熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ジョウビタキが帰ってきた

2008年11月11日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   今朝、起きて雨戸を開けると、しだれ梅の枝に見慣れない小鳥が止まっているのに気付いた。
   枝を渡る姿を良く見るとジョウビタキである。
   シベリアかどこか、北の国から、暖かい日本で越冬するために帰って来たのである。
   ジョウビタキは、必ず、同じ場所に帰ってくると言うから、毎年、私の庭を訪れて来ている同じ小鳥に違いない。

   ピラカンサの実を好むと言うが、植木職人が切ってしまって、ここ数年は、木が小さいので実を付けていないし、アメリカ・ハナミズキの実は、ヒヨドリが皆食べてしまった。
   ムラサキシキブの実は、少し、しなび始めているが、まだ、たわわに残っているのだが、食べるのであろうか。
   地中の昆虫を餌にしているので、地面に降り立って歩くこともあるが、大体、木の枝や地面から飛び出たものの上に止まることが多い。

   つぐみ類では、小さい方のようだが、これから、仲間のつぐみたちや色々な冬鳥が、訪れてくる。
   千葉の北部は、結構、森や林が残っていて、野鳥の住む緑地が多いのと、それに、印旛沼に近いので、野鳥が多い。

   もう少し、秋が深まると、川の土手の夏草が枯れて見通しが良くなるので、カワセミが、ダイビングするのが良く見える季節になるので、カメラを持って土手道を散歩するのが楽しみになる。
   先日、歩いてみたが、まだ、鴨や白鷺などは帰って来ていなかったが、もう少し経てば、川面も賑やかになるであろう。

   急に寒くなったと思ったら、蝶やトンボや蜂など昆虫の姿を見なくなってしまった。
   庭に居たカマキリやバッタなどの昆虫も見なくなった。
   もう、小さな動物たちも冬支度に入ったのであろうか。

   アメリカ・ベニカエデは、鮮やかな赤みを帯びた黄金色の葉を輝かせていたが殆ど散ってしまった。
   私の庭のもみじは、京都の永観堂のもみじの実生だが、まだ、完璧に紅葉していない。やはり、大切な時に水気が不足する所為か、葉の先端部分などが白く枯れて、京都のように綺麗には咲かないのが残念である。
   アメリカ・ハナミズキが、綺麗に紅葉しないのも、気候に合わないようである。このあたりでは、柿の葉も、桜の葉も、関西のように美しく色づかないのが、一寸、残念である。
   柏葉アジサイの葉は、年によって紅葉の仕方が違うのだが、今年は、少し色づき始めたので、綺麗な秋色を楽しませてくれるかも知れない。
   椿の花のつぼみが、少し膨らみ始めて、少し色づいて来た。
   一気に冷え込んで来た所為か、わが庭の姿も、急に変わり始めた。
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坂田藤十郎・扇千景著「夫婦の履歴書」

2008年11月10日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   日経の「私の履歴書」に掲載された、藤十郎・千景夫婦の記事を一冊の本にして出版されたのが、今回、レビューしようと思っている本である。
   全く違った人生を歩んできた二人が出会って結婚し、夫々の履歴書を書いているのだが、やはり、興味深いのは、二人の馴れ初めから始まる遭遇劇後の展開で、同じ出来事でも、違った視点から書いているので、ステレオ写真を見ているようで面白い。

   尤も、千景の場合には、やはり、政治家としての経歴については封印せざるを得ないことが多くて書けない所為もあったのか、やはり、家族との私生活に比重を置かざるを得なかったのであろうか、藤十郎、と言うよりも、扇雀との話にも多くのページを割いている。
   ドンファンの扇雀の艶聞も書いているし、勿論、結ばれた夜のことも書いている。
   先年、写真週刊誌にスクープされて話題になった舞妓との密会をフォーカスされた開チン・ガウン治郎の話にも触れて、ゴシップは広告みたいなものだとのたまっている。
   当時、ご当人は、確か、国交省の大臣で、鴈治郎は、人間国宝であるから艶聞でもスケールが違う。

   長男翫雀を慶応幼稚舎に入れるために、縁起を担いで受験番号1番を取るために前夜から並んだと言う話など、愛情豊かな母親としての面目躍如であるが、実に、家庭的にも優しい日本女性だったのである。
   私も、若い頃、宝塚から転じて銀幕で活躍していた綺麗な扇千景の映画を楽しんでいたが、とにかく、人気絶頂のスターが、梨園の妻となり、主婦として母親として努めながら芸能界やTVで活躍し、更に、政界に入って、野党の党首となり、大臣となり、最後には、参議院議長を勤めたと言うのであるから、普通の人の何倍も人生を生きたスーパーレイディと言うことであろう。
   今では、大歌舞伎役者坂田藤十郎の妻として、歌舞伎座のロビーでよく見かけるが、今でも(?)、美しく往年の艶やかさを失わない魅力的なレイディである。

   さて、藤十郎の履歴書だが、自身の歌舞伎役者としての遍歴や芸論などを克明に語っており、非常に興味深く読んだ。
   坂田藤十郎、近松門左衛門、そして、上方歌舞伎に対する飽くなき情熱を語っていて素晴らしいが、実際には、若い段階から東京に移り住んで東京ベースで活躍しているのが面白い。
   文楽だけは、まだ、本拠地は大阪にあるが、その文楽でも、満員御礼の札がかかるのは東京の方が多いと言うのだから、結局、日本の伝統芸術も総て東京へ収束するのであろうか。

   藤十郎の人生で重要な位置を占めるのは、武智歌舞伎との遭遇であろう。
   上方歌舞伎の将来についての危機感を感じて、武智鉄二が、松竹に働きかけて若手役者を糾合したようだが、武智は、扇雀を、日本一の文楽の大夫豊竹山城少掾の所へ連れて行って台詞の稽古をさせたと言う。
   また、金春流の能楽師桜間道雄から、能を学ぶなど、武智のお陰で、トップクラスの芸術家から台詞の発声、イキの詰め方と言う基礎を訓練されたが、更に、京舞の井上八千代に稽古をつけて貰う。
   山城少掾に代わって竹本綱大夫に玉手御前の稽古の時、何時も付き添っている武智が、大夫が良いと言うところまで徹底的に教えさせたと言う。

