東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

憲法第九条を世界遺産に

2006-10-05 21:13:21 | 社会・経済

書店店頭でタイトルの新書を見た。タイトルやよし、中を見ていないからあるいは安倍さんと逆のことを主張しているかもしれないが。最近はタイトルと中身が食い違うのがおおいからね。そこまでは責任が持てない。

集英社文庫 大田光、中沢真一 「憲法第九条を世界遺産に」


東京裁判を認めたって大したことはないよ(3)

2006-10-05 21:01:46 | 社会・経済

パラレリズムという脅迫観念::

二回だけの興行で不評につき打ち切りとなった田舎芝居がある。第二次大戦後アメリカが言い募って強行したリンチ裁判である。ドイツでのニュルンベルグ裁判と東京裁判である。敗戦国の戦争指導者を裁判で裁くという空前前後、奇想天外なアイデアを思いついたのはアメリカである。欧米人といってもヨウロッパ人からは出てこない発想である。

第一次世界大戦では戦争裁判など行われていない。戦勝国が敗戦国の指導者を裁判で裁いて罰を加えたなどという奇想天外なことをしていない。そのかわりドイツに莫大な賠償を課した。これがナチス台頭の大きな土壌となった。

東京裁判では中国は判決を下した側である。東京裁判を認めるなら、強請りまがいの援助強要をすべきではない。東京裁判を認めるなら、これまでに日本が与えた経済援助はすべて日本に返還せよ。これまで日本が援助を削減しようとするたびに、中国は援助は実質的な賠償であると日本を脅してきた。脅しに乗った売国無策の政治家も悪いが相手はもっと悪質である。3,40兆円もかえってくれば財政再建も容易になるだろう。これが安倍首相の北京でするべき初仕事である。

第二次大戦後、戦乱は絶える事が無いが、戦争裁判は行われなかった。無理があるから強行すればおかしなことが出てくることを世界は学習したのだ。もっとも、ボスニア、ヘルツェゴビナの内戦ではまた、真似事を始めた。ミロセビッチといったか、もとユーゴかどこかの大統領をオランダに連行して戦犯法廷を開いているようだがトンと進捗しないようだ。ミロセビッチは裁判中に病死したのかな。

そうかと思うと、カンボジアのポルポトの悪行を裁こうと戦犯法廷を設置したのか、計画中なのか。こちらのほうも最近はさっぱり話題にならない。立ち往生しているのだろう。1970年代の話だろう。それを3,40年たってから裁判にしようというのだ。おまけにポルポト=中国だから、いろいろと妨害もある。

さて、イラクのフセイン大統領だが、裁判中だ。あれは戦犯法廷なのかね。アメリカもあまりにも安っぽい実態にこりたのか戦犯戦犯といわない。問われている罪状も宗派の違う部族の虐殺とかだ。人道に対する罪だとか、平和に対する犯罪などとニュルンベルグや東京裁判で振りかぶった子供じみたことは言わなくなった。人道に対する罪なんていうのは何処へ云ったのやら。

ナチスの行為はきわめて特異でなにかそのような罪名を作らないと間に合わなかったのかもしれない。欧米人の通弊だがパラレリズムの呪縛というのがある。並行主義だね。ドイツとは全然事情の違う日本を、軍事同盟を結んでいたというだけで同じ罪状で裁こうとした。左右対称が美しいという彼らの単純な美意識である。ベルサイユ宮殿の設計原理だ。ところが証拠がない。いろいろでっち上げた事件がある。南京虐殺なんていうのもそれだ。犠牲者が30万人というのは、広島、長崎の原爆投下で虐殺した30万人の日本人とアイコにするためという話もある。カウボーイ流原罪意識抹消術らしい。