルールが、完全に中国には欠落していると言うことである。
”開発途上国は、容易に技術も、資本も輸入出来る。しかし、技術も資本も、単なる道具にしか過ぎず、適切で有効なマネジメントによって正しく活用されない限り有効にはならない。そのようなマネジメント能力を持った有能な人材の一大集団を生み出すことが、中国にとって最重要事項であって、また、それが、中国にとって最も大きなチャンスとなる。”とドラッカーは言っている。
しかし、中国は、金を儲ける為には何をやっても良いと言うか、事業の拡大、利益の追求に走り過ぎて、大切な企業経営者の育成と企業倫理を忘れてしまった。
もっとも、アメリカでも日本でも企業倫理に悖った経営を行っていて恥とも思わない輩が跡を絶たないが、中国のように急拡大を続けている経済社会ほど、あらゆる生活の場に、ドラッカーのような思想・考え方を、繊維のように紡ぎ張り巡らさなければならないと言うのである。
ところで、このクレアモントのシンポジウムには、中国のドラッカー学者ミングロ・シャオ氏が出席していて、中国で、自分のピーター・ドラッカー・アカデミーで、毎年、3000人の学生に経営学を教えていると言う。
ドラッカーが、シャオ氏に、並の大学やビジネススクールを作るのではなく、新しい経営カルチュアの構築を試みよと諭したと言う。
シャオ氏は、共産中国が誕生した1949年に生まれ、文革の時に、西北部の農場に下放され貧しくて洞穴に住んでいたのを友人に助け出され香港に送られた。
事業にも成功し、その間に、ドラッカーを読み、その教えに心酔し切って、ドラッカーの経営哲学に基づいた学校を設立したのである。
「ドラッカーを中国の若い世代に教えても万能薬にはならない。しかし、スタートするのには悪い場所ではない。」と言うのが、ウォーツマンの説だが、中国が、大きく躍動していることが良く分かって面白い。
ドラッカーは、日本人がもっとも敬愛する経営学者だと言うが、その思想に心酔して学校まで建てる人は、日本には居ないであろうし、
ある意味では、資本主義国においてでも、非常にラジカルで急先鋒である筈のドラッカーの思想を教えようとする学校が、共産中国にあって、経営者のたまごを育成しているなどと言うのは実に爽快なことではないか。