   武智は、「一番いいものを見て、一番いいものの中に育っていないと芸が貧しくなる」と言って、「関西で一番の財界人の皆さんが行っている散髪屋に行きなさい」「クラブも、女性も一流のところで遊びなさい」と言って総て、貧しい扇雀が払える訳がないので、当然、一切の費用は武智が持ったと言う。
   刀の目利きを育てるためには、本物の名刀しか見せないと言われているが、あの訓練方法である。
   盛田昭夫も、ニューヨークで、トランジスター・ラジオを悪戦苦闘しながら売っていた頃、貧しかったので安宿に泊まっていたが、本当の仕事をする積もりなら一流のホテルに移れとアドヴァイスを受けて、その後、急速にトップクラスのアメリカ人知己を得たと言う、正に、このことである。

   一寸、ニュアンスが違うが、私の場合には、クラシック音楽や絵画などの芸術鑑賞で、この教訓を実感している。
   私が最初に観たオペラの一つは、大阪フェスティバルホールでのバイロイト祝祭劇場の「トリスタンとイゾルデ」で、来日したイタリア・オペラ、それに、万博の時のボリショイやドイツオペラなどにも積極的に出かけたし、その後、外国に出たので、MET,ロイヤル、スカラ、ウィーンなどトップクラスのオペラを鑑賞して来た。
   オーケストラも、フィラデルフィア、コンセルトへボー、ロンドン響などはシーズン・メンバーであったし、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルなど結構聞く機会があった。
   私自身、全く、音楽に関する知識はないし、よく分かっている訳では全くないが、クラシック音楽を聴く喜び・楽しみだけは人並みに身に着けることが出来たので、これも、本物の音楽鑑賞遍歴があったからこそだと思っている。

   イギリスでのシェイクスピア劇の鑑賞しかり、世界の目ぼしい美術館・博物館の多くを回って本物の絵画や芸術品に接して、その素晴らしさを感じれるようになったことしかり。
   私は、藤十郎の履歴書を読んでいて、超一流に接して得た貴重な体験と、それによって啓発されてスパークした藤十郎の芸術魂が、その後の藤十郎の芸の奥行きと幅を限りなく広げているように感じている。
   藤十郎は、ローレンス・オリヴィエに会って近松座の結成を決心したと言っているが、さもありなん。
   NHK BSで放映していた藤十郎の「わが心の旅」のイギリス旅行を思い出したが、もう一つ、藤十郎にとって、本当に重要なものは、長い歴史と伝統に培われてきた上方の文化遺産。これこそが本物であり、藤十郎の芸術を支える大黒柱になっているのだと思う。
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丸善の「金融崩壊」コーナーのシェルフ

2008年11月09日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   先日、丸善東京丸の内店に立ち寄ったら、やはり、金融崩壊コーナーが設置されていて、関連書籍が陳列されていた。
   経済週刊誌の見出しの凄まじさは特別としても、「金融崩壊」「ドル崩壊」「世界金融危機」「恐慌前夜」と言った刺激的なタイトルの最新経済書が所狭しと並べられていたのである。

   その中で、私が読んだ本は、チャールズ・モリスの「なぜ、アメリカ経済は崩壊に向かうのか」、竹森俊平の「資本主義は嫌いですか」やガルブレイスの「大恐慌 1929」などほんの数冊で、リチャード・ブックステーバーの「市場リスク 暴落は必然か」やナシーブ・ニコラス・タレブの「まぐれ」などは、平行読みだが、まだ読書途中で止まっている。
   展示で面白かったのは、私も積読だが、チャールズ・T・キンドルバーガーの大著「熱狂、恐慌、崩壊―金融恐慌の歴史」が相当の冊数で平積みされていたことで、首相自ら100年に一度の不況と言っているのであるから、本格的に勉強しようとする人が多いのであろうか。

   今回の金融危機については、ICT革命などの影響による金融資本主義の発展やグローバリゼーションなど、最近特有の問題だとして扱われる反面、不況そのものやその影響の深刻さによって、1929年の大恐慌と関連付けて考えられている。
   その関係もあって、丸善の金融崩壊コーナーでは、サブプライムや証券化など最近の金融危機に焦点を当てた本から、大恐慌関連の本まで多岐に渡っているのであろう。
   しかし、これらは、経済学的な視点から著された本ばかりで、読者にとって一番関心があり、重要な筈の経営学的な視点から書かれたビジネス関係の書物は殆ど見つからない。
   即ち、何故、金融危機なり金融恐慌が起こったのかと言う視点ばかりで、HOW TO DO書は殆どないのである。

   今回の金融危機で提起された最も重要な問題は、市場万能主義と言うか市場至上主義に比重を置いたマーケット・エコノミー主体の資本主義経済そのものが問われていると言うことである。
   ミルトン・フリードマンのマネタリズムの影響で、自由競争原理に基づいた経済活動が最も望ましいとして、政治上では、サッチャー、レーガン、中曽根時代に、強力に経済の自由化が推進され、サプライサイドを重視した競争原理に基づく経済が優勢となり、
   さらに、1990年代以降、アメリカ経済の再生とICT革命や冷戦終結によるグローバリゼーションの進展により、益々、マーケット・エコノミーが競争原理を加速させ、弱肉強食の度を深めて行き、ファイナンシャル・エンジニアリングの活用などマネーゲーム化した金融経済が暴走の極に達した。

   これが、ロバート・ライシュの言うSupercapitalism(超資本主義)であり、ルーズベルトのニューディールから、アイゼンハワー、ケネディなどの民主化政策によって培われてきた中産階級を重視した豊かな平等社会の公序良俗を、ずたずたに切り崩してしまったと言うのである。(レーガン時代から、所得格差は鰻上りに拡大)
   今、問題となっている格差の拡大だが、アメリカの貧困層人口は17%、日本は15%で、ヨーロッパの6~8%とは相当の格差であり、日米の所得格差と貧困問題は深刻となっている。(貧困層とは、国民を所得の下から並べて真ん中の人の所得の半分に満たない所得の人)

   オバマの新経済政策は、ルーズベルトのニューディールを意識して実施されようとしているが、サンプロの田原総一郎が言うばら撒きケインズ政策ではなく、厚生経済学を重視した経済政策への転換であり、平等社会への回帰であり、国民生活の豊かさのかさ上げを目指した資本主義社会の活性化なのである。
   同じChangeでも、オバマのChangeは、民主化への回帰だが、
   小泉の改革は、時計の針を逆に回した、すなわち、マーケット至上主義を目指した逆回転の政策であり、その結果、日本社会を、惨憺たる格差社会に変えてしまい、日本社会の公序良俗を壊して殺伐たる事件国家に変えてしまったと言う批判を招いているが、これは言い過ぎとしても、今、オバマが目指そうとしている社会とは、ほぼ反対であったと言うことだけは間違いなかろう。

