解剖学者の養老孟司氏は一般向けの新書でベストセラーを連発している。申し訳ないが私は一冊も読んでいないが、23日の産経新聞に載った養老氏の「満員電車の臭いの正体」(13面)を読んで長年の疑問が氷解する思いがした。
副題に[to 角田光代さん]とある。角田さんの文章は読んでいないが、養老氏の文章から察すると満員電車に乗った時の不愉快な気持ちを述べたものらしい。満員電車を愉快に思う人はいないだろう。自明なことだが、角田さんというのは作家か評論家か知らないが、当たり前のことにプロとしての一ひねりして一文をものされたのであろう。
養老氏は「理系的思考」により次のような仮説をたてた。動物はすべて自分の縄張りを誇示主張し、他の個体に対して警告を発する意味で刺激臭を発散する分泌線があるそうだ。人間も動物だから当然そういう分泌線があるだろうというのだ。人間の場合、こういう無意識の反応は認識も出来なければ感知も出来ない。臭いを出しているほうも出していることに気がつかないし、相手も臭いが出ていることに直接反応しない。実際逃げ場の無い満員電車で縄張りの臭いを嗅いだからといって、逃げ出すわけにもいかないし、相手に襲い掛かって追い出すわけにも行かない(この段落は拙の意訳です)。
熊と人間が山中で遭遇すると、相手の臭いを感知して逃げる余裕がある場合は、熊は逃げ出す。逃げ出す余裕が無い時には人間を襲うわけであります。
人間の臭覚、本能は文化的な伝統、人為的な環境で極端に鈍磨しているからほとんど痕跡しか残っていないのだろうが、満員電車のような超過密状態ではプルトニウム爆弾の爆縮のように原始の反応を呼び起こすのかもしれない。
ところで、何故養老氏の仮説に感心したかというと、下拙の事例(自例)がまさに仮説を証明するかのように思われるからであります。以下学問の進化のために、養老孟司教授に事例をご紹介します。
私は極端な群集恐怖症である。満員電車は勿論休日の盛り場の雑踏に入ると恐慌状態になります。すぐに頭が痛くなります。エレベータに二人以上の人間と乗り合わせると飛び出したくなるのであります。
これまでの私の仮説は脳波の感受性が人一倍敏感なのだろうと思っておりました。人間が出す微弱な脳波が多数感知される(ひとより感受性が強いので)状況で、いわば脳波の干渉状態がパニックを惹き起こすのであろうと思っていたのであります。
しかし、養老氏の仮説を読んでハッと気がつきました。これは氏の説が正しい。なぜならかって受けた感応検査で下拙の臭覚は犬の一万倍と云われたことがあるからであります。