熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

飛行機の旅

2007年08月20日 | 海外生活と旅
   中華航空のボーイング737-800の炎上事故を見ながら、幸い、自分には航空機の事故が全くなかったのを思いだして幸せを噛み締めている。
   1972年にアメリカに留学してから、その後、結構長い間、海外で生活したり、海外に関係する業務に携っていたので、飛行機に乗ってあっちこっち移動することが多かった。
   数えたことがないので分からないが、飛行機に乗ったのは1000回近くはあるような気がするが、その大部分は海外であったと思う。

   日本からの往復は、特別なことがなければ大抵JALであった。都合で外国のエアラインにしたことがあったが、正直な所、何故かこの方が面白かった。
   外国のエアラインには、夫々、個性があって興味深いが、やはり、それは、乗客や乗務員、それに、母国の空港など全体が醸し出す雰囲気が異国的でエキゾチックであったからであろうと思う。

   アメリカの飛行機については、全く、普通の乗り物と言う感じで、違和感も不安感も何もなく、安心して乗っていた。それは、大航空会社もローカル会社の小型機でも同じであった。
   しかし、ハワイについては、アメリカ人は外国のように思っているようで、本土の空港のゲートから異国情緒が漂っていて、スチュワーデスもムームーを着ていたし客の雰囲気もリラックスしていた。

   私の思い出に残っているのは、4年間のブラジル生活で飛び回ったラテンアメリカの航空会社のことである。
   今もそれほど変わらないようだが、28時間くらいかかって、ロスーリマ経由か、ニューヨーク経由でリオデジャネイロに向かうのだが、飛行機の中で二泊する形になる。アマゾンの上空で夜が少し白みかかり、それからが長い。
   少し前に、航空機が空港のガソリンスタンドに突っ込んだと言うコンゴニアス空港に着きサンパウロ市内に入るのだが、私が、ブラジルに居た時も、この空港で大きな飛行機事故があった。
   この空港の着陸用滑走路は、サンパウロに入る幹線道路の真上から始まって、自動車の上空ほんの数十メートル上を飛行機が飛んで着陸するのだが、いかに限界ぎりぎりで着地するかパイロット間で競争していて、着陸を誤って大事故を起こしたのだと新聞が報じていた。

   サンパウロからパラグアイのアスンションへ良く通ったのだが、途中にイグアス空港に立ち寄る。
   サンパウロからのヴァリーグ機は、ボーイング727か737だったと思うのだが、必ず、イグアスの滝に近付いて、上空で、右旋回と左旋回を繰り返して、軽飛行機のように、イグアスの滝を見せてくれたのである。
   随分窓から写真を撮った筈だが、季節の変わり目や水量の変動でイグアスの滝の姿が変化しているのが面白かった。
   滝壺に近付いて仰ぐイグアスの滝も凄いが、上空からの広大なイグアスの展望も壮大で、それに、悪魔の喉笛の迫力はまた格別なのである。
   流石に、アルゼンチン航空やアメリカの航空機は、こんな危ないアクロバットのようなサービスはしなかった。

   アスンションに飛ぶのに、パラグアイ航空の地を這って飛んでいるような古いターボプロップ機に乗ったり、ボリビア航空のジエット機に乗ってエンジン音を気にしながらアンデス越えをしたり一挙にゼロメートルのアマゾンに降下したりしていたが、他のラテンアメリカに行く時にも、意識して、コロンビア、チリ、ヴェネズエラ等々その国の飛行機に乗っていたが、若くて元気だった頃だったから出来たのかも知れないと思っている。

   アジアについては、中華航空や中国の飛行機についてはあまり良い思い出がないが、シンガポール航空やキャセイパシフィックは流石に立派な航空会社であったし、タイ航空なども良かった。

   ヨーロッパの滞在が一番永かったので、ヨーロッパの航空会社との思い出が多い。
   ロンドンに居た時には英国航空、アムステルダムに居た時にはKLMオランダ航空を利用することが多かったが、他の国に行く時には、その国の航空会社を使うことが多かったのは、その方が入国する時など何かと便利だったからでもある。
   特に、べルリンの壁崩壊前後にブダペストに入る時など、マレーヴ・ハンガリー航空を使う方が気が楽であった。
   ヨーロッパには沢山の思い出があるが、一つだけ書くと、それは、ローマから中東に向かう途中に、アリタリア航空機の窓から、真っ青なエーゲ海の中に、真っ白に光るテラ島(サントリーニ島)の島影を見た時である。火山で吹き飛んで周りの側だけ残った独特な島影であるから目に焼きついているのだが、期せずして見ることが出来たので、アトランティスの伝説を思い出して感慨無量であった。
コメント
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