   オバマ新政権が、レーガン時代から積み重ねられ、地上最悪と言われたブッシュ大統領の8年間の治世で極に達した不平等で病んだアメリカ社会を、如何に再生出来るかを世界中が注目するところだが、
   軋んでしまった資本主義と民主主義の将来の為にも、長い歴史と伝統で培われてきた市民社会の価値観を重視したヨーロッパ型の経済社会への舵取りは必然であろうと思う。
   
   金融崩壊関係の本を、いくら読んでも、今一番必要な知恵は付かないし、益々不幸感を感じるだけであろう。
   丸善の「金融崩壊コーナー」の本を買って読むよりも、ロバート・ライシュの「暴走する資本主義」や、ポール・クルーグマンの「格差はつくられた」を読んで、アメリカ社会が何処へ行こうとしているのかを学んだ方が良いと思っている。
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ウォルマートのサム・ウォルトンの創業

2008年11月08日 | 中小企業と経営
   中小企業の経営を考える時、大企業の創業者がどのようにして起業し、事業を軌道に乗せて行ったかを研究すると非常に参考になる。
   バックホルツの「伝説の経営者たち」に取り上げられているウォルマートの創業者サム・ウォルトンの伝記は格好の教材を提供しており、どのようにして、「エブリディ・ロー・プライス」の世界最大の巨大スーパーを築き上げたのか、その片鱗が理解できる。

   まず、特筆すべきは、アメリカの典型的な富豪が、所謂、泥棒男爵であったと言うビジネスモデルを覆したことで、顧客のポケットからカネをむしり取るのではなく、顧客のポケットにカネを詰め込む、顧客に節約させることによって金持ちになったことである。
   したがって、ウォルトン自身も、倹約と謙虚さと田舎(アーカンソー)の素朴な価値観を終生保ち続けたようで、安モーテルでは同僚と相部屋だし、P&GのCEOの会談さえも、ホテル代が100ドルだったので断ったと言う程である。
   このウォルトンに匹敵する徹底的なけちの億万長者は、このブログでも取り上げたが、イケヤの創業者イングヴァル・カンプラードくらいであろうが、出すものは舌を出すのも嫌だと言った船場の繊維商と甲乙付け難い徹底振りである。

   余談だが、この創業者の意思を継いだのかどうかは分からないが、徹底的に福利厚生費を切るつめるなど従業員の待遇は極めて低く、ウォルマートが出店すると、物価は安くなるが、その地域の労働環境が一挙に下がってしまうと言うことで、社会問題を起こしているなどと言ったことを、オバマのブレインの一人であるロバート・ライシュ・ハーバード大教授が、「暴走する資本主義」で克明に書いている。
   尤も、ライシュ教授も、弱肉強食の市場原理主義に毒された現在の超資本主義のルールが変わらない限り、ウォルマートが甘い顔をして人件費を緩めれば、ライバル企業に仕事をとられるだけで、結局、競争的優位性は単に、「まだ社会的責任を果たしていない」企業へ移るだけだと、変な擁護論(?)を披露しているのが面白い。

   最初の仕事は、バラエティ・チェーンのフランチャイズ店で、商品の80%を本部から仕入れると言う本部依存の雁字搦めの契約で利益が見込めなかったので、残りの20%の商品調達のために、おんぼろトレーラーを引いてニューヨークやテネシーまで出かけて、安いものなら手当たり次第に何でも買い込んで来て店頭に並べて売った。
   ウォルトンにとっては安さが総てであり、安さのためには万難を排して商品の調達に駆けずり回った。「安く仕入れて、高く積んで、安く売る」と言うビジネス・モデルの誕生であり、すなわち、正にサプライチェーン革命の到来である。

   もう一つのウォルトンの特質は、徹底的な調査で、競争相手から学ぶためには、ヒヤリングに止まらず、店舗に潜り込んで、陳列棚の引き戸を開いてシャツの枚数を調べたり、ゴミ箱を漁って値札をチェックしたり、或いは、客や商品運送の運転手に聞き込んだり、とにかく、必要かつ有益な情報を集めるためには徹底的なリサーチをして、戦略を考えたのである。
   ところが、こんなに苦心惨憺して、ど田舎のおんぼろフランチャイズ店を大繁盛の店にしたにも拘わらず、賃貸契約の不備で、地主の息子に店を取られてしまって、一敗地に塗れた。次には99年契約にしたと言う。

   次に行ったのは、レジを一箇所に集めてセルフサービス店舗に切り替えたこと。これは、既に、1号店と2号店が他にあって、マネをしたらしい。
   フラフープ・ブームの時に、商品を仕入れるカネがなかったので、本物と同じ直径のプラスチック・ホースを1トンも買ってきて、屋根裏部屋で繋ぎ合わせて偽フラフープを作って売ったり、広告も、新聞広告やチラシを切り貼りして代用で済ませるなど、コスト削減に努める一方、店をよくするためにどうすれば良いのか、それを学ぶためには、どこへでも飛んで行ったと言う。

   次の挑戦は、本格的な「ディスカウントストア」への道である。
   ウォルトンの重要な戦略は三つ。
   第一は、小さな町こそ旨みのある場所と言う戦略で、競合企業が大都市の郊外に大挙して出店していたが、「フライオーバー・カントリー」即ち、空から眺めるだけで飛び越している小さな田舎町こそ商機があると言う出店戦略である。
   昔、ジャスコは、狐と狸が出るところしか出店しないと言われていたが、これを真似ていたのかも知れない。
   第二は、ハサミ経済で、中間業者を排除して、メーカー、サプライヤー直結の商品調達戦略である。               
   第三は、サプライチェーン管理の徹底で、自社の専用トラックを持って自前の配送システムを構築した。競合他社は、店舗近くに配送センターを置いたが、逆に、郊外に巨大な配送センターを置いて、その周りに店舗を配置したのである。

   もう一つ、特筆すべきは、ウォルトンのリーダーシップによってウォルマートが、テクノ小売業への道を先導したことで、今では、衛星通信システムの活用やRFIDタグの導入など最先端のICT技術を駆使する最先端企業となっている。

   創業者サム・ウォルトンが亡くなったのは、1992年。  
   アーカンソーの片田舎からはじめて、物流と情報を徹底的に革新して世界最大の小売業を創り上げたが、一つ一つ、悩みに悩み、工夫に工夫を重ねて築き上げた敢闘精神の結晶が、ウォルトンの最大の業績であろうか。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           
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日本企業の国際力強化・・・世界ICTカンファレンス2008

2008年11月07日 | 政治・経済・社会
   ICT推進のためのカンファレンスだったが、門外漢の私には、専門的なICTに関する講演より、総論的な基調講演、京大竹内佐和子教授の「次世代ビジネスをリードする競争力」と多摩大中谷巌教授の「日本企業の底力と課題」の方が面白かった。

   中谷教授の議論は、神の国とは言わないまでも、日本は世界に冠たる歴史と文化・伝統を持った偉大な国であるから、アングロサクソンなんのその、自信と誇りを持って、今こそ、底力を発揮すべきであると言う勇ましい話であったが、これは、これまでに、このブログで論じているので、今回は端折る。
   最近、リトアニアに行ったのだが、あんな小さな日本が、自分たちにとっては憎んでも憎みきれない宿敵のロシアを、日露戦争でやっつけたと言うので、大変な日本びいきであった、もっと、日本人として自信を持て、と聴衆に語った。
   ロシアは、隣国から徹底的に嫌われていて、フィンランドやトルコに、東郷通りや東郷ビールがあるのだから、このあたりの日本びいきは、敵の敵は友達と言う理論展開であろうから、本物とは思えないが、悪い気持ちはしない。

   竹内教授は、工学博士と経済学博士のダブルメイジャー、両刀使いの超インテリで、日本の教育はなっていない、日本人の教養不足は目を被うばかりであると、辛口の理論展開だが、論点は至極ご尤もで、迫力があって面白かった。
   紫式部の父親藤原為時が、この子が男の子であればと嘆いたと言うが、国際的な桧舞台で縦横無尽に活躍している竹内教授の働きを見ていると、日本の男どもは何をしているのかと言う気持ちになる。
   その紫式部の名作源氏物語も、今年が、千年紀である。

   冒頭、竹内教授は、
   世界経済が益々不確実性を増大させて来ているが、
   過去に囚われない新たなる思考方法を学ぶべきチャンスであり、
   地球温暖化リスクの拡大など深刻な問題を共有すべきなど決定フレームが変わった時代であることを認識することが大切であり、
   同時に、オバマの勝利が何を意味するのか、読み違えると、ジャパン・パッシング、ジャパン・ナッシングでは済まなくなると語り始めた。

   特に地球温暖化問題については、新産業創出の説明の時にも強調したが、早く情報やニーズをキャッチして、日本の最先端技術を切り札にして使うことが決定的に重要だと言う。
   気候変動対策ルールを構築し、日本の省エネ技術や機能を、世界標準化すべく努力を傾注すべきである。
   日本の誇る世界最高水準の次世代コンピュータを、炭素市場へ活用し、地球シュミレーターを構築すれば可能である。
   さらに、日本の環境、省エネ技術をアジア諸国に移転して、アジアの生活基盤の向上に尽くすのは日本の重要なミッションだと説くのである。

   オバマ政権の実現は、Capitalism with Humanity、すなわち、世界的人権の重視、国際協力・援助など人類の更なる幸せのための新しい国際主義への志向でありChangeである。
   Leadership for Value Creation、ケネディ大統領が宣言したように、国民一人一人が国家のために何が出来るのかを問われる時代となり、特にビジョンを持った強力なリーダーが求められる時代となるのだが、リーダー不足に悩む日本とのレベルの差が益々拡大すると顔を曇らせる。

   面白いのは、今回の2兆円ばら撒きだが、一人一月あたり1千円で何が出来るのか、最早、政府が国民に金をばら撒く時代は終わっており、これは、国民が政府への信頼関係を完全に消失した証である。2兆円あれば、日本の将来のために多くの素晴らしい投資が出来るのに、と、オバマの話の後で、切り捨てる。

   国際競争力の源泉となるのは、デザイン力、設計だと言う。
   人類のために、国家のために、社会のために、時代の要請に対して何が出来るのか、どのように貢献できるのか、と言った使命感を体現したデザインである。
   特に重要なのは美しさであり、日本の伝統や文化など素晴らしい美意識で培われた資産、文化遺産を活用することが必須だと言って、自身で活けた生花の写真を示しながらその重要性を語った。
   21世紀は、文化の時代であり、日本の誇る美意識をモデル化し、文化力を形にする訓練を積み重ねることが大切で、その為には、文化資産を身近にしなければならないのは当然であろう。
   
   日本の活性化のためには、
   日本が豊かになろうとする意思が最も大切だと言う。
   現状打破の出発、
   成長路線からの転換、
   最大のチャンスは、イノベーション。

   日本の将来への評価は、日本の市場魅力度とグローバル適合度で決まると言う。
   新産業を生み出すためには、次世代ビジネスへのセンスを高めることだが、その為には、時代の要請を満たすべく圧倒的なスピードで生産性をアップさせ、国際的なネットワークを駆使し、効率的かつ適切な情報管理に努めることである。
   しかし、とどのつまりは、ICTの付加価値を高めるなど、知的生産性をアップする事が最も重要であるから、賢くならなければならないと言うことであろう。
   頭が良ければ、文科も理科も両方出来るのだと竹内教授は冒頭で語っていたが、益々、頭脳が要求される社会となるのであろうか。
   
   
   
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ジェネラルパーパス・テクノロジーITを使えない日本の経営・・・野口悠紀雄教授

2008年11月06日 | 政治・経済・社会
   ジェネラルパーパス・テクノロジーとは、一般汎用技術で、例えば、電気がそうだが、イギリスでは、この電気をうまく使えなくて、イギリス病を引き起こして経済の成長を阻害したと言うのである。
   イギリスでは、革新的なエネルギーである電気が普及し始めた時に、蒸気機関車を運転する釜焚き組合が強くて、電気機関車の導入が遅れてしまったのである。
   そう言えば、私がロンドンで始めて仕事をし始めた時、ニューヨークタイムズの植字工がストを打って休刊していたし、家を建てるのに建設労働者が組合の指令でレンガを数個積んだだけで帰るので何年もかかったと言う嘘のようなことが起こっていて、ロンドン中がごみの山に包まれた深刻な英国病の真っ只中であった。
   尤も、その後、サッチャー首相が、組合活動を徹底的に叩き潰して、ウインブルドン現象を厭わず外資を導入し、ビッグバンを行うなど、英国経済を蘇らせた。

   こんな話から、野口教授は、今日、世界中を大きく変えつつある重要なジェネラルパーパス・テクノロジーであるIT技術を、日本の企業が十分に活用出来なくて、企業の発展と経済成長を阻害していると説き始めた。
   このジェネラルパーパス技術を活用するためには、経済社会なり企業なり体制全体の仕組みが大きく関係しており、適していないと使えないのだが、日本の企業の体制は、産業のIT化を推進出来る体制になっていないので、このままでは駄目だと言う。

   90年代以降から、グローバル社会は大きく変革を遂げ、パラダイムシフトした。
   冷戦の終結によって、市場経済が倍以上に拡大し、安い労働力が参入して、工業製品の価格がどんどん下落し、
   また、IT革命によって、グローバル・ベースで、通信コストや情報処理コストがゼロにまで下落し、これらが相俟って、脱工業化社会となり、
   ものづくりを中心とした国家経済は、没落して行き、逆に、IT技術を駆使して、産業構造を、金融やITソフトなど知識情報産業化にシフトした国へ、経済発展と成長のトレンドが移ってしまったと言うのである。
   実際、日本のみならず、ドイツやイタリアやフランスなどの工業大国の凋落と対照的に、北欧などヨーロッパの小国の成長には目を見張るものがある。

   野口教授は、時価総額で、企業を3つのグループに分ける。
   Aグループ:グーグル、ヤフー、エクソン・モービル、アップル、マイクロソフトetc.
   Bグループ:トヨタ、キヤノン、IBM、ソニー、三菱重工、日清紡etc.
   Cグループ:富士通、日立、NEC、GM、フォード
   夫々のグループ間で、従業員一人当たりの時価総額の値が、一桁づつ違いがあるのだが、この産業構造の成長格差は歴然としており、今回の世界危機においても、アメリカは、風前の灯火であるデトロイトを抱えてはいるが、Aグループ企業を多く持った産業構造と社会進歩の高位の位置づけにあるので、将来への心配はないと、野口教授は言い切る。

   ところで、何故、日本は、IT技術を活用して産業構造を改革して、経営を革新して生産性を高めて、成長を志向出来ないのか、野口教授は、2つの理由を挙げた。
   一つは、日本の企業や経済組織において決定権限を持つ人間、大体、年寄りだが、ITを敵と考えており、これが大きな障害となっていること。
   もう一つは、企業なり組織内で情報を囲い込んでしまって、外部とのコネクションを嫌うこと。
   経営者が、日本企業のIT化への抵抗勢力だと、伊藤洋一氏も語っていた。
   また、IT技術に対する障害を取り除いて、フリーアクセスを推進しない限り、ITの有効活用など有り得ないと言うのである。

   日本企業のトップの多くは、若者に情報を握られて負けるのが嫌であり、
   自社の情報データ等が、IT技術の活用によって外部に流出するのに強い恐怖感を持っているので、競争に負けない為に、最低限度のIT化は進めるが、IT技術を武器に使って経営革新をする意思は全くないと言うのである。

   クラウド・コンピューティングの時代である。
   自分で情報を抱え込むより、その管理をプロに任せた方がはるかに安全であると、野口教授は、グーグルのGmailを活用していると言う。
   今日では、外部のシステムを活用すれば、無尽蔵に情報やデータを蓄積出来るので、とにかく、情報データの整理や分類など一切必要はなく、どんどん手当たり次第に溜め込む事で、必要な時に、検索して活用すれば良い。

   尤も、コンピュータの検索の技術が、まだ、未熟なために、人工頭脳的な検索は出来ないので、検索技術を磨くことが大切であると言うことでもある。

   今日、別なセミナーで、マイクロソフトの五十嵐光喜氏が、日米のIT活用の比較で、日本の場合は、殆ど、部門間や企業内部の活用程度に止まっており、グループ企業間や外部とのIT活用など、野口教授が指摘していたように、殆ど、オープンなIT化へは進んでいないと言うことを報告していた。
   ITが、電気のようにジェネラルパーパス・テクノロジーであるならば、完全に外部も内部もなくオープンに、情報なりデータが移動しない限り、或いは、企業の意思決定体制そのものが、企業のトータル・システムとして構築されたIT技術によって実装されない限り、その果実を摘むことは難しいと言うことであろうか。

   野口教授の指摘は、日本が、IT技術さえもフル活用出来ないような製造業に執心している限り、国際競争力の強化など望むべくもなく、その経済社会の発展は望み薄だと言うことであろう。
   こんな状態であるから、オープンソース・マネジメントなど夢の夢、要するに、フラット化した世界において、パラダイムシフトした新しい経済社会体制に適応出来ない日本製造業のガラパゴス化の進展は、避け得ないと言うことである。

(追記) 本件は、EMC Forum 2008における野口教授の講演による。
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ウィーン国立歌劇場公演・・・ドニゼッティ「ロベルト・デヴェリュー」

2008年11月05日 | クラシック音楽・オペラ
   エディタ・グルベローヴァが、両こぶしを握り締めて、「次の玉座は、ジェイムス!」と絶叫して、指揮者ハイダーのタクトが下りると、東京文化会館の聴衆は、熱狂的な拍手。
   華麗なウィーン・フィルの素晴らしいサウンドに乗せて、グルベローヴァ達の素晴らしいベル・カントが、ドニゼッティのあまりも美しいオペラ「ロベルト・デヴェリュー」を頂点にまで昇華させた、そんなオペラの醍醐味を、コンサート形式で味わわせてくれたのが、昨夜の文化会館のウィーン国立歌劇場の舞台であった。

   エリザベス一世の悲劇的な恋物語だが、ドニゼッティは、「アンア・ボレーナ」や「マリア・スチューダ」などチューダー王朝もので女性を主人公にした作品に執心していたようで面白いのだが、
   この物語は、最も愛していたレスター伯ロバート・ダドリーが相手ではなく、彼の後妻の連れ子である義理の息子ロベルト・デヴェリューが熱狂的な愛を捧げる愛人として登場するのであるから、言うならば、エリザベス女王の晩年の老いらくの恋。
   それだけに、愛人が、他の女性を愛しているらしいと言う強烈な猜疑心と憎しみが錯綜し、自分の命令で処刑してしまいながらも絶望し、狂乱状態になって幕となる終幕の劇的な緊迫感は圧倒的である。
   しかし、極めて悲劇的なオペラながら、最初から最後まで、全編、美しくて甘美な華麗なサウンドで包まれていて、それを、ウィーン・フィルで聴けたのであるから最高である。

   ところで、あの映画「エリザベス」では、ケイト・ブランシェットが、ジョセフ・ファインズのダドリー伯を相手に、色香と女性的な魅力を振り撒いて生身の素晴らしい女王を演じていたが、
   このオペラのエリザベス女王は、丁度、グルベローヴァが年恰好から言っても貫禄から言っても、正に等身大で演じられる役柄で、その素晴らしさは、今だに絶好調の頃から殆ど衰えを感じさせない素晴らしい歌声と共に、特筆すべき舞台となっている。
   グルベローヴァは、第一幕の、離れて行く恋の予感に苦悩しながら、反逆罪に問われた愛人を思って歌う「彼の愛が私を幸せにしてくれた」からベルカントの魅力全開で、あのオペラハウスを揺るがせるような圧倒的な歌声の迫力は人間業と思えない程であった。

   私が、グルベローヴァを一番最初に聴いたは、もう20年以上も前、アムステルダムのコンセルトヘボーで、ハイティンク指揮のベートーヴェンの第九のソプラノであったが、初々しくて可愛いくて(?)美しかった。
   その後、ヨーロッパでオペラを2度くらい、そして、数年前の東京でのリサイタルと非常に少ないのだが、夫々、素晴らしかった。
   シュワルツコップ、ビルギット・ニルソン、マリア・カラスなどのコンサートの印象は、はるか彼方に飛んで行ってしまったが、グルベローヴァは、まだ、そこに居る。

   さて、このオペラのタイトルは、「ロベルト・デヴェリュー」となっているが、当然、主役は、エリザベータであり、調べてみると、バイエルン歌劇場で今回も指揮者である夫君フリードリッヒ・ハイダー指揮でグルベローヴァが歌っているDVDがあり、ビバリー・シルスが歌っているDVDも出ているようだが、さもありなんと思う。
   私は、フィラデルフィアから、治安が悪くて危ない夜のニューヨーク・シテ・オペラに出かけて、シルスの「アンナ・ボレーナ」を聴いたのだが、確かもう少し温かみのある歌声で、素晴らしいドニゼッティだったのを懐かしく思い出す。
   同じドニゼッティでも、キャサリン・バトルが、パバロッティと歌った「愛の妙薬」とはえらい違いである。

   共演したロベルトの張りのある実に美しいテノールのホセ・プロス、ロベルトの恋人でありエリザベータの侍女であるサラを歌った女の魅力全開のブルガリアのナディア・クラステヴァ、サラの夫でロベルトの親友である渋くて重厚なバスのロベルト・フロンターリ、それに、ウィーン歌劇場合唱団の素晴らしさは、言うまでもなく、質の高さは群を抜いている。
   ハイダーは、舞台に上がったウィーン・フィル(ウィーン国立歌劇場管弦楽団だがコンサートに立つとウィーン・フィル)を存分に歌わせ、ウィーン・フィル・サウンドの素晴らしいコンサートとオペラの楽しさを存分に味わわせてくれた。

   コンサート・マスターは、お馴染みのライナー・キュッヘルで、そのすぐ傍に立ってグルベローヴァが歌っている。
   コンサート形式だから当然だが、全く舞台セットがなく、小道具と言えば、エリザベータの金の指輪とサラのショールだけで、最少にまで切り落とされた演技のお陰で、歌手と合唱団の歌声とウィーン・フィルのサウンドだけに集中してオペラを聴く楽しみを味わうのも素晴らしいものであると感じた。
   昔、レコード鑑賞で、音だけに集中してクラシックを楽しんでいた、あの頃のわくわくした楽しさを思い出した。

(追記)写真は、主催者ホームページより借用。
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吉例顔見世大歌舞伎・・・時蔵の「八重桐廓噺」

2008年11月03日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   歌舞伎座にとっては、新シーズンの幕開けの日が、11月1日。
   新築計画が発表された歌舞伎座だが、「本日初日」の看板が客を向かえ、桃山時代の雰囲気を残している建物正面にやぐらが立ち上げられて、ロビーでは、正装した歌舞伎役者の奥方たちが、一堂に集って交々に贔屓筋の人たちと「おめでとうございます」「ありがとうございます」と挨拶を交わし、浮き立つような華やかなムードが漂っている。

   正面に歌舞伎役者の名前を書いた独特の「まねき」看板を掲げた京都南座の12月の顔見世興行は、最も歴史が古いようだが、
   江戸の顔見世の方は11月で、普通の人間にとっては、全く意表をついた新年の幕開けだが、この11月は、芝居の国中国・周の正月であるので、それに因んだと言うことのようである。
    江戸時代には、歌舞伎役者の契約は、一年毎の更改なので、この一年は、本座では、これこれの役者が相勤めますと言うお披露目の顔見世興行を、夫々三座が競ったと言う。
   当然、登場する役者たちも豪華版で、人間国宝も、菊五郎、藤十郎、富十郎に加えて、芝翫、田之助が華を添え、それに、三代目中村時蔵五十回忌追善興行も兼ねているのだから、役者のみならず、出し物にも熱が入っている。

   この日、観劇したのは、夜の部だけだったが、仁左衛門と藤十郎、梅玉と魁春が火花を散らす「寺子屋」、それに、能の「船弁慶」を基にした松羽目物の代表作である歌舞伎十八番の「船弁慶」を、六代目菊五郎が名演を残したと言う前シテの静御前と後シテの平知盛を菊五郎が演じ、しんがりの追善公演「八重桐廓噺」の「嫗山姥」で、時蔵が八重桐を演じて萬屋一門がサポートする素晴らしい舞台であった。

   この「八重桐廓噺」は、この歌舞伎座でも、確か、福助や菊之助の八重桐の舞台を観た記憶があるが、近松門左衛門にしては、一寸、筋が馴染み難く、所謂、源頼光四天王物なので、その物語なり、この舞台の前後の話が分かっていないと唐突で理解し辛い。
   平安中期を舞台にした武士のあだ討ちがこの舞台の伏流にあり、父の仇を求めて煙草屋源七に身を窶した坂田蔵人時行(梅玉)が、大納言兼冬の息女沢瀉姫(梅枝)の館で自作の歌を歌っていると、通りがかった、元傾城で時行の妻であったがあだ討ちすると言うので離婚した八重桐が、これを聞きつけて、傾城の祐筆だと名乗って許されて館に入ってくる。

   元夫にあてつけるように、八重桐は、時行をめぐって同僚と痴話げんかしたことを語り続けるので、「しゃべり山姥」と言う通称があるのだが、坂田藤十郎の語りを女に置き換えたとも言われているので、さもありなん、女は控え目で喋らない方が良いとされていた時代だから、面白い。
   尤も、八重桐は喋り疲れてああしんどと言うことになるのだが、元々、文楽であるから、この歌舞伎の舞台でも、大夫の浄瑠璃が殆ど語るので、時蔵は、それに合わせて仕草を演じれば良いのだが、それだけに身振り手振りがものを言う。

   八重桐から、仇は妹の白菊(秀太郎)が討ったと聞かされて自分の不甲斐なさに面目ないと腹を切って、自分の魂を八重桐の体内に宿して神通力を与える、深山に籠もって生まれた子供を勇者に育てよと言って、肺腑を掴み出して八重桐に移す。
   このあたりが、全く唐突で奇想天外なのだが、
   そこへ、親分のために沢瀉姫をさらいに来た太田十郎(錦之助)を、神通力を得て相の変わった八重桐が蹴散らして幕となる。
   
   坂田の金時、すなわち、金太郎の親たちの話であるから、奇想天外でも不思議ではないのであろうが、八重桐は、故郷に帰って金時を生んだので、足柄山の物語が生まれたのであろう。

   紙子を着て大納言館に入って時行と痴話げんかを始めるあたりまでの八重桐は、日ごろ見る時蔵だが、神通力を得てから凄まじい形相をして太田十郎や家来たちと対峙する大立ち回りの迫力は、中々のもので、女形を超越した、しかし、女であることを強烈に匂わせた素晴らしい舞台であった。
   初々しい深窓の姫君や、上品な高級武家のお内儀や、しっとり色香を匂わせた花魁などと言った私が見慣れて知っている時蔵の芸のジャンルとは違った舞台であった所為もあり面白かった。

   梅玉の時行は、この舞台だけ観ていると非常に中途半端な役柄なのだが、大納言館での煙草屋の演技や腰元お歌(歌昇)とのコミカルでパンチの効いたやり取りが中々しゃれっ気とアイロニーが感じられて興味深かった。
   秀逸だったのは、腰元お歌の歌昇で、凛々しい侍などやらせると天下一品だが、女形になると一寸ぽっちゃり型で目がくりっとして個性的ながら美形ではなくなるのだが、とにかく、器用に、愛らしくて機転の利いた女を、加藤茶の雰囲気で漫画チックに実に上手く演じるのに感心した。
   この頃、一寸した性格俳優的な舞台を観ているが、このあたりの喜劇性は、兄の歌六の渋い演技と好一対かも知れない。

   髪を左右にぴんと張ったあかっつらの厳つい出立ちで、悪役太田十郎を演じている金之助だが、写楽の絵から抜け出たような典型的な絵になる姿で、芝居を観ていると言う気にさせてくれて面白い。
   梅枝の気品ある姫君は定評のあるところで、殆ど動きがなくて気の毒なくらいだが、重要な親子共演で、舞台のバックを支えながら、華やかさと奥行きを醸し出している。
   秀太郎の折り目正しい舞台姿は何時も清清しくて気持ちが良いが、今回、この坂田兄妹の梅玉と秀太郎以外の重要な役は、時蔵を中心に萬屋が占めて素晴らしい舞台を展開しており、三代目中村時蔵五十回忌追善狂言の役割を立派に果たしている。
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企業の巨大化と中小企業

2008年11月02日 | 中小企業と経営
   パナソニックが三洋電機を買収して11兆円企業になって、日立を抜いてトップに躍り出ると言う。
   銀行も百貨店も、昔の懐かしい名前は殆ど消えてしまって、どこの業界も、メガ何とかになりカタカナやローマ字社名になってしまって、どんな会社だったか、何がなんだか分からなくなり、大きいことは良いことだと言う時代が変質し始めている。
   GMにとって良いことはアメリカにとって良いことだと当時の社長が豪語したのはほんの半世紀ほど前のこと、そのビッグスリーも余命いくばくもなく風前の灯火となってしまい、完全に、20世紀は遠き昔になりにけりである。
   ICTを席巻したデジタル革命とグローバリゼーションの破壊力は、それほど強烈だったのである。

   ところで、巨大企業は、益々巨大になる、巨大に成らなければ駆逐されてしまい巨大化を目指さざるを得ない、と言う厳粛なる運動法則は、ウイナー・テイクス・オール、すなわち、NO.1企業だけが利益を総ざらえして行くと言う弱肉強食のマーケット・メカニズムが働く限り抗しようの競争原理である。
   その競争も、ソニーやキヤノンの競争相手が、ヤマダ電機や価格コムであり、メガバンクの競争相手が、政府系ファンドなどと言ったように内田早大教授の言う異業種格闘の様相を呈して来ると益々熾烈さを極めて来る。

   私は、パナソニックが三洋電機を買収して巨大化することは悪いことだとは思わないが、家のことならトータルで「もの・サービス」を提供できると言う総花的なゼネラル・総合メーカー戦略には、疑問を感じている。
   三洋を買収して、将来大きな市場を期待できる太陽電池やリチウムイオン電池などを強化することは良いことだと思うが、経営資源が限られているのであるから、停滞気味のシロモノ家電を切るとか、ジャック・ウェルチがGEでやったように、集中と選択を行わない限り、業績の向上は有り得ないと思っている。

   インテルが頭打ちになっていることを考えても、デジタル革命とグローバリゼーションの進展により、益々、コモディティ化して行く物の生産、すなわち、製造業には、永遠に、陳腐化と価格競争の追い討ちがかかり、いくら高度で最先端の技術を開発しブラックボックスで囲い込んでも、たちどころにキャッチアップされて、創業者利潤など瞬時に吹っ飛んでしまう。
   国際製品、グローバル製品になればなるほど、ものである限り、どんな高級技術でも、熾烈なグローバル競争によりコモディティ化して行くのは必然である。
   以前に、シャープのブラックボックス化戦略や、液晶や太陽電池で技術の優位による集中戦略に疑問を呈したが、これなど瞬時の栄華であり、経営の新機軸を目指さない限り足をすくわれてしまう。
   コモディティの最たる半導体に入れ込んで巨大な設備投資をしている電機メーカーがあるが、これなど最も危うい戦略で、製造業の場合には、巨大な製造拠点、時には途轍もない21世紀型コンビナートを建設したりしているが、地球温暖化で、宇宙船地球号がもつかもたないかと言われている今日、10年先に、同じ製品がそのまま製造されていると言う保証は全くない筈である。

   書いている間に、話の方向がずれてしまったが、今回、言いたかったのは、中小企業の窮状をいかに救うかと言うことであった。
   結論から言うと、中小企業が、大企業の下請けと言う位置づけである限り、問題の解決は非常に難しいと言うことで、この下請けから脱却への道を政府が積極的に支援することである。

   根底にある問題が、製造業の場合、元請の大企業自身が、激烈な競争に晒されている為にあまりにも利益率が低く、下請けである中小企業には、殆どコスト削減要求を突きつけて締め上げる以外に道がないと言うことである。
   それに、不況になれば、情け容赦なく発注を切る。
   日本が経済復興期にあった頃や、ジャパン・アズ・NO1と言って成長期にあった頃にも、大企業と中小企業の経済の二重構造が問題となっていたが、あの頃は、多少の景気循環はあっても経済が成長していて、大企業も中小企業の面倒を見る余裕があり、少しづつ成長して豊かになっていたので問題が隠れていたが、
   今日のように、大企業がもろに経営危機に直面しているような経済環境の中では、極めて脆弱で経営資源の限られている中小企業には、大企業に抗する能力も力も限られており、不況の波を被れば一たまりもない。
   
   グローバリゼーションの時代においては、要素価格平準化原則が働いて、賃金も製品の価格も、リービッヒの樽の法則で、世界で一番価格の低い水準になってしまうので、後進国や新興国の同業者の賃金や製品価格と競争せざるを得なくなるのだが、自由貿易を旨としている以上避け得ない。
   結局、中小企業と言えども、競争相手と違った価値を生み出すなり、ニッチ市場を目指すなり、或いは、誰もやっていないようなブルーオーシャン製品やサービスを開発するなど、差別化戦略を遂行して、少しでも競争優位を獲得して付加価値を高める以外に生きる道はない。

   中小企業が、小さなイノベーション、適切な方向転換であるリノベーション、或いは、隙間・ニッチの製品やサービスを探し出したり出来るような仕組みを政府が積極的に構築してサポート出来ないであろうか。
   QBハウスが、1000円散髪屋を始めて成功しているが、これなどは、欧米で、元々、散髪は、頭をカットしていくら、髭を剃っていくら、頭を洗っていくらetc.段階的に価格を決めて客に選択させていたのを、カットだけ切り離して商売にしただけだが、立派にイノベーションだ、ブルーオーシャンの典型だと騒がれている。
   私など、40年近く前から、アメリカでQBハウス・システムで散髪しており、このようなイノベーションなり、リノベーション、ブルーオーシャンは、いくらでも探せるし、身の軽い中小企業だから、どんどん、対応できる筈である。
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国際安全規格のグローバルな潮流

2008年11月01日 | 経営・ビジネス
   日経と日本電気制御機器工業会主催の「ものづくり安全最前線」シンポジウムに参加し、都合で、基調講演「国際安全規格のグローバル潮流と法規制遵守のためのリスクアセスメント実施の現状」だけ聴講した。
   講演者は、IEC(国際電気標準会議)におけるACOS(安全諮問委員会)のフリードリッヒ・ハーレス氏で、元シーメンスのこの方面の統括部長であった人である。
   私など、全くの門外漢ではあるが、工業製品、特に電気機器関係の安全対応がどのような現状にあるのか、垣間見たくて聴講に出かけたのである。
   
   ハーレス氏が、見せてくれたビデオのワンカットが強烈な印象を与えた。
   ドイツのパーキングの出入り口であろうか、前を人が通り抜けるのを待って、駐車場のバーが開き、素晴らしいベンツが先に出て、その後を大きなエンジン音を立ててフェラーリが待機している。
   ところが、フェラーリが進み始めたところで、急に上に上がったバーが、勢い良く、運転手の頭上に下りた瞬間画面が消えた。
   完璧だった筈の自動のバーが、フェラーリの轟音に誤作動したのか、或いは、オープンカー故に、自動車の屋根を感知出来なかったのか。
   とにかく、何かの理由が原因で、自動制御のゲートのバーが誤作動して、運転手を直撃してしまったのである。

   もう一つ興味深かったのは、From Hazard to Harmの4枚の絵だが、窓際に置かれた植木鉢があり、これがHazard(危険)。
   下を人が歩き、車が行き交う状態で、これがHazardous Situation。
   窓を開けた瞬間に植木鉢が落下、これがHazardous Event。
   落ちて来た植木鉢が車の上に落下、これがHarm(損傷・危害)。  
   Harmとは、IECの定義によると、人々の健康に加えられた身体的危害や損傷または環境のプロパーティに与えるダメッジと言うことのようで、このHarmを引き起こすHazardousな原因を取り除くことが重要なのである。

   安全とは、社会通念上どうしても受容不可能なリスクから開放されることで、このリスクとは、Harm発生の可能性とHarmの深刻性のコンビネーションで決まる。
   リスク削減のために防御手段が取られるが、それでも避け得ないその他のリスク(redisual risk)が残る。リスク削減の過程で、この残余のリスクが、社会通念上許されるリスク(torerable risk)より少なくなれば少ないほど、リスク要因が適度に消滅したとして、その製品が安全だと看做されると言うのである。
   難しい話はともかく、プロダクト・スタンダードを確立するために、システマチック、すなわち、体系的なリスク・アセスメントを行うことが如何に大切かと言うことで、その規格のグローバル・スタンダード作りに腐心しているという事であろうか。

   ハーレス氏は、安全とは決してリスク・ゼロではないと協調していた。
   しかし、工業製品が安全かどうかは、体系的なリスク・アセスメントで判断されるべきである。
   また、そのプロダクト・スタンダードは、然るべき機関のテクニカル・コミティで決すべきであり、行政においても、現在主流を占めている国際的な基準であるISOやIECの規則に則って安全管理を行うのが望ましいと言う。

   最後に、ウエルナー・フォン・シーメンスの言葉を引用して話を締めくくった。
   ”事故回避は、法的な規制ではなく、人間としての義務であり良き経済的センスの寄って立つ掟であると考えなければならない。”
   いくらシステマチック・リスク・アセスメントを完璧にして立派なプロダクト・スタンダードを確立しても、所詮は生身の人間の世界のこと。
   安全は、人間自身が自分自身で守らなければならないと言うことであり、法律や規制以前の価値観の涵養が大切で、市民社会、シビル・ローの世界をもっともと豊かにしない限り、不安から開放されないと言うことであろう。

   話は違うが、先日書いた「あたたかい医療と言葉のちから」で、裁判官でもあった中京大の稲葉教授が、面白い例えで「医療者の論理と患者の論理」を語った。
   コインの表裏を当てるゲームで、表が出れば100万円貰え、裏が出ると80万円支払う。1回しか賭けが出来ない時賭けるかどうか、10回、100回賭けられる時は、この賭けをするか。
   患者は、1回に賭けるかどうか、医療者は、10回、100回賭けるかどうかを考えると言う。
   患者にとっては、生きるか死ぬか、たった1回の手術で運命が決まるのだが、医療者にとっては、あくまで多くの患者の手術のことであり、10回、100回、そのうち何回成功するかと言う確率の問題なのである。
   案外、工業製品の安全についても、顧客にとっては買った製品そのものが総てなのだが、生産者にとっては、マスの概念であるから、そんなところにある双方の論理上のギャップに、安全についての落とし穴があるのではないかと言う気がしている。